原民喜作品集「焰」(正規表現版) 冬晴れ
冬 晴 れ
上と下に路があつて眞中に櫻の並木が植(うわ)つてゐるが、上の方の路にはよく日があたつた。ところどころ家並が切れたところに川が見えた。一人の小學生が日のよくあたる方の路を步いて學校へ行つてゐた。すると後から上級生がやつて來た。苦味走つた顏の、力の强さうな上級生は彼と並んで一緖に步き出した。二人の肩に冬の朝日がぽかぽか照りつけた。櫻の枯木は生ぬるい影を地面に曳きづつてゐた。彼はその上級生が好きでも嫌でもなかつたし、別に話もなかつたので默つて一緖に步いてゐた。二人の小刻みな足なみは何時までも溫かい路の上をただまつすぐに進んでゐた。
突然、上級生が頓狂な聲をあげた。
「あ、驚いた。あそこに今、蛸がゐるのかと思つた。」
さう云つて上級生は櫻の根本を指差した。しかし、そこには日向のほか何もない。上級生は急に目が覺めたやうな顏つきでにつこり笑つた。
[やぶちゃん注:これは原民喜の少年期を綴った「幼年畫」群の中の、川沿いを下る登校ロケーションなどと極めて酷似するから、原民喜自身の思い出の中の一齣であることは間違いない。
「ひきづつて」はママ。]

