ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 飛ぶ島(ラピュタ)(11) 「死なない人間」(2) / 飛ぶ島(ラピュタ)~了(帰途、日本に寄るシークエンス有り)
ラグナグ國王は〔しきりに〕、私を宮廷で何か〔■〕の職につけようとされました。けれども、私がどうしても本國へ帰りたがつてゐるのを見て、喜んで〔とうとう〕出發をお許しになりました。そして、わざわざ、日本皇帝にあてゝ〔、〕推薦狀を書いて下さいました。その上、四百四十枚の大きな金貨と〔、〕赤いダイヤモンドを私に下さいました。このダイヤモンドの方は〔私は〕イギリスに帰つてから、〔私は〕一千百ポンドで賣つてしまひました。
[やぶちゃん注:「喜んで〔とうとう〕出發をお許しになりました」この「とうとう」は現行版では『快く』となっている。しかし、文脈から言えば、「とうとう」の方が自然である。不審。
「一千百ポンドで」現行版ではカットされている。
以下、現行版は一行空けがあるが、現行にはない。]
一七〇九年五月六日、私は陛下と に その他〔や知人一同に、〕うやうやしく別れを告げました。王はわざわざ〔私に〕近衞兵を附けて、グラングエンスタルドといふ、この島の西南にある、■港まで送つて下さいました。そこで、六日〔ほど〕待つてゐると、丁度、日本行の船が〔に〕乘れました。何
日〔日〕それから〔、〕日本までの航海が十五日かかりました。
[やぶちゃん注:「一七〇九年五月六日」本邦では宝永六年三月二十七日に相当する。]
私たちは、日本の東南にある、ザモスキといふ、小さな港町に上陸しました。この町は、北の方へ向つて延びてゐる、狹い海峽が〔の〕西の端にあり、更に〔その海峽〕〔その〕北の西にあた〔た〕るところに〔の方向に〕首府のヱド(江戸)がありました〔す〕。
[やぶちゃん注:現行版では最初の一文のみの独立段落で、「この町は、……」以下は全部カットされている。作者によるものか、編集者によるものか知らぬが、読者の子らにとって日本が登場する興味深い場面であるのに、このカットは私は大いに不満である。因みに、このザモスキ(Xamoschi)の筆記体が Kannosaki に似ているとして、これは神奈川県横須賀市鴨居にある観音崎岬であるとして町おこしが二〇〇〇年代半ばから行なわれている。夢のある話として好ましいと私は思う。]
私は上陸すると、まづ税關吏に、ラグナグ王から〔、→、〕この國の皇帝にあてた手紙を出して見せました。〔すると、その〕役人は、ラグナグ王の判をちやんとよく知つてゐました。それもそのはずです。〔その判〕は〔、〕私の掌ほどの大きさで、〔印の圖は、〕王が跛跛足の乞食を〔の〕手をとつて立たせてゐるところが〔、〕印の
模樣〔圖案〕になつてゐました〔るのです〕。町奉行はこの手紙のことをきいて、すつかり私を大切にしてくれました。馬車やお從をつけて、私をヱドまで送りとどけてくれました。
[やぶちゃん注:「跛足」「びつこ」。]
〔私は〕ヱドで、皇帝にお目にかかると、手紙を渡しました。すると、この手紙はひどく嚴かな儀作法で開封されました〔ました→、そしてそれを〕通譯が皇帝に説明しました。やがて通譯が私に〔向つてかう〕云ひました。
「陛下に〔は→陛下は〕何でもいいから〔その方に〕願ひの筋があれ〔つ〕たら申上げよと陛下は仰せです。〔と云つてをられる。陛下の兄君でおは〕す〔陛下の兄君にあたる〕ラグナグ國王のために、聞き屆けてつかはさうと仰せになつた〔のことだ〕」
この通譯は〔オランダ人との 接〕私の顏を見ると、すぐヨーロツパ人だと思〔思〕つて、オランダ語で話しました。そこで、私は前からそのつもりでゐた〔かう■〕
「實は私は遠い遠い世界の果で難船したオランダの商人ですが、それからとにかく、どうやらラグナグまでやつて來ました、それから更に船にのつて今この日本にやつて來たのです。つまり〔、〕日本とオランダとは〔■いつも〕貿易〔取引〕をしてゐることを知つてゐたので、もしかすると誰か〔その便をかりて私は〕ヨーロツパへ帰りたいと思つてゐるのです。がそんな次第ですから、どうか、ナンガサク(長崎)まで無事に送り屆けていただきたいのです。」と答へてやりました。それからもう一つつけ加へて、〔それから私はつけ加へて、「それから、〕もう一つお願ひがございます。どうか〔、〕あの十字架踏みの儀式だけは、私には許していただきたいのです。私は決して貿易のため〔貿易のために日本へ來たのではなく、〕〔ただ、たまたま災難か〔から、たまたま〕〕この國へ辿りついたものですので。〔なのですから他に→で、何か〔の〕目的もないのです。」〕ですから。」
〔と、お願いしました。ところが、これを陛下に通譯が申上げると、〕陛下はちよつと驚いた樣子でした。そしてかう云はれました。
[やぶちゃん注:前のガリヴァーの台詞の最後は錯綜していてかなりてこづった。台詞中の「日本とオランダとは〔■いつも〕貿易〔取引〕をしてゐる」の箇所は現行版では「取引」ではなく、元の「貿易」となっている。]
「オランダ人で踏繪を気にしたのはしたがらないのは、その方がはじめてだなので、してみると、その方は本当にオランダ人かどうか怪しくなつて來た〔る〕、〔これは〕どうも本当のクリスト教信者ではないかと思へるのだがなあ」
しかし、とにかく、私の希願ひは許されることになりました。役人たちは、私が踏繪をしなくても、默つて〔知らない顏をして〕ゐるやうに命令されました。
丁度その時、ナンガサクまで行く軍〔一〕隊があつたので、その指揮官に、私を無事にナンガサクまで連れて行くよう、命令されました。■
一七〇九年六月九日、長い旅のあげく、やつと〔うやく〕ナンガサクに着きました。私はすぐそこで、「アンポニア」号」といふ船の、オランダ人の水夫たちと知あひになりました。前に私はオランダに〔長らく〕ゐたことがあるので、オランダ語は楽に話せます。私は船長に、船賃はいくらでも出すから、オランダまで乘せて行つてほしいと賴みました。船長は、私が醫者の心得があるのを知ると、では途中、船醫の仕事をしてくれるなら、船賃は半分でいい、と云ひました。
[やぶちゃん注:「一七〇九年六月九日」宝永六年五月二日。]
船に乘る前には〔、〕踏繪の儀式をしなければならないのでしたが、役人たちは〔、〕私だけ〔うまく〕見のがしてくれました。
さて、〔こんどの〕航海では別に変つたことも起りませんでした。四月十日に船は〔無事〕アムステルダムに着きました。私はここから、更に小さい船に乘つて、イギリスに向ひました。
一七一〇年四月十六日、船はダウンズに入港しました。私は翌朝、上陸して、久振りに祖國の姿を見ました。〔たわけです。〕〔それから〕すぐレドリツクに向つて出發し、その日の午后、家に着き、妻子たちの元気な顏を見ることができました。
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