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2017/12/04

柴田宵曲 俳諧博物誌(17) 雀 二

 

       

 

 春から夏へかけて、俳人の観察は恐らく他の詩歌が閑却しているだろうと思われる雀の生活の一角に蹈込んでいる。

 

   平潟にて

 麥の穗に來るや雀の夫婦連(めをとづれ) 野坡

 

の如きは、二羽の雀を夫婦と見る擬人的観察の域を脱せぬけれども、

 

 春になり夫婦のしれる雀かな       石舟

 

に至ると、春という季節を背景にして、とにかく雀の生活に触れることになる。誰か鴉の雌雄を知らんという。孔雀や雉子や鴛鴦(おしどり)のように顕著な衣裳を著けている鳥の外は、いずれも素人の判別に苦しむものばかりである。雀の如きも御多分に洩れない。一見明(あきらか)でない雀の雌雄を明にするところに、天地の春の大きな力がある。

[やぶちゃん注:「平潟」茨城県北東端の福島県境に近い、現在は北茨城市に属する漁港の旧町名か(沖合いや沿岸漁業の基地であるが、江戸時代には東北各藩が江戸廻船の中継港として利用した)。江戸近く(蕉門十哲の一人志田野坡(寛文三(一六六三)年~元文五(一七四〇)年)は福井の商家の生まれであるが、江戸に出て、両替商越後屋の手代を勤め、後に番頭となった。貞享四(一六八七)年二十五歳の時、其角編の「続虚栗」に野馬の号で登場、元禄六(一六九三)年頃から芭蕉に親炙している。宝永元 (一七〇四) 年頃に職を辞して大坂に移った。芭蕉最晩年の「かるみ」を最もよく現わした俳諧七部集の一つで。元禄七(一六九四)年刊の「炭俵」の撰者の一人として知られる)他に金沢八景の平潟湾があり、これだけでは特定不能。

「誰か鴉の雌雄を知らん」単体でのカラスの雌雄判別は難しい。但し、ペアであることが確認出来れば、♂の大きさより♀は小さい傾向があるから、そこで一つの判断は出来る。今一つの識別可能シークエンスは繁殖期で、その行動差にある。カラスの場合は抱卵するのは殆んど♀で、雛へ直接摂餌させるのも♀が多いらしい。それに対し、♂は外から餌を採って来て巣の近くに隠したり、♀に渡したり、巣の周囲を見張る役目も彼が概ねしている。さらに、抱卵期の♀は卵を皮膚に触れさせて効率よく暖めるため、腹部の羽根が抜け落ちて有意に白っぽく見える(地肌が見えているケースある)。これを「抱卵斑」と称し、抱卵中後ならばこれで見分けがつく場合もある(但し、抱卵斑が出ない♀もいる)。また、ある観察者の報告では、産卵時期の♂の頭頂部の毛は、ふさふさして鶏冠(とさか)のようになっているのに対し、♀の頭の毛は撫で型でぺたんとして顔全体が鋭い感じであるとあった。参考にされたい。

「雀の雌雄を明にする」スズメはもっと難しいらしい。求愛行動では♀が主に鳴き声で、♂は鳴き声よりも、翼を広げて躍ってアピールするとも言われるが、♂も当然鳴くし、どうもこの説は判別法にはならぬ。一つだけ確実なのは、何のことはない、交尾の際に上になっている方が♂という方法だけらしい。事実ながら、何だか、話がオチた感がある。]

 

 戀をする雀の嘴(はし)のくろみかな 朱拙

 卯の花や雀は戀に瘦(やせ)る頃   蓑立(さりふ)

   五月雨けしきの村雨船いだすべき

   雲のすき間を待兼(まちかね)

   下の關の船泊りに春を忘れぬ

   むら雀は岡よりとまにかよふて

   𩛰(あさり)の隙(すき)の

   たはむれ笑(をか)しく覺えて

 五月雨に船で戀するすゞめかな    助然

 

 俳諧に取入れられた動物の恋で、季題として独立の地歩を占めているのは「猫の恋」だけである。雀の恋は果して季題たるの価値があるかどうかわからぬが、朱拙の句は他に配合物がないから、これを以て季と見るより仕方があるまいと思う。文学的にいえばさほどのものでないにしろ、「嘴のくろみ」にまで及んでいるのは、古人の観察の侮るべからざるを感ぜしめる。蓑立や助然の句は夏になっており、季の配合物が別にあるから、その点の問題はないけれども、描かれた世界には各々特色がある。もしこれらの句について人間的臭味を咎める人があるとすれば、いささか無理な註文といわざるを得ない。「戀に瘦る」というような言葉が格別厭味(いやみ)を伴わぬのは、むしろ直叙したためなのである。五月雨に降りこめられた船泊りのいぶせさに、陸から船の苫まで来て食物を𩛰り恋をする雀の生活を見ている。この場合作者は「雀かぞゆる夕部」や「軒になく雀」の如き客観的な態度を持することが出来ず、その雀の生活に人間と似たものを発見したというか、人間の生活に雀と共通するものを感じたというか、或(ある)主観の上に立ってこれに臨んでいるのである。「船で戀する」の句は、そういう気持を直裁(ちょくせつ)に叙したので、特に人間の感情を雀の上に塗付けたと思われる迹(あと)はない。とかくの曲折を弄(ろう)せぬところに、この句の取得はあるというべきであろう。

[やぶちゃん注:「とま」「苫」「苫(とま)」とは菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだ莚で、和船では船客や船頭がこれで体を覆って風雨を凌ぐ。

「𩛰」国字。あさる。探し求める。]

 

 若竹や雀が宿の新まくら   支考

 

などは、この句より遥(はるか)に厭味である。蓑立や助然が直叙を避けて支考流の筆法を用いたとしたら、雀の恋は鼻持のならぬものになったかも知れぬ。

 

 雀子や飯臺(はんだい)戀す石だゝみ 義首

 

 この句は「戀」の字があっても恋愛ではない、食糧問題の方である。「戀す」という言葉は単なる形容におわってはおらぬが、一句の力は弱められているかと思う。

 歌人の用いる言葉に「雀がくれ」というのがある。「萌え出でし野辺の若草今朝見れば雀がくれにはやなりにけり」とか、「淺ぢふも雀がくれになりにけりうべ木のもとは木暗(こぐら)かりけり」とかいう類で、「春ノ末ニ、草木ノ芽葉ノ、漸ク生ヒ立チテ、雀ノトマリテ身ノ隱ルル程ニナルコト」という『言海』の説明がほぼこれを悉(つく)している。現在そこに雀の姿が隠顕しているというよりも、雀が隠れるほどになったという草木の芽立の方が主になっているが、暮春の植物の生々たる趣を描いた点で、異色ある言葉というべきであろう。俳人もまたしばしば句中に取入れている。

[やぶちゃん注:以上の引用は大槻文彦の「言海」の「すずめがくれ」(「雀隱」)の条を改めて確認した。原典は「コト」は約物の「ヿ」(こと:「事」の略記号)であるが、そこは底本のママとした。]

 

 麻二寸雀がくれの新樹かな       野徑

 雀子のすゞめがくれやさくら麻     越闌

 木の芽たつ雀がくれやぬけ參(まゐり) 均水

 朝かぜや雀がくれの麻ばたけ      船彦

 

 「木の芽たつ」の句は「ぬけ參」を点じただけが俳諧手段で、それほど面白い句でもないが、他の三句がいずれも麻を捉えているのは注目に値する。すくよかに伸び立つ麻の緑が眼に浮んで来る。新樹の語を麻に用いたのも一の働きである。「淺茅生(あさぢふ)」とか「若草」とかいう較〻(やや)漠然たる言葉で満足せず、麻というものを捉え来ったのは、俳諧の俳諧たる所以であるが、畢竟「雀がくれ」の一語から趣向を立てるのでなしに、実際の感じが主になっているためであろう。

[やぶちゃん注:「淺茅生(あさぢふ)」これは引用ではないが、底本自体が歴史的仮名遣である「あさぢふ」をルビで振っている以上、漢字は正字にすべきであると考えて、変更した。専ら古文や擬古文の詩歌で「淺茅生の」の形で用いる枕詞で、元の「浅茅(背の低い茅(ちがや))が生い茂っている野」の意から「野」「小野(おの)」「己(おの)」を引き出す。]

 夏季における雀はいささか閑散の体に見える。雀自身の生活からいえば閑散どころではあるまいが、配合その他の上から特に日に立つものがないのかも知れない。

 

 石竹(せきちく)に雀すゞしや砂むぐり 史邦

 箒木(ははきぎ)の倒れふみ立(たつ)すゞめかな

                    配力(はいりき)

 水あびて雀逃行(にげゆく)田植かな  里倫

   朝六ツの橋と聞て

 あさむつの橋や田植のむら雀      露川

   巴風亭

 水うてや蟬も雀もぬるゝ程       其角

 夏の日の入(いり)あひつらき雀かな  欺心

 若竹のうらふみたるゝ雀かな      龜洞

 白砂に雀あしひくあつさかな      魚日(ぎよじつ)

 

 田植の雀は後の稲田に因縁がある。春にも苗代の縄にとまる雀があったから、その連続とも見られる。「水あびて」の句は雀自身浴びたような形になっているけれども、事実は早乙女に浴せられるのであろう。即ち「汚されて男の逃る田植かな 山市」とか、「早乙女や男に投し唐辛子 東潮」とかいう類の戯(たわむれ)で、雀はその余沫を俗びたまでなのかもわからない。そこへ行くと同じ水でも爽快なのは其角の「水うてや」である。これなら頭からざぶりとやられたところで、格別文句はあるまい。漱石氏の「文鳥」に、籠の上から如露(じょろ)の水をさあさあと掛けるところがある。「如露(じよろ)の水が盡きる頃には白い羽根から落ちる水が珠(たま)になつて轉(ころ)がつた。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせてゐた」というあたり、鳥が鳥だけに美しいが、文鳥にしても迷惑の様子もなく、むしろ気持がよさそうである。

[やぶちゃん注:「石竹(せきちく)」ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis。中国原産であるが、本邦では平安時代には栽培されていた。和名は葉が竹に似ていることによるとされる。

「砂むぐり」「砂潛り」で、砂浴びのこと。

「箒木(ははきぎ)」ナデシコ目ヒユ科バッシア属ホウキギ Bassia scoparia。「とんぶり」はこの果実。

「朝六ツの橋」現在の福井市浅水町(あそうずちょう)にある小橋浅水(あそうず)橋のこと。古来、北陸道と美濃街道の分岐点として知られ、「枕草子」六十一段の所謂、「橋尽くし」の章段では冒頭に挙げられ催馬楽にも歌われて歌枕となった。ここに出るのは、その名を朝六ツ(明け六ツ。午前六時頃)に掛けた呼称。芭蕉も「奥の細道」で「あさむつや月見の旅の明けばなれ」と洒落ている。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 81 あさむつや月見の旅の明けばなれ』を参照されたい。

『漱石氏の「文鳥」に、籠の上から如露(じょろ)の水をさあさあと掛けるところがある。「如露(じよろ)の水が盡きる頃には白い羽根から落ちる水が珠(たま)になつて轉(ころ)がつた。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせてゐた」』以上は夏目漱石の「文鳥」(明治四一(一九〇八)年六月『大阪朝日新聞』初出)の以下(前後を抜いた)。宵曲の引用部ともに岩波書店旧全集で訂して示した。踊り字は正字化し、読みは一部に留めた。

   *

 或日の事、書齋で例のごとくペンの音を立てゝ侘びしい事を書き連つらねてゐると、ふと妙な音が耳に這入るた。緣側でさらさら、さらさら云ふ。女が長い衣(きぬ)の裾を捌(さば)いてゐる樣にも受取られるが、只の女のそれとしては、あまりに仰山(ぎやうさん)である。雛段(ひなだん)をあるく、内裏雛(だいりびな)の袴はかまの襞(ひだ)の擦れる音とでも形容したらよからうと思つた。自分は書きかけた小説を餘所(よそ)にして、ペンを持つた儘緣側へ出て見た。すると文鳥が行水(ぎやうずゐ)を使つてゐた。

 水は丁度易え立てであった。文鳥は輕い足を水入の眞中に胸毛まで浸して、時々は白い翼を左右にひろげながら、心持水入の中にしやがむやうに腹を壓(お)し附けつゝ、總身(そうみ)の毛を一度に振(ふ)つている。さうして水入の緣(ふち)にひよいと飛び上る。しばらくして又飛び込む。水入の直徑は一寸五分位に過ぎない。飛び込んだ時は尾も餘り、頭も餘り、脊は無論餘る。水に浸かるのは足と胸だけである。夫れでも文鳥は欣然(きんぜん)として行水を使つてゐる。

 自分は急に易籠(かへかご)を取つて來た。さうして文鳥を此の方へ移した。それから如露(じよろ)を持って風呂場へ行って、水道の水を汲んで、籠の上からさあさあとかけてやつた。如露の水が盡きる頃には白い羽根から落ちる水が珠になって轉がつた。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせてゐた。

 昔紫の帶上(おびあげ)でいたずらをした女が、座敷で仕事をしてゐた時、裏二階から懷中鏡(ふところかゞみ)で女の顏へ春の光線を反射させて樂しんだ事がある。女は薄紅(うすあか)くなった頰を上げて、纖(ほそ)い手を額の前に翳(かざ)しながら、不思議さうに瞬(まばたき)をした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だらう。

   *

引用の最後の「昔紫の帶上(おびあげ)でいたずらをした女」というのは、先行する文の「昔(むか)し美しい女を知つて居た。この女が机に凭(もた)れて何か考えてゐるところを、後(うしろ)から、そつと行って、紫の帶上の房になつた先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう氣(げ)に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄つて居た。夫(それ)で眼尻と口元には笑が萌(きざ)して居た。同時に恰好の好い頸を肩まですくめて居た。文鳥が自分を見た時、自分は不圖(ふと)この女の事を思ひ出した。この女は今嫁に行つた。自分が紫の帶上でいたずらをしたのは緣談の極(きま)つた二三日後(あと)である。」を受けたもの。「帶上」(帯揚)は女帯の付属品で、帯山が下がるのを防ぐために帯の内側で結ぶ帯状の小さな布を指す。]

 大暑の白砂に足を曳き、石竹のほとりの砂にもぐる雀のふるまいも看過しがたい。人間にしても夏は他の季節より砂に親しくなるが、砂遊びの子供たちならともかく、われわれが身体の砂まみれになることを辞せぬのは、海水浴に行った時位のものである。夏日砂浴の快を貪(むさぼ)るのは、全身羽毛に蔽われた鳥類の特権であるかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「大暑」二十四節気の第十二で陰暦の六月内。現在の七月二十三日頃。]

 秋になると稲田の群雀(むらすずめ)が登場する。雀が人間から害鳥視されるのは、全くこの大舞台が存するためで、他の季節に木の枝の虫を取ったりする功績は、稲穂を啄(ついば)むことによって帳消にされてしまう。雀に取っては気の毒であるが、稲雀は季題の一項を成しているから、ここでは触れぬことにして置く。

 

 笹竹の雀龝(あき)しる動きかな   杉風

 

 雀の秋は先ずこの一句にはじまって、

 

 初秋や雀悦ぶ雷(らい)の跡     野坡

 花すゝきとらへ力(りき)むやむら雀 野童

 稗ほには雀のよるもたむけかな    希志

 萩に來て立(たて)ばおもたき雀かな 雨邑(ういう)

 よき家や雀喜ぶ背戸の粟       芭蕉

 はれわたる雀日和(びより)やきくの花

                   怒風

 藪垣(やぶがき)や雀に交る烏瓜   桃司子

 

 随分いろいろな方面に現れている。芭蕉も野坂も「雀よろこぶ」という語を用いているが、芭蕉の句には「知足の弟金右衞門が新宅を賀す」という前書があるので、「よろこぶ」に賀意を含めたものらしい。雷雨の晴れた初秋の爽(さわやか)な空気の中に、雀が何か𩛰(あさ)りながら囀り交している様子は、何の景物もないにかかわらず、慥によろこんでいるらしく感ぜられる。萩芒(すすき)と雀との配合も一見平凡なようで、自然なところが面白いが、更に妙なのは菊に雀である。「雀日和」は怒風の造語に相違ない。この句を一誦(いちじゅ)すると、秋も深くなつた快晴の空が眼に浮んで来る。

[やぶちゃん注:芭蕉の句は貞享五年(この年は後の九月三十日に元禄に改元)七月八日(グレゴリオ暦一六八八年八月二日)の名古屋の門人下里(しもさと)知足(現在の名古屋市緑区鳴海(なるみ)町の門人で。鳴海は東海道の宿場で、彼は「千代倉」という屋号の造り酒屋の当主で富豪)の弟知之の新居落成の際の言祝ぎの一句とされる。]

 

 秋ふかし赤さび川の椎(しい)すゞめ 猿雖(えんすい)

 

などという句も、多分同じ頃の空気を伝えたものであろう。

 

 雀子の髭も黑むやあきのかぜ   式之(しきし)

 秋風や不破の雀の七ツおき    野坂

 

 理窟屋にいわせたら、雀に髭はないというかも知れぬ。しかしこの句は雀の頰の黒いところを、人問の髭に見立てたのである。その点は、

 

 芭蕉葉に雀も角をかくしけり   其角

 

の句が『詩経』を蹈(ふま)えているような、面倒なものではない。も内容も忘れてしまったが、古く『ホトトギス』に出た野上彌生子(のがみやえこ)氏の小説に、熊坂長範(くまさかちょうはん)のような顔をした雀という意味のことがあったのを思出す。こういう観察は俳諧的でもあり、またルナアル的でもある。見立の奇を好むのでなく、雀の顔の感じが主になった形容だから面白いのである。雀の風采についてこの種の観察を試みたものは他に類がない。頰の黒いのは年中同じであるのを、「髭も黑むや」と取立てていったところに、秋風との調和が認められる。、句集によっては「髭」が「髮」になっているのもあるが、「髮もくろむや」では雀の顔を髣髴するものがないと思う。

[やぶちゃん注:「七ツ」定時法なら、午前四時頃。

 其角の句は「詩経」の「召南」の「行露(かうろ)」という詩を踏まえたもの。

   *

厭浥行露 豈不夙夜 謂行多露

誰謂雀無角 何以穿我屋

誰謂女無家 何以速我獄

雖速我獄 室家不足

誰謂鼠無牙 何以穿我墉

誰謂女無家 何以速我訟

雖速我訟 亦不女從

 厭浥(えんいふ)たる行露

 豈に夙夜(しゆくえき)にせざらんや

 行(みち)の露(つゆ)多きを謂(おそ)る

 誰(たれ)か謂ふや 「雀に角(くちばし)無し」と

 何を以つて我が屋(をく)を穿(うが)つや

 誰か謂ふや 「女(ぢよ)に家(いへ)無し」と

 何を以つて我を獄に速(まね)くや

 我を獄に速くと雖も 室家には足らず

 誰か謂ふや 「鼠に牙(は)無し」と

 何を以つて我が墉(よう)を穿つや

 誰か謂ふや 「女に家無し」と

 何を以て我を訟(しよう)に速(まね)くや

 我を訟に速くと雖も

 亦(また)女(なんぢ)に從はず

   *

この詩そのものが難解で、明治書院の乾一夫氏(私が大学時代に数少ない「不可」を貰った漢文学演習Ⅰの先生であった)の編になる「中国の名詩鑑賞 1 詩経」(昭和五〇(一九七五)年刊。因みにこれはその落された講義の教科書であった。しかし、そのお蔭で名師吹野安先生に出逢えた)の訳によれば、

   《引用開始》

しっとりおいた道の露。なんで急がずにいられようか。道の露の多いのが恐ろしい。

雀に嘴(くちばし)がないと誰がいう。[やぶちゃん注:句点はママ。]どうして我が家の屋根穿(うが)つ。我が家の娘に夫がないと誰がいう、どうして私を争いに誘う。たとえ争いに誘うても、どうせ夫婦にゃさせはせぬ。

鼠に歯がないと誰がいう、どうして我が家の壁穿つ。我が家の娘に夫がないと誰がいう。どうして私を争いに誘う。たとえ争いに誘うても、いずれお前にゃやりはせぬ。

   《引用終了》

で、乾先生はこれを『婚礼の宴席の場で、客の男が嫁をほめたたえ、半ば揶揄的にこの娘を我が嫁に欲しいとの歌を歌ったのに対する、主人側の返し歌だと想定してもよくはないか』と一種の言祝ぎを含んだ楽しい諧謔歌であろうと評しておられる。同感である。「不可」を頂戴したのは、先生の授業に出なくなった結果で、その顛末は私の無門關 三十五 倩女離魂の注で述べたので繰り返さぬが、やっぱり乾先生の授業は受けておくべきだったと今はしみじみ感ずるものである。なお、この詩から「鼠牙雀角(そがじゃっかく)」という故事成句が出来、それは「鼠や雀が壁や塀に穴を空けて家を壊す如く、訴訟というものは幸せな家庭を致命的に壊すものであること」の意である。なお、其角は「角」を「つの」と訓じており、朱子註で「つの」と解しているので、一応は問題はない。

「古く『ホトトギス』に出た野上彌生子(のがみやえこ)氏の小説に、熊坂長範(くまさかちょうはん)のような顔をした雀という意味のことがあった」私は不学にして彼女の作品を一つも読んだことがないので不詳(彼女の処女作は明治四〇(一九〇七)年に夏目漱石の推晩によって『ホトトギス』に掲載された「縁(えにし)」ではあるが、それ以外にも同誌に小説を発表しているから判らぬ)。識者の御教授を乞う。]

 「不破の雀」には何か特別の意味があるか、その意味によって「七ツおき」も利いて来るのであろうが、これだけではよくわからない。

 

   方李亭にて

 ゆるぐ葉にとまりたがるや秋雀   野坡

   三はら丈羽亭の逗留に

   菊の宴のまうけ侍りて

 いろ菊や毛ごろも直す朝すゞめ   同

 

 「秋雀」という季題は歳時記にない。分類する場合には秋雑の部に入るべき句であろう。ゆるぐ葉にとまりたがる雀は、万李亭における即景とも解せられるし、作者自身を雀に擬したとも見られる。「毛ごろも直す朝すゞめ」は特に擬人的傾向が強い。華かな色菊に引立たぬ羽色の雀を配したのも、汚れた旅衣のまま宴につらなる意を寓したのではなかろうか。少くともこれらの雀は、前の「雀悦ぶ雷の跡」などに比して、大分自然に遠いものである。但(ただし)芭蕉の新宅賀、其角の巴風亭以下、人の家を前書にしたものが多いのは、雀の人家に親しい鳥であることを現している。漫然点出したわけではない。

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