原民喜作品集「焰」(正規表現版) 丹那トンネル開通祝ひ
丹那トンネル開通祝ひ
賴太は四十歲の獨身の獨眼の發明家だつたが、まだ汽車へ乘つたことがなかつた。その癖十何年も前から丹那トンネルには興味を持つてゐた。いよいよトンネルが成功しかかつた頃には、彼の發明まで成功し出すのではないかと考へた。山奧で二十年間、何とも云へない不思議な機械を考案しながら、世の中からまるで奇妙な道樂者扱ひにされてゐた賴太のことだ、トンネルが成功した時には誰よりも一番に喜んだ。
新聞によれば今日が開通祝ひだと云ふ。賴太は汽車に敬意を表すべく七里の山路を驛まで步いた。すると汽車と云ふ奴はどうももともと賴太には親しめなかつたが、今日に限つてまあ大目に見ることが出來た。そこの驛を生意氣さうにそつぽむいて行く急行を見送ると、あれがやがて丹那トンネル潜るのかと思ふと少し謀叛心が生じた。自分だつて一度は汽車に乘つてやらう、さう決心すると次の次の驛まで切符を買つた。そして始めて汽車に乘つたのである。何と乘ると乘らないとは相違してゐたことか。賴太は次の次の驛で降りると、早速一軒の旗亭へ入つた。そこの女をとらへて頻りに賴太は丹那トンネルの自慢をした。
[やぶちゃん注:東海道本線の熱海駅―函南駅間に位置する丹那トンネル(総延長七キロ八百四メートルは昭和九(一九三四)年十二月一日に開業した。ウィキの「丹那トンネル」によれば、『最初に通過する列車には』、同年十一月三十日午後十時『東京発神戸行き二・三等急行、第』十九『列車と決定』され、『乗車希望者が多いために臨時に車両を増結し』、『当時としては異例の』十五『両編成での運行が決定され』た。同『列車は提灯で開通を祝う沿線駅を通過し』、十二月一日午前零時三分三十秒『に来宮』(きのみや)『信号所を通過』、午前零時四十分『に熱海口に入り』、九分二秒かけて『丹那トンネルを通過』、『沼津駅に到着した』とある。本篇はその十二月一日の昼を時制としていると考えてよい。]

