原民喜作品集「焰」(正規表現版) 霧
霧
何處かの邸(やしき)の裏らしい芝生の傾斜が、窓のところで石崖になつてゐた。窓からその傾斜を眺めると、針金を巡らした柵のあたり薄(すすき)の穗が搖れてゐて、靑空に流れる雲の姿が僅かに仰がれた。そこは色彩のない下宿屋の四疊半で、三人の男がくつろいだ姿勢で、くつろぎすぎた時間をやや持て餘してゐた。とは云へ三人が三人同じ氣分に浸れるのは、議論の果ての退屈に限つた。
彼等は逢へば始め必ず議論をしたが、勝手な言葉と世界觀の相違のため、何時も話は途中から喰ひ違つて、傍から觀るとまるで喧嘩をしてゐるやうであつた。小さな眼をした男は薄い唇を自在に動かして、大きな鼻をした男の攻擊に應じるのだつた。彼は人間最大の不幸は死の恐怖であり、人類の續く限りこれは消滅しないから、一刻も早く全人類を撲滅さすに限ると云ふ、ややシヨウペンハウエル流の考へを抱いてゐた。ところが彼に食つてかかる方の男はウパニシヤツトを愛誦し、たとへば富士山の崇高を仰ぐやうな氣持で、人諸君を肯定的に見渡してゐるのであつた。二人の議論にはあまり加はらないで、まづさうに煙草を吸ふ神經質の男は、この男は兩方へ味方しながら兩方へ反對する、つまりソフイストであつた。
今日も些細なことを發端として、小さな眼をした男と大きな鼻をした男との意見は結局一致しなかつたが、そのため大きな鼻の男の方がより不機嫌な顏をした。すると小さな眼をした男は議論をこの邊で打切る積りで、詠嘆的な調子で、
「しかし、僕はこの二三日フロイドのトーテムとタブウを讀んでるが、フロイドはいいね。一つ一つ胸に思ひあたることだらけだよ。」と云つた。すると大きな鼻をした男は如何にも我が意を得たやうな顏で、
「君もさう思ふのかい。」と云つて、今度は頻りにフロイドの話であつた。
そのうちに精神分析の話がだらけて、ほんとの冗談になつて來ると一番にソフイストが口をきいた。
「君達だつて今にのうのうと女房持つて收まるとよ、オイ、葱を買つて來給へよ、なんて云ふのだらうね。」
すると眼の小さな男は鼻の大きな男の口眞似をしながら、
「オイ、竹田さんがおいでになつたから、牛肉と葱買つて來いよ。オイ、オイ、それから燒豆腐も忘れるなよ。コラ、コラ、何故返事しないのだ。ハハハ、君が一番に女房もつて子供生むにちがひないよ。」
「俺は子供なんか生まない。」と大きな鼻の男は不平さうに呟いた。
三人は退屈しながらも何時までも別れようとはしなかつた。夕方から街を覆つた霧が窓の方へも寄せて來た。彼等の氣持も霧のやうに段々重苦しく不透明になつて來た。そこで街に出てひどい霧のなかを通つて、喫茶店で濃いコーヒーを飮んだ。しかし、もう誰もあまり口をきかないのであつた。三人は更に無意味に街を步いて、步き疲れて、觀念(あたま)も肉體(からだ)も冷えきつて、唯一杯の支那そばが食ひたくなつた。
支那そば屋の粗末な椅子に並んで腰を下すと、三人は無言で溫かいそばの湯氣に頰を埋めた。彼等と少し離れた柱のところには女給が三人控へてゐたが、それらの若いよく肥えた顏の赭い女達は、三人の客には無關心で、何か勝手なことをてんでに話合つてゐた。恰度三人がそばを食べ了へて、ぼんやり女達のお喋りを眺めてゐると、不圖一人の女が大儀さうに身をくねらして伸びをした。すると後の二人もそれに誘はれて同じやうに全身をくねらして實に無造作に伸びをしたのである。男達は咄嗟に何を聯想したのか、期せずして一時にワハハハハと噴き出してしまつた。
「出よう。」とこの時眼の小さな男は立上つた。
[やぶちゃん注:「シヨウペンハウエル」人生は本質的に苦であり、それから解放されるためには意志否定しかないとした、ドイツの厭世主義哲学のチャンピオンで実存主義の先駆者ともされるアルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer 一七八八年~一八六〇年)。
「ウパニシヤツト」サンスクリットで書かれた、バラモン教の聖典ヴェーダ(紀元前一千年頃から紀元前五百年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称名。「ヴェーダ」は「知識」の意)の関連書(奥義書)。特にベーダ文献の最後の部分が核となった古代インド宗教哲学で「ベーダーンタ」(「ベーダの終わり」)とも称する。宇宙と人生を支配するブラフマン(梵)とアートマン(我)の一致を説き、仏教発生以前に輪廻と業の思想を説いている。
「ソフイスト」sophist。詭弁家。元来は「知者」の意で、紀元前五世紀頃の古代ギリシャに於いてアテネを中心として弁論術や政治・法律などを授けた職業的教育家(プロタゴラス・ゴルギアスらが代表)を指したが、後世では「詭弁を弄する人間」の卑称となった。
「フロイドのトーテムとタブウ」精神分析学の創始者であるオーストリアの精神医学者ジークムント・フロイト(ドイツ語:Sigmund Freud 一八五六年~一九三九年)が一九一三年(大正二年相当)に発表した論文“Totem und Tabu”(「トーテムとタブー」)。神話や文学の中に出現する「父殺し」のモチーフに基づく文化論的仮説。平凡社「世界大百科事典」等によれば、原父存在による独裁と女たちの独占が、父から追放されていた兄弟群による原父殺しと女たちの獲得競争へ発展し、種族保存のために不可避的に成立する近親相姦のタブーへの抵触が、贖罪観念と原父の神格化を生じ、それが宗教発生の起原となったとするもので、所謂、フロイトの提唱する一連のエディプス・コンプレクス的状況が人類の歴史上に現実に起こり、文化の核心を形成したとするもの。私は小学校高学年から二十代半ばまでは完全なフロイディストで、日本教文社の「フロイド選集」全巻を精読したが(高校までは本気で心理学を専攻しようと思っており、某大学の心理学科も受けたが、落ちた)、ユングに色気を持って移りつつも、結局、彼らの恣意的な客観的証明不能性の思いつきに飽きた。]

