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2017/12/04

《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 死相(葛巻義敏編集)

 

[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」に拠った。葛巻氏の推定(底本では本文末に彼の推定クレジットがある)によれば、本篇の執筆時期は先に電子化した狂人とほぼ同時期か少し後の、明治四二(一九〇九)年或いはその翌年とされる。芥川龍之介十七、八歳、府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)五年生(当時の旧制中学は五年生)か、東京帝国大学予科第一高等学校一年生の時のもので、同じく、青年期の芥川龍之介の最初期の本格小説の一篇と言える。但し、葛巻氏は恣意的な文脈合わせのための複数原稿の継ぎ接ぎを行ってしまって(底本の資料価値が研究者の間で著しく評価されない(例えば本「死相」は芥川龍之介の作品として挙げていない芥川関連書も多い)のはそのため)、整序されたものであることを了解した上で読まなくてはならない。冒頭の「編者註」にもそのことを含めつつ、『この一篇は、書式・其他等も、前の「老狂人」と変りなく、改良半紙に墨書きされたものであるが』、「老狂人」などより、遙かに『草稿の草稿であったらしく、無數の書きかえ部分と、その判讀しがたいまでの訂正のあととをとどめている。――(従ってこれは云う迄もなく、当然編者による、つなぎ合せ原稿である。)執筆の年代は相、「老狂人」よりも遅いかと思うが、(これはその亂れて書かれている筆蹟や墨のいろから判斷して、)しかし、それは幾ら遅いと考えても、中學の最高年級から高等学校の初年級までのものとしか思われない。――前の「老狂人」の場合には、偶然にもしろ、そのノオト斷片の樣なものがあったが、これについてはその文字なり、何からなり、想像し、その年代を推定するしかない。いま、それらの編者なりの詳しい「考証」は省くが、此處にも、――どこか、その天折と云うことに對しての、かなり強い關心が見られる。しかしそれは弱々しいものとしてあるのでなく、かなり鮮かな色彩感を以て在る事に、編者はかなり興味を感じている』と記し、こ『れには「不思議な、生への」情熱が感じられはしなかろうか。その作品の外貌とは別に』と述べておられる。

 〔 〕は編者の補訂字及び割注(判読不能注記)である。これがないと、そこで躓いてしまうので、敢えて採用させて貰った。傍点「ヽ」は太字に代え、踊り字「〱」は正字化した。「出刃」の「刃」は底本では異体字の「刀」の最終画左払いの左側面に離れて縦に点が打たれたものである。

 なお、冒頭の「蹠」は、私は「あうら」と読みたい。足の裏の意である。「暖な」は「あたたかな」である。【2017年12月4日 藪野直史】]

 

 死相

 

 年をとつた占者(うらなひ)は、白い眉の間に皺をよせながら、下から自分の顏を見た。

 長い衣が蹠がかくれる位にひきずつて、栗色の衣に、靑藍色の帶に、黃色い皮の袋に、白い眉をして、この易者は下から窺きこむやうに、自分の顏を見た。――(其袋の中には、多分――大方、天眼鏡でもはいつてゐるのであらう。――)頭には、毛が一本もなく、褐色の顏には、干からびた唇が久しい前から開いた事のない樣に、閉じてゐる。

 自分は頤に襟にうづめて、この腰かけた老人と向ひ合つて立つてゐた。――老人は、「ふうむ。」と、何度もうなづく樣に、自分の顏を見上げ、見下ろした。

「そんなに、何故、人の顏を見るのですか。――」

「見やう筈よ。」

 老人は、見るたびに、かう云つた。

 自分は、この易者と向び合つてゐるのが厭になつた。――算木も筮竹も持つてゐない易者は、自分の眉の間を指して、かう云つた。

「眉の間に、曇りがあるわ。――若死の證據よ。眉の間が、曇つてゐるのは。――」

「それが、どうしたと云ふのです。――」

「どうしたと云ふて、ただ、それだけの事ぢやよ。――」

「何時、死ぬのでせう。」と、自分はきいた。――思はぬ事に、自分の聲は、かすかにふるえてゐた。

「日輪がの。――日のうちに、暮(くら)くなる日が來るのぢや。――赤い日のおもてを、暗いかげが、蝕(は)む日よ。それを知らず、烏(からす)のむれが、輪をかいて鳴かう日よ。――その日には、向日葵(ひまはり)が散るがの。その花が散りつくすと、――やがて、若い命が亡(ほろ)ぶのぢや。それそれ、おぬし、向日葵のやうな命が、散りつくさう日よ。――」……老人は、「たゞ、それだけの事ぢやて。――へ、へ、へ、」と、その黑ずんだ、紫の唇で答へただけの事だつた。

 自分は默つてうなづいた。さうして、下を向いて、自分は自分の死ぬ日の事を考へながら、うちへかへつて來た。

 庭には、大きな向日葵(ひまはり)が黃色い花瓣の底に、黃色をした杯ほどの芯をつゝんで、――鮮かな〔葉〕の上に、暖な日の光を吸つてゐた。この花が散りつくしてしまふと、自分は死ななければならない。この花さへちらなければ、――自分は早速、この向日葵の根もとに、水をやつた。

 それから每日、向日葵に水をやつては、空の日を眺めてゐた。

 每日、大きな赤い日は東から出て、西へ沈んだ。しかし、日のおもては、燒金(やけがね)のやうに赤いばかりだつた。自分は老人が噓をついたのかと疑つた。かうやつて、何日向日葵(ひまはり)の根に水をやつたかわからない。さうして、水は何度柔かな土をしめしたかわからない。けれども向日葵は每日その黃色い花を東から西へ動かし、赤い日は每日、東から西へ、明(あかる)い空をめぐつてゐた。

 その中(うち)に、ある日まつ赤(か)な日が空のたゞ中へ來ると、暗い影が、その右の端にやどりはじめた。自分は息をとめて、その影が蟻のはふやうに、日のおもてを往(ゆ)くのを眺めた。暗い色がひろがるにつれて、空が夕方のやうにうす暗くなつて往つた。

 さうすると、西からも東からも、南からも、北からも、――黑い鳥が、木の葉のふるやうに、日のめぐりに集つて來た。黑い鳥は大きな輸を描いて、嬉しさうにないた。――それが皆、烏であつた。

 向日葵は、東から西へめぐるのをやめた。

 大きな黃金(わうごん)色の花は、眞つ暗い日を仰いだまゝ、じつと動かずに立つてゐた。自分も向日葵(ひまはり)のもとにすはつて、矢張暗い日を仰いで、――老人の云つた事は、ほんたうだと思つた。

 さうすると、黃色い出刃のやうな形をした、其大きな花群がぽたりと、――自分の胸の上へ落ちた。

「一つ。」――と、自分は勘定した。しばらくすると、又思ひ出したやうに、ぽたりと黃色い花瓣が散つた。「二つ。」――と、自分は漸く數へる。

 どす黑く濁つた空からは、絶えずものゝ聲が聞えて來た。それは〔以下数字分不明〕れたのを、つぶやくやうな聲であつた。――自分は、鳥が啼くのだと考へた。

 さうすると、三番目の花瓣が又、重たさうに、濕(しめ)つた黑い土の上に、黃色い瓣をつけた。

 空はだんだん暗くなる。――向日葵の眞つ黃色な花は、絶えまなく散つた。かうして、――自分は死ななければ、ならない。

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