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2017/12/22

母親について   原民喜

 

[やぶちゃん注:昭和二四(一九四九)年七月号『教育と社会』に初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「
」の「エッセイ集」に拠った。現代仮名遣(但し、拗音表記がないので、歴史的仮名遣を無理に変えた可能性が否定は出来ない)であるから、漢字の正字化は行わず、そのままに電子化した。

 第一段落「指命」はママ。

 終りから二つ目の段落に出る「セヴイニエ夫人手紙抄」とはフランスの貴族のセヴィニエ侯爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル(Marie de Rabutin-Chantal, marquise de Sévigné 一六二六年~一六九六年)が愛娘へ宛てて書き送った書簡集。

 本篇は現在、ネット上には電子化されていないものと思う。【2017年12月22日 藪野直史】]

 

 母親について

 

 私が尋常一年生の時の読本にオカアサンという一課があつた。おかあさんは僕が赤ん坊の時からお乳を飲ませて育てて下さいました――というようなことが書いてあつたと記憶する。その読本の文章よりもつと鮮かに私の記憶に残つているのは、その文章を読まされる時の男の子たちの態度である。先生に指命されて、そこの文章を読む男の子たちは、みんな一ように何か恥かしそうに、そうしていくぶん感傷的な、遙かなものを追うような顔つきをしていた。一年生の私にはその理由はわからなかつたが、皆の気持だけは感染することができた。私も母親の乳房にある、小さな、赤い、一つのほくろをひそかに憶い出していた。それは幼ない私が御空の三日月よりももつと早くから見憶えていたものにちがいなかつた。

 だが、そのことよりも、もつと私にとつて、生々しく切なかつた感覚は、父兄会にやつてきた母の顔を、運動場の方からチラと一目見た時のことである。一年の私たちが運動場に整列したまま立つていると、廊下の方を先生に案内されてぞろぞろよその父兄が通るのが見える。やがてそのなかに私の母の顔がチラと見えた。ハツとして私は何か熱いものが全身にたぎるような気持だつた。あのようにふしぎで新鮮な感動というものをその後私は知らない。もし仮りに、私に十年相まみえない愛人があつて、その人と久振りに出会つたとしても、あれほど新鮮なおどろきにはならないだろう。

 少年の母親に対するパセチツクな感動は、芥川龍之介の短篇「トロツコ」に巧みに描かれているが、ゴオゴリの「狂人日記」の結末は、(お母さん、この哀れな伜を助けて下さい!悩める頭にせめて涙もで一滴そそいで下さい!これ、このように酷い目にあわされているのです!その胸に可哀そうな孤児を抱きしめて下さい!広い世の中に身の置きどころもなく、みんなから虐めつけられているのです……お母さん、この病気の息子を憐れんで下さい!)と社会から見捨てられた人々の母親に叫びかける悲痛な声となつている。私は広島の惨劇に遭遇した時、死狂う人々の断末魔の叫びをいくつも聴いた。堤の窪地に傷ついて臥せている女学生は夜どうし苦しみながら、「お母さん、お母さん」と静かな嘆きのように祈つていた。河原の方で死悶えている青年の声は、「お母さん……」と唸りながら、その物凄い声はまるで全世界を突き刺すようであつた。嘗て、私はボードレールの「母への手紙」を死期の近づいて生活に疲れた詩人の哀切な叫びとして、胸に沁みるおもいで読んだが、同時に、こんな哀切な訴えも、はたして彼の母親の心を揺さぶつただろうかと疑うと、そのことが一層哀切におもえた。

 私は母親の乳房にあつた、赤い小さな、ほくろはおぼえているが、離乳の悲しみははつきり憶い出せない。すぐ下に弟があつたので、おそらく早期離乳したことであろう。兄弟姉妹の多いなかで育つた私は、母親の愛を独占することはできなかつた。まだ小学校へ上る前のこと、ある日、母は私を背に負つてくれて、「あなたがひとり子だつたら、こうして毎日可愛がつてあげるのに……」といつた。その言葉で、私は何か非常に気持がすつきりした。これは私の生涯において母が私にくれた唯一のラブレターだつた。私は幼にして母の愛の独占ということは諦めた。だが、私には私をもつとも可愛がつてくれる一人の姉がいた。この姉は私が十四の時死んでしまつたが、この人から私は一番決定的な影響を受けているようだ。母は六十二歳で十三年前に死んだ。芸母親についていえば、世間並の母という以上にとりたてていうほどのこともないが、姉の方は私にとつて、今でもやはり神秘な存在のようにおもえる。二十二歳で死んだ若い姉の面影がほとんど絶えず遠方から私に作用しているようだし、逆境や絶望のどん底に私が叩き落されるとき、いつも叫びかけたくなるのはその人だ。

 モオバツサンに「肖像画」という短篇がある。たえず婦人連から騒がれている非常に魅力あるといわれている男の、その男の魅力の根源をつきとめようとして、作者の「私」がその男と接近してみる。その男の部屋に訪ねていくと、部屋には人の心をうつとりとなだめるような実に好もしい婦人の肖像が飾つてある。作者の「私」はその姿にすつかりひきつけられている。そこへその部屋の主人公がやつてくる。「あ、これですか、私の母の肖像です。ごく若い時亡くなりました」という返事でこの短篇は終つているのだが、これは何かかんどころを打つているように思える。

 私は自分の身辺に、母親の愛を渇仰しながら満たされないものに心情を引裂かれている青年の顔を見るたびに私まで引裂かれるような気がする。彼が生長する迄は仮りの母を実母だと思いこんでいたのに、たまたま、ほんとの母は既に死亡していたり、遠方にいたりすることがわかる。このような例が少くないのも「家」という人間関係があまりに複雑なためであろうか。小さな愛情の拠りどころばかりが、人間の拠りどころではないかもしれないが、青年にとつて、やはり愛情の問題はもつとも切実なことのようだ。

 私の妻は五年前に死んだが、その死ぬ間際まで妻の母親が看護してくれた。永い間、病床についているのと、病気の所為で、妻の頭脳はしだいに鋭く冴えて行つたが、年老いた母親は何かにつけて娘の言葉に頼り娘の判断にすがろうとした。「あんたをほんとに神様だと思つているのです」と遂にはそんなことをいうようになつていた。年とつた母親の娘に注ぐ特殊な愛情も、この頃私に少しわかるような気もするが、たまたま「セヴイニエ夫人手紙抄」を読むとその愛情の烈しさにうたれた。(あなたを愛する、あなたのことを考える、しよつちゆう何でもないのにはつと胸をつまらせる、あなたに関する問題にかまける、あなたの考えていることに気をもむ、あなたの困惑、あなたの心痛を身に感じる、できることならそうしたものをあなたに代つて苦しんであげようと思う、つまり一と言でいえば自分の身以上に人を愛するということがどんなものであるかを痛切にさとる、以上が私のいまの気持です)こういう愛の集中と持続はうつくしいランプのようだ。リルケはいつている。(愛されることは、ただ燃えつきることだ。愛することは、ながい夜にとぼされたうつくしいランプのひかりだ。愛されることは消えること。そして愛することは、ながい持続だ。)

「マルテの手記」の愛に関する数頁はもつとも美しいランプのひかりのようである。

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