ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) フウイヌム 不思議なヤーフ (1)
三章 不思議なヤーフ
[やぶちゃん注:現行版では柱は『二、不思議なヤーフ』。]
私が言葉を覺えるといふので、主人も、子供たちも、召使まで、みんなが私に言葉を教へたがりました。彼等は私のやうな〔つまらぬ〕動物が、〔見かけによらず〕賢いので、がつくりしてゐました。
私は手あたり次第、物を指さしては名前を聞きます。そして、その名前を手帳に書込んでおいて、發音の惡いところは、家の者に何度もなほしてもらひます。〔それには〕下男の栗毛の仔馬が〔、〕いつも私を助けてくれました。
この家の主人はも〔とても〕〔、〕ものずきで、それに、せつかちでしたから、閑なときには何時間でも、私に教へてくれました。彼は〔、〕はじめ、私をヤーフにちがいないと信じてゐました〔思つてゐたのださうです。→と考へてゐたさうです。〕しかし、ヤーフ〔の私〕が物を覺えたり、禮儀正しかつたり、綺麗好きなのに〔で〕、彼はよほど〔とても〕驚いたらしいのです。ヤーフなら決して、そんな性質は持つてゐません。
〔彼に→彼に〕一番わからなかつたのは、〔私の着てゐる→私の着てゐる〕洋服のこと〔だつたらしいのです。→のことで、あれは〔一たい何だらうかやはり身躰の一部分なのだらうか〔か→だらうか〕と、彼は何度も考へてみたさうです。〕ところが、私はみんなが寢靜まつてしまふまでは、決してこの洋服を脱がなかつたし、朝はみんなが起きないうちに、ちやんと身に着けてしまつてゐたのです。
[やぶちゃん注:現行版は最後の一文は独立段落で、『ところで、私はこの洋服を、みんなが寝静まってしまうまでは決して脱がなかったし、朝はみんなが起きないうちに、ちゃんと身に着けていたのです。』と順接の接続詞で始まっている。但し、原稿では「ところで」の「で」が抹消されたようにも見える。しかし乍ら、そこに「で」の字を添えてはいない。]
馬のやうにものが言へて、上品で利こう〔巧〕さうな、不思儀なヤーフが現れたと、私のことは〔が〕ひようばん〔評判〕になると、近くの■馬たちが、た〔度々〕、この家を訪ねて來るやうになりましたました。私を〔に〕逢ひに來る馬たちは、私の身躰が、頭〔顏〕と兩手の〔の〕外は、〔まるで〕普通の皮膚が〔まるで〕見えないのに〔で〕驚いてゐました。〔いつも〕私は誰でも裸のところを見せないやうに工夫〔用心〕してゐました。
ところが〔、〕ある朝、主人は栗毛〔召使〕の仔馬に云ひつけて私を呼びに來だし〔やり〕ました。〔その時〕私はまだぐつすり眠つてゐたので、服は片方にずり落ちシヤツは腰の上に載つてゐました。これを見て召使はすつかりびつくり
し てしまひました〔驚き、〕〔早速このことを主人に云つてしまつたのです。〕
それから、私が服を着て、主人の前に行くと、主人は不審そうにたづねました。
[やぶちゃん注:「すつかりびつくり し てしまひました〔驚き、〕」の「て」が残っているのはママ。この辺り、部分的に抹消しながら、そこで立ち止まって推敲している感じを再現したかった目的もある。現行版は前の段落と繋がって、
*
ある朝のことでした。主人は召使に言いつけて、私を呼びに来ました。そのとき、私はまだぐっすり眠っていたので、服は片方にずり落ち、シャツは腰の上に載っていました。これを見て召使はすっかり驚き、さっそく、このことを主人にしゃべりました。私が服を着て、主人の前に行くと、主人は不審そうに尋ねました。
*
となっている。]
「お前は寢た時と起きてゐる時とでは、まるで姿が變るといふことだが、それは一たいどういふわけなのか」
私は今迄〔これまで〕、あの厭なヤーフな〔族〕から〔できる〕区別してもらふために、洋服のことは祕密にしてゐ〔おい〕たのです。しかし今はもう隱せなかつたので〔くなりまし〕た。それに私の服も〔もう〕大分ひどくなりかけてゐますから、いづれボロボロになるでせう。そ〔さ〕うなれば何か新しいのを拵へねばなりませんから、その時、すつかり〔この〕祕密はわかつてしまひます。そこで主人に打ち明けてしまひました。
[やぶちゃん注:「それに私の服も〔もう〕大分ひどくなりかけてゐますから、いづれボロボロになるでせう。そ〔さ〕うなれば何か新しいのを拵へねばなりませんから、その時、すつかり〔この〕祕密はわかつてしまひます。」この部分の上部罫外には、大きな下向き丸括弧が被せてあり、現行版ではこの部分は丸ごとカットされている。]
「私の國では、仲間たちは〔みんな〕、動物の毛で作つたものを身躰につけてゐます。これは寒さや暑さを防ぐためと、〔それから、〕禮儀のためにさうするのです。それで、もし御命令〔それを見せよ〕とおつしやるなら、私は早速裸になつて、お目にかけてもよろしいのです。」
さう言つて、私はまづボタンを外して上衣を脱〔ぬ〕ぎました。次にはチヨツキ、それから順順に、靴、靴下、ズボンも脱〔ぬ〕いで行きました。
主人はさも不思議そうに眺めてゐましたが、やがて私の洋服を、一枚づつ拾ひあげて叮ねいに〔よく→はそれを〕檢査し〔てゐ〕ました。それから今度は、私の身體をやさしく撫でてくれたり、私の周りをぐるぐる廻つて眺めてゐました。それから〔かう云ひました。〕
「やはり〔これは〕ヤーフだ、ヤーフにちがひない、だが、それにしても皮膚の軟かさ、白さ、それから身躰の方々に〔あまり〕毛のないこと、四足の爪の形が短かいこと、いつも二本足だけで步くことなんか、他のヤーフどもとは〔、〕大分変つてゐるやうだな」
〔それから、〕私が寒さにブルブルふるへてゐるのを〔ので→と、〕顧
「もう見たくないから、服を着てよろしい」と彼は云〔い〕ひました。そこで、私も彼にこう言つてやりました。
「一つどうも面白くないことがあるのですが、それは〔あなたが〕頻りに私をヤーフ、ヤーフと呼ばれてゐること〔なの〕です。なにしろ、あんないやな動物たらないのですから、私だつてヤーフは大嫌ひなのです。どうか、これからはヤーフと呼ばれるのだけはよして下さい。それから、この〔洋〕服のことは、あなたにだけ打明けましたが、まだほかの人には〔どうか■〕祕密にしておいて下さい」
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「あんないやな動物たらないのですから」は「あんないやな動物」っ「たら」、「ないのですから」の意。「たら」は「といったら」「といった日にゃ」の謂いである。]
主人は私の願ひを快く承知してくれました。それで、この洋服の祕密はうまく守られました。
ある日、私は主人に身上話をしてきかせました。
「私は遠い遠い國からやつて來たのです。〔はじめ〕私のほかにも五十人ばかりの仲間が一緒でした。」〔でした。〕に乘つたのです。
私は船のことを出來るだけよく口で説明しました。 船といふものは
「この家よりも、もつと大きい、木でつくつた容れものに乘つて、海を渡つて來たのです。ところが途中で仲間喧嘩が起つて、私はこの海岸へ上陸させられました。それから私は〔が〕あの厭なヤーフたちににいぢめられてゐると、あなた肩に救はれたのです」
〔なのです。→のことなのです。→に乘つて、海を渡つて來たのです。」〕
〔私は船のことをうまく口で説明し、それが風で動くことも、ハンカチを出して説明しました。〕
すると、主人はかう聞きます。
「さうすると、誰が一たいその船を作るのだ。またお前の國のフウイヌム(フウイヌムといふのはこの國の言葉で、馬のことなのでした。)等か〔は〕、よくその船をヤーフなどにまかせておくだらうか。」
私は彼にかう云ひました。
「どうか私が〔の→が〕話を
「実はこれ以上、お話しするには、是非その前に、決して怒らないといふことを約束して下さい」
[やぶちゃん注:原稿の挿入指示に従って動かしてあるが、現行版の「フウイヌム」の説明位置は原稿の最初の位置に戻っており、丸括弧割注ではなく、地の文として独立段落として書かれてある。以下に示す。
*
「そうすると、誰が一たいその船を作るのだ。また、フウイヌムたちは、よくその船をヤーフなんかにまかせておけるだろうか。」
フウイヌムというのはこの国の言葉で、馬のことでした。私は彼にこう言いました。
「実はこれ以上、お話しするには、ぜひその前に、決して怒らないということを約束してください。」
*]
彼は承知しました。そこで私は話しました。
「実は船を作るのは、みんな私たちと同じやうな動物なのです。私それは私の國だけではなく、〔今迄私は隨分旅行しましたが、〕何處の國へ行つてみても、私と同じ動物が一番えらいのでした〔す〕。ところが、私はこの國へ來てみて、フウイヌムが一番えらいので、〔非常に〕驚きました。
それはあなた方が、ヤーフと呼んでゐられる人間に、理性らしいものがあるといつて驚かれるのと同じこと〔理窟→こと〕でもあの汚ならしい動物はなんとも私には譯がわかりません。」
[やぶちゃん注:以上の「それはあなた方が、ヤーフと呼んでゐられる人間に、理性らしいものがあるといつて驚かれるのと同じこと〔理窟→こと〕でもあの汚ならしい動物はなんとも私には譯がわかりません。」の箇所は現行版では丸ごとカットされて、ガリヴァーの台詞は「驚きました。」で鍵括弧が閉じて終わっている。]
〔私がかういふと、彼はたづねました〔びつくりして〕〔訊ねます〕。
「お前の國では、そのヤーフが一番えらいのか。そんな馬鹿なことがあり〔つ〕てたまるか。それでは、お前の國にはフウイヌムはゐないのかい。ゐるとすれば何をしてゐるのか、それを言つてみ給へ。」
私は答へました。「フウイヌムなら隨分たくさんゐます。夏は野原で草を食べてゐるし、冬になると家の中で飼はれて、乾草や燕麥を貰つてゐます。そして、召使のヤーフが、身躰を磨いたり、たてがみを梳いてやつたり、食物をやつたり、寢床を拵へてやつたりするのです」
「成〔な〕るほど、それでは、お前の國でも〔は〕フウイヌムの、〔が主〕人でヤーフは召使なのだな」と主人はうなずきました〔す〕。
〔「いや、実は〕フウイヌムの話をこれ以上おきかせすると、きつと、あなたは怒られるでせう。だから、もうこの話は申上げません〔よしませう〕」と私は云ひました。しかし、彼はなにもかも、ほんとのことが聞きたい〔のだ〕と云ふの〔せがみました→す。〕私はまた話しました。
「私の國ではフウイヌムのことを馬と呼んでゐますが、それは最も立派な美しい動物で、〔す。〕力もあり、速く走ります。だから貴人に飼はれて、旅行や競馬や馬馬車を引く仕事をしてゐる時は、大へ〔必ず〕ずいぶんいたはられます。〔大切にされます。〕しかし、病気にかかつたり、跛になると、今度は他所よそへ賣られて、いろんな苦しい仕事に追使はれます。
[やぶちゃん注:「追使はれ」「追ひ使う」で「忙しく働かせる・追い回してこき使う」の意。なお、現行版ではここで改行はなく、続いている。]
そして〔れに〕死ねば〔死ぬで〕、皮を〔は→を〕剝がれて値いい値段で賣られ、肉は犬なんかの餌にされます。そのほか、百姓や馬車屋に飼はれて、一生ひどくこき使はれ、ろくな食べものももらへない馬もゐます。」
それから、私は〔、〕馬の乘り方や、手綱や、鞍、拍車、鞭などのことを、できるだけわかるやうに説明してやりました。それから、鐡といふ硬い板を、〔馬の〕足の裏に打ちつけることも話してやりました。
主人は一寸、腹を立てたやうな顏を見せましたが、また、かう云ひだしました。
「それにしても、お前らが〔よくも〕フウイヌムの背中へ乘れるものだ。この家のどんな弱い召使だつて、一番強いヤーフを振落すくらいわけないし、ヤーフ一匹押潰すことなど誰にもできるのだ。」
私はまら云ひました。
「私の國の馬はもう三つ四つの頃から、訓練されます。どうしても■〔い〕けない奴は、荷馬車ひきに使はれます。もし惡い癖でもあれば、仔馬のうちにひどくひつぱたかれるのです」
〔かう言つても〕主人は私の話がまだ充分にわからないやうでした。そしてそして〔かう→かう〕云ひます。〔ました。〕
「この國では、動物といふ動物は、みんなヤーフを毛嫌ひしてゐる。弱い者はよけて通り、強い者は追つ拂つてしまふ。まあ〔といふ有あん〕ばいだ。してみると、かりにお前たち人間が理性をもつてゐるとしても、あらゆる動物から嫌はれてゐるのをどうするのだらうか。どうして彼等を馴らして使ふことなどできるのか、そこのところがわからない」
しかし、彼はもうその話はそれで打切りました。それから、今度は、私の經歴や生國のことや、この國へ來るまでに出あつた〔、〕いろんな事を話して〔きかせて〕くれと云ひ〔ます→ます。〕だしました〔ふ〕〔のです。〕そこで私は言ひました。
「それはもう、なんなりとお話いたしませう。ただ、心配なのは、とても説明できないやうな事が〔■■〕あるのではないかしらと思ひます〔と思います〕。あなたなどは考へたこともないやうなことがあるのであらうと思ひます。
[やぶちゃん注:現行版は削除部分が復活している。
*
「それはもう、何なりとお話しいたしましょう。たゞ、心配なのは、とても説明できないような、あなたなどは考えたこともないようなことが、多少あるのではないかと思います。
*]
まづ、私の生れはイギリスといふ島國です。この島はここから隨分離れてゐます。あなたの召使の一番強い者が步いて行つても、太陽が一年かかつて一周りするだけかかるでせう。私は一つ金儲をして、それで帰つたら一家〔族〕を養はうと思つて、國を出たのです。
今度のこの航海では、私が船長になつて、五十人ばかりのヤーフを使つてゐました。ところが、これが海〔上〕で大分死んでしまつたので、別のヤーフをやとひ入れました。ところが、それが海賊だつたのです。」
こんな風に〔私は〕話し〔て行き〕ましたが、主人は海賊などといふものがよく〔てんで〕分らないのでした〔、→した。〕
「いつたい、なんのために、何の必要があつて、〔人間は〕そんな惡いことをするのか。」
とききます。〔そこで〕私はいろいろ骨折つて、〔人間の惡徳を〕説明しましたが、彼はまるで一度も〔、〕見も聞きもしなかつた事を聞かされたやうに、驚きまし〔いきどほるのでし〕た。
一たいこの國には權力、政府、戰爭、法律刑罰、などといふ言葉が〔は〕〔まるで〕ないのです。ですから、こんなことを説明するには私は大変弱りました。しかし、主人は素晴らしく頭がよいので、私の話を〔も〕だんだん分つてくれました。
[やぶちゃん注:実は原稿の上では、次の章に関わってやや説明の難しい校正指示記号があるのであるが、それは次章で説明することとする。]
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