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2017/12/27

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 奇蹟

 

 奇蹟

 

 二年のB組の教室は、今しーんとして不思議な感激が滿ちたまま、あつちでもこつちでも啜泣く聲がきこえた。

「僕は泥水のやうに濁つた腐敗分子でした。」と教壇の上で一人が釘づけになつて、次を云はうとしてゐた。その時小使が頓馬な顏つきでドアを開けて、空(から)の藥鑵を持つて歸らうとしかけたが、

「それは後にしてくれ給へ。」と主任教師が眴(めくばせ)すると、小使はけげんな顏つきで教室を名殘惜しさうに素速く見流して消えて行つた。しかし誰もこのことで注意を搔き亂されたものはなかつた。一同は今突然クラスを襲つた懺悔の感覺で醉つてゐた。

「僕はただ泣いて皆さんにお詑びします。」と、既に兩手で眼を押へてゐた一人が、ぎこちないお叩頭とともに教壇を降りると、自分の席に着くが早いか、机にしがみついてそこでまた啜泣いた。さうすると歔欷く聲があちらでもこちらでも一層烈しくなつた。そしてその聲は、――さあ今度は君の番だ、と誰かの良心に訴へてゐるやうであつた。間もなく一人が決心したやうに席を立つと、教壇に上つた。ところが、どうした機(はず)みか、教壇がドカンと大きな響を立て、その肥滿した男は蹣跚(よろめき)さうになつた。だが、彼は齒を喰ひ締つて、感激の一瞬間を切りひらいた。

「僕は……」と云つたまま、彼は奇妙な聲を放つて泣き出したのであるが、その聲はまるで笑つてゐるやうに響いた。だが、一同はここでまた深刻な氣分に締めつけられた。ああ、哭いてゐるものを、をかしいと考へてはならない――さうした嚴しい命令のため、そこの空氣は一そう緊張してしまつた。そして教壇の男は結局泣きながら席に戾つた。さて、その次にも誰か出るかも知れなかつた。しかし大概もう懺悔を濟ました者ばかりで、その始めに自分等のクラスの墮落を嘆じ、腐敗分子の攻擊をした連中までが、遂には皆に倣つて懺悔をする始末だつた。そこで主任教師はとにかく教壇へ上つて、皆の興奮を宥めるやうに適宜な結論を與へた。

「まあ諸君、そこでお茶でも飮まうではないか。」

 さう云へば、今迄各自のテーブルには菓子とお茶が配られてあつたのだが、誰も手を着けてゐなかつた。皆は冷えてしまつたお茶を啜り、ポリポリと煎餠を嚙り出した。窓の外に見えるアカシアの梢の方に紫色の雲が渦卷いてゐたが、ピカリと大きな稻妻が閃いた。あたりは次第に薄暗くなつて來た。風がカーテンを翻し大粒の雨が瓦を打つた。

「ぢやあ、あまり遲くならないうちに、このクラス會はこれで終りとしよう。」と教師は穩かに云つた。そして一同は洗い淸められたやうな顏つきで席を立つたが、もう次の瞬間には、ごく普通の笑ひ聲や囁きがあちこちで起つてゐた。

 

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