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2017/12/27

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 四五ニズム述懷

 

 四五ニズム述懷

 

 四五ニズムも今では想ひ出になつてしまつたが、ああ云つたものは何時の時代にも何處かで存在してゐるのではないかと僕には思はれる。それで四五ニズムに就いて少し改めてメモを作つてみる。

 まづ四五ニズムの語義から明かにすべきだが、これは四五人のグループに於いて自づから相互間に發生した風習又は雰圍氣とでも呼ぶべきものだらう。ただし、四五ニズムと云ふ言葉が出來た頃は既に四五ニズムは衰微しかけてゐた。四五ニズムの語源は勿論、四五人會と云ふ言葉から出た。ところで、四五人會と云ふのは四人だか五人だかはつきりしないグループで、時折、四五人會雜誌と稱する勝手な囘覽雜誌を發行してゐた。その雜誌も第十何號か續いたのだが、今は全部散佚し、紛失してしまつて、僕は知らない。

 何しろ當時はみんな二十三四の學生で、駘蕩たるものがあつた。例をあげるとかう云ふ事がある。僕は三田の下宿でスウエデンボルグを讀みかかつた。或る夜夢のなかで天馬の呼び聲がしたので目が覺めると、枕邊には彼の幻影が遠のいて行くのだ。それ故、僕は天馬と逢ふと早速云つた、「君の大戀愛も大變なことになつたね、君の靈魂は昨夜夜なかに巢鴨を拔け出して、橫濱の女學校の方へ赴いた形跡があるよ。そしてどうも君は歸りに田町驛で途中下車して僕のところへ來たらしい。僕が夢から覺めた時、全く君は悄然とした姿で消えて行つたからね。」この話は早速天馬から月狂へ、月狂から吉士へ傳はつて、吉士は僕の荒唐無稽さを鬼の首を獲つた如く欣び勇んだ。

 吉士、月狂、天馬と僕との四人が集まつて句會でもやる時にはきまつて誰か一人が遲れるか缺席した。すると、そいつの惡口が絶えず話題にのぼつた。句會がはねて、喫茶店でお茶でも飮んで、その次はさてどうするかと云ふことになると、皆で二三十分も迷つた。卽ち催眠術にかかつてしまふのであつた。

 吉士と僕とはよく四國町の小路をぐるぐる步いた。「君は肺病になるぞ。」「君こそ今に喀血するよ。」「ぢやあ三十までに血を吐いた方が百圓出すことにしようか。」「しかし妙なものだね、僕は割に死なないよ、第一頭が餘計な心配しなくたつて、身體は疲れたら睡るし、だるけりや動かないし、自然にうまく調節してくれるので、つい感心してしまふ。」さう云ひながら二人は四つ角に來て、どちらへ行くべきか立留つたが、差當りいい智慧もなかつた。そこで眼の前の看板の文字を數へてみて、奇數だつたら左へ、偶數だつたら右へ折れることにした。

 月狂は醉ぱらつて神樂坂の乞食に煙草の輪を吹きかけて、衆目を集めると、諸君、人間は無限に生きる必要はないのであります、と、「マクロホウロス家の祕法」の科白(せりふ)のうろ憶えを一くさり演説した後、やあ諸君、と嬉々として袂別するのであつた。

 蛾眉は田舍の方から時々消息文を送つて來たが、蓄膿症はつらいとか、徽宗皇帝の繪がいいとか、美人に愛されたいとか、浮世の愚痴を織り混ぜてゐた。

 一夜、僕は睡れないので、警句のつもりで作つたのをまだ少し憶えてゐる。「絶望はアジア大陸よりも大きい。」「大きな船に乘つたつもりで疑へ。」「意識的に睡れるか。」「不眠症のときの淚はいたい。」

 吉士もよく不眠症になつたとみえて、闇のなかで寢返りをすると骨がポキリと鳴る音や、窓の外の犬が首環の金具を搖らがす音を聽いて、何とまあ現身(うつそみ)はかなしいものであるわいと云ふやうな文章を雜誌に掲げたことがある。

 天馬はいろいろ説を爲したがつた。有學説――つまり人は學問が大切だと云ふ論旨だつた。萬葉調美人――燒き滅ぼさん何とか、と云ふ情熱を持つた肥つた女のことらしい。大戀愛――ゲエテの戀がそれである。宇宙的苦惱――人麿の歌にはそれが漲つてゐると云ふのだ。僕が宇宙的趣味ぢやないかと云つたら、君は不眞面目で語るに足らないと云はれた。

 月狂は人間はつまり壁によりかかると云ふことをよく云つた。喫茶店へ入つても大概の奴が無意識に壁の方へくつつくのがそれで、結局人間は何か安定感を絶えず求めてゐるのださうだ。又、彼はアルツイバーセフの小説に、蟹が死んだ人間の腦髓を鋏で捩取つては喰つてゐる描寫を、無性に痛快がつたりした。

 四五人の間で頻繁に流通した言葉が可也あつた。モモンガ、富士山のバカ。老境。女童(めわらは)。オルガニイズム。なまけ道具。Vitality ――別にこれらは重要でないから註は省く。

 四五ニズムによる表現法とは凡そ次の如きものを謂ふのである。

 ○人間は牛や魚を食べて、難しさうな顏をしてゐるからをかしい。

 ○龜は馬鹿さ、噓だと思ふのなら芝公園の池で日向ぼつこしてゐるから見て來給へ。

 ○ベートーヴェンよ、ボオドレエルよ、李太白よ、ニーチエよ、釋迦牟尼よ、マリアテレサよ、(と偉い人の名前をやたらに竝べ)君は光だ、君は力だ、君は命だ、翼だ、軍艦だ、鯨だ。(などと結ぶ。)

 

 四五ニズムと云ふのも矢張りもやもやつとした一つの壁だつたのかも知れない。お互が顏を逢せば、忽ち暗默裡にいろんなことを了解し合つたので、時々僕達こそ選ばれたる種族ではないかと自惚れた。そしてお互の對比と配合が見れどもあかぬ趣きを持つてゐたので、ほのぼのとしてそこの空氣に浸つてゐることは誠に湯加減がよかつた。

 では何故、この四五ニズムが僕達の間から衰微して消滅したかと云ふに、それには種々の錯綜した事情もあつたが、(ここで再び四五ニズムの表現を用ふれば)つまり友情のマンネリズムに厭(あき)が來て、皆が戀愛に走り出したためである。そして今ではお互はちりぢりばらばらになつて、おのがじし女房のかたはらで暮してゐるのである。

 

(追加)四五ニズムに季があるかと考へてみたら、どうも初冬の部に屬するものらしい。下宿屋の四疊半で火鉢を圍んで四五人が鯛燒をかぢりながら猥雜なことを喋つたり、興じたり、嘆じてゐる光景は今にも初冬になると想ひ浮んで來る。吉士の句に、

   四五人の話杜絶えし火鉢かな

 

[やぶちゃん注:「四五ニズム」既注であるが、本文にも出る通り、原民喜二十一歳の大正一五(一九二六)年の暮れに創った手書き原稿回覧雑誌『四五人會雜誌』があり、この同人は青土社年譜によれば、原民喜の他、彼の盟友たちである熊平武二・長光太・山本健吉・銭村五郎の五人(四、五人の寄合)であったから、まずはこの文学志向グループ内部でのグループ通称(文学思潮名を洒落た)と考えてよかろう。但し、ここで言う「吉士」・「月狂」・「天馬」・「蛾眉」がそれぞれこの五人の中の誰なのかは不詳であるし、外されている風の五人目が誰なのかもよく判らない。「四五ニズム」は篇中に現われる例文からは「アフォリズム」のパロディと考えてよかろう(「四五ニズム」の「四」は「フォ」を「4」に掛けた洒落かも知れぬ)が、最後に「季」を問題にしている辺りからは、「五」は俳句の上・下五で雑俳や川柳的ニュアンスも含まれていると推定され(原民喜は俳句も好んだ。私の原民喜句集「杞憂句集」を参照されたい)、そこで「頻繁に流通した言葉」という部分からは、所謂、バレ句の臭いもプンプンして来るとは言えよう。或いは、「四五」は無意味な数字順列で「ダダイズム」のパロディと採ることも可能であろう。

「スウエデンボルグ」スウェーデンのバルト帝国出身の博物学者・神学者エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg  一六八八年~一七七二年)で、現在、本邦ではその心霊学や神智学関連の実録や著述(主要なものは大英博物館が保管)から、専ら、霊界関係者に取り沙汰される傾向があるが、その守備範囲は広範で魅力的である。以下、ウィキの「エマヌエル・スヴェーデンボリ」より引用する(一部の記号を変更、追加した)。父は『ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した』人物で、エマヌエルは『その次男としてストックホルムで生まれ』た。何と、十一歳で『ウプサラ大学入学』、大学を卒業後(二十二歳)は、『イギリス、フランス、オランダへ遊学』、二十八歳の時にカール世により『王立鉱山局の監督官にな』った。三十一歳で『貴族に叙され、スヴェーデンボリと改姓』、『数々の発明、研究を行ない』、『イギリス、オランダなど頻繁にでかけ』たが、一七四五年に『イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、以後』、『神秘主義的な重要な著作物を』、『当初』は『匿名で、続いて本名で多量に出版した。ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、スヴェーデンボリという人材を重視した王室の庇護により、回避された。神秘主義者への転向はあったものの、スウェーデン国民及び王室からの信用は厚く、その後国会議員にまでなった。国民から敬愛されたという事実は彼について書かれた伝記に詳しい。スヴェーデンボリは神学の書籍の発刊をはじめてからほぼイギリスに滞在を続け、母国スウェーデンに戻ることはなかった』。『スヴェーデンボリは当時』、『ヨーロッパ最大の学者であり、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などで、結晶学についてはスヴェーデンボリが創始者である。動力さえあれば』、『実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボリが』二十六『歳の時であり、現在』、『アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されている』。『その神概念は伝統的な三位一体を三神論として退け、サベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり』、『受難したというものである』。但し、『聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異な』り、『聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。また』、『スヴェーデンボリはルーテル教会に対する批判を行い、異端宣告を受けそうになった。国王の庇護によって異端宣告は回避されたが、スヴェーデンボリはイギリスに在住し』、『生涯スウェーデンには戻らなかった。 彼の死後、彼の思想への共鳴者が集まり、新エルサレム教会(新教会 New Church とも)を創設した』。『スヴェーデンボリへの反応は当時の知識人の中にも若干』、『散見され、例えばイマヌエル・カントは「視霊者の夢」中で彼について多数の批判を試みている。だが』、『その批判は全て無効だと本人が後年認めた事は後述する。フリードリヒ・シェリングの「クラーラ」など、スヴェーデンボリの霊的体験を扱った思想書も存在する。三重苦の偉人、ヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない。もしそれが可能であるとすれば、心臓がなくても生きていられる人間の肉体を想像する事ができよう。」と発言している』。『彼の神秘思想は日本では、オカルト愛好者がその神学を読む事があるが、内容は黒魔術を扱うようなものではないため自然にその著作物から離れていく。その他、ニューエイジ運動関係者、神道系の信者ら』『の中にある程度の支持者層があり、その経典中で言及されることも多い。新エルサレム教会は日本においては東京の世田谷区にあり、イギリスやアメリカにも存在する』。『内村鑑三もその著作物を読んでいる』が、彼及びその支持者の思想を『異端視する向きが』あることも事実で、『一例として、日本キリスト教団の沖縄における前身である沖縄キリスト教団では、スウェーデンボルグ派牧師(戦時中の日本政府のキリスト教諸教会統合政策の影響からこの時期には少数名いた)が、戦後になって教団統一の信仰告白文を作ろうとしたところ、米国派遣のメソジスト派監督牧師から異端として削除を命じられ、実際削除されるような事件も起きている』と記す。スヴェーデンボリは『神の汎神論性を唱え、その神は唯一の神である主イエスとしたのでその人格性を大幅に前進させており、旧来のキリスト教とは性格的・構造的に相違がある。スヴェーデンボリが生前公開しなかった「霊界日記」において、聖書中の主要な登場人物使徒パウロが地獄に堕ちていると主張したり』、『同様にプロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンが地獄に堕ちたと主張はした。だが、非公開の日記であるので、スヴェーデンボリが自身で刊行した本の内容との相違点も多い。この日記はスヴェーデンボリがこの世にいながら』、『霊界に出入りするようになった最初の時期の日記であるため、この日記には、文章の乱れや、思考の混乱なども見られる。なお、主イエスの母マリアはその日記』『に白衣を着た天国の天使としてあらわれており、「現在、私は彼(イエス)を神として礼拝している。」と発言している』。『なお、スヴェーデンボリが霊能力を発揮した事件は公式に二件程存在し、一つは、ストックホルム大火事件、もう一つはスウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件で』、これは心霊学の遠隔感応として、よく引き合いに出されるエピソードである。『また、教義内の問題として、例えば、霊界では地球人の他に火星人や、金星人、土星人や月人が存在し、月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発するなどといった、現代人からすれば奇怪でナンセンスな部分もあり、こうした点からキリスト教徒でなくても彼の著作に不信感も持ってみる人もいる』。『彼の生前の生き方が聖人的ではない、という批判もある。例えば、彼より』十五『歳年下の』十五『歳の少女に対して求婚して、父親の発明家ポルヘムを通して婚姻届まで取り付けておきながら』、『少女に拒絶された。 また、生涯独身であったわけだが、若い頃』、『ロンドンで愛人と暮らしていた時期がある、とされている。しかし』、『主イエスから啓示を受けた後、女性と関係したという歴史的な事実は全くない。次にスヴェーデンボリは著作「結婚愛」の中で未婚の男性に対する売春を消極的に認める記述をしている。倫理的にベストとはいえないかもしれないが、基本的にスヴェーデンボリは「姦淫」を一切認めていない。一夫多妻制などは言語道断であり、キリスト教徒の間では絶対に許されないとその著述に書いている』。『スヴェーデンボリは聖書中に予言された「最後の審判」を』一七五七年に『目撃した、と主張した。しかし』、『現実世界の政治・宗教・神学上で、その年を境になんらかの変化が起こったとは言えないため、「安直である」と彼を批判する声もある』。『哲学者イマヌエル・カントは、エマヌエル・スヴェーデンボリについて最終的にこう述べている。『スヴェーデンボリの思想は崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である、と』(K・ ペーリツ編「カントの形而上学講義」から)。『哲学者ラルフ・ワルド・エマソンも、エマヌエル・スヴェーデンボリの霊的巨大性に接し、カントと同様、その思想を最大限の畏敬の念を込めて称えている』。以下、スヴェーデンボリから影響を受けた著名人として、ゲーテ・バルザック・ドストエフスキイ・ユーゴー・ポー・ストリンドベリ・ボルヘスなどの名を挙げてある。『バルザックについては、その母親ともに熱心なスヴェーデンボリ神学の読者であった。 日本においては、仏教学者、禅学者の鈴木大拙がスヴェーデンボリから影響を受け』、明治四二(一九一一)年から大正四(一九一五)年まで『数年の間、スヴェーデンボリの主著「天国と地獄」などの主要な著作を日本語に翻訳出版しているが、その後はスヴェーデンボリに対して言及することはほとんどなくなった。しかし彼の岩波書店の全集には、その中核としてスヴェーデンボリの著作(日本語翻訳文)がしっかり入っている』とある(国立国会図書館近代デジタルライブラリーでエマヌエル・スヴェーデンボリ鈴木大拙訳「天界と地獄」が画像で読める)。なお、夏目漱石の「こゝろ」では、Kが彼に興味を持っており、それを「先生」に語り出すシーンがある(リンク先は私のブログ版初出復刻版)。

「マクロホウロス家の祕法」作者も書名も不詳。識者の御教授を乞う。戯曲か?

の科白(せりふ)のうろ憶えを一くさり演説した後、やあ諸君、と嬉々として袂別するのであつた。

「徽宗」北宋の第八代皇帝徽宗趙佶(きそうちょうきつ 一〇八二年~一一三五年)。ウィキの「徽宗によれば、『政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、水滸伝のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発した』が、『書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われる』とある。リンク先で肉筆画が見られる。

「アルツイバーセフ」十九世紀末から二十世紀初めのロシア文壇を代表する作家ミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフ(Михаил Петрович Арцыбашев 一八七八年~一九二七年)。ここで示された当該作は不詳。

「捩取つては」「もぎとつては」「捥ぎ取つては)或いは「えぐりとつては」(抉り取つては)。以前の漢字誤用からは前者の可能性が高い

「ベートーヴェン」拗音はママ。

「マリアテレサ」オーストリア・ハプスブルク家の実質上の神聖ローマ女帝マリア・テレジア(Maria Theresia 一七一七年~一七八〇年)の別称。]

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