老媼茶話巻之六 邪見の報 / 老媼茶話巻之六~了
邪見の報
奧州にて、何方(いづかた)といふ處は知らず、甚六といふ百姓有り。ほういつ邪見、類(たぐひ)なきものなり。父母、はやく死(しに)て、姉壱人、有(あり)。姉も若くして夫を失ひ、孀住(ヤモメずみ)にて、壱人の娘「ふじ」とて、十二成(なる)を持(もち)けり。此姉も、風をなやみて、死す。
姉の娘、懸(かか)るべきよすがもなかりしかば、甚六、ひきとりけるに、つらくあたりける事、いふ斗(ばかり)なし。
或時、ものゝうせけるに、
「ぬすみ取(とり)たるらん。」
とて、冬の事なるに、つよくしばりて、うらの栗の木にくゝり付(つけ)、食も喰(くは)せず。
娘は、なきさけび、もだへこがるれども、誰(たれ)取(とり)さゆるものも、なかりしかば、曉方(あかつきがた)、終(つひ)に、こゞへ、死す。
死骸(むくろ)をも野原へ捨(ス)てけるまゝ、おのづから鳶・烏の餌食となしぬ。
女郎(メロウ)がぬすみしといゝしものも、程經(ほどへ)て、おもわずの所より出(いで)にけり。
其明(あく)る春、元朝に、持佛堂、頻りになり出し、誰業(たがわざ)とも知れず、位牌其外、佛具、甚六夫婦がひざ元へ、なげやりける。
其夜より、めろうが面影、有有(ありあり)と甚六が目に見へて、いぶせかりしかば、山伏を賴み、祈禱をするに、しゆみだんに餝(かざ)り置(おき)たる、とつこ・花皿(はなざら)・れい・しやくじやう、不殘(のこらず)、表へなげ出(いだ)しけるまゝ、山伏、肝をけし、逃歸(にげかへ)る。
甚六、
「神に願懸(ぐわんかけ)をして、此あやしみをのがれん。」
と思ひ、柳津(やないづ)へ參り、歸りに岩坂といふ處にて夕飯を認(したた)めけるに、茶屋の亭主、弐人前の膳を出(いだ)しける儘、
「我、壱人にて、つれは、なし。一膳の外(ほか)いらぬ。」
といふ。
亭主申(まうす)は、
「慥(たしか)に、十二、三ばかりの女郎(メロウ)の、ふるきゆかたに三ツ蔦(つた)の紋、付(つけ)しが、髮もゆわず、面(おもて)も洗はず、きたなげなるが、
『我等は甚六が姪にて候。膳を認(したた)め呉候得(くれさふらえ)。』
と申(まうし)て、座敷へ入(いり)候まゝ、二膳、儲(まうけ)しに、其めろうは、いづくへ行(ゆき)候哉。」
といふ。
甚六、心に思ふ、
『扨(さて)は。「ふじ」めが亡靈、付(つき)ありくよ。』
と思ひながら、
「あるじは何を見玉ひし。我より外に、とものふ者もなきもの。」
といふて、其夜はとゞまり、曉(あかつき)早く、宿へ歸りけるに、坂下(ばんげ)と云(いふ)里にて咽(のど)かわきけるまゝ、折節、出茶屋(でぢやや)に冷麥(ひやむぎ)の有(あり)けるを、茶店に腰懸(こしかけ)ながら、喰けるが、弐、三度、さらを取落(とりおと)し、打(うち)こぼしけるうへ、皿を割(わり)ける。
「是は。おもわず、そそふ、いたしける。面目(めんぼく)なし。」
といへば、茶やの男、
「されは不思義なる事候。其方(そなた)の側(そば)に、十二、三斗(ばかり)の小(こ)めろう、付添居(つきそひゐ)て、冷麥を喰(くは)んといたさるれば、手を出(いだ)し、皿を引取(ひきとり)、打(うち)こぼし候。今も、左の方(かた)に、まぼろしごとく、居(ゐ)申(まうし)たり。」
といふ。
甚六、彌(いよいよ)心をくれ、宿へ、かへりける。
日暮て行灯(あんどん)をともしけるに、此行灯、持(もつ)人もなく、中(ちゆう)を飛(とび)あるきける間(あひだ)、家内の者共、驚見(おどろきみ)れば、行灯を持(もち)ける小(ちひさ)き手節(てぶし)斗(ばかり)有(あり)て、人は、みへず。
とび懸り、おさゑんとすれば、手にさわるもの、なし。
甚六夫婦ふしける寢屋江鍋・かま・藥鑵(ヤクハン)の樣なるものを、つぶてに打入(うちいれ)、
「是は。」
と、驚起(おどろきおき)さわぐに、何も、なし。
せんかたなくなりけるに、あるもの申けるは、
「是は何樣(なにざま)、狐狸の類ひ成(なる)べし。化ものゝ通ふべきと思ふ所へ干砂(ヒスナ)をふり置(おき)、足跡を見玉へ。」
といふ。
甚六、
「實(げ)にも。」
とて、亡靈の來(きた)るべきとおもふ、高窓の下へ、砂をふりける。
某日の暮方、件(くだん)の窓より、幽靈、顏を出(いだ)し高高(たかだか)と笑(わらひ)、
「我を狸狐とおもふかや。己(おのれ)が惡逆、已に報ひ、天より下(くだ)れる災(わざはひ)なり。いかゞして遁(のが)るべき。覺悟せよ。」
と言(いひ)て消失(きえうせ)たり。
其後、甚六、さまざま、「ふじ」が跡、よく吊(とむら)ひければ、亡靈もきたらず、つゝがなかりし、とかや。
老媼茶話卷之六終
[やぶちゃん注:このエンディングは、この慈悲もなき甚六にして、怪談として承服することは私には全く出来ない。本篇は、冷麦のシークエンス及び行灯のところに小さな瘦せた手首だけが見えるシーンが、まっこと、絶品である。
「ほういつ」「放逸」。
「こゞへ」底本は「こゝへ」。歴史的仮名遣の誤りで「凍え」。底本も右に添漢字で『凍』とする。
「女郎(メロウ)」歴史的仮名遣は「めらう」が正しい(現代仮名遣は「めろう」)。後に出る「小女郎」とともに小娘・少女の意。
「しゆみだん」「須彌壇」。仏堂内等に置いて仏像を安置する台。帝釈天の住むとされる須弥山(しゅみせん)を象ったものとされ、四角・八角・円形などの形のものがある。
「とつこ」「獨鈷」。密教・修験道で用いる仏具金剛杵(しょ)の一つ。金属・象牙などを主材料とし、中央に握り部分があり、両端が尖っている杵形(きねがた)の仏具。元は古代インドに置いて敵に投げつける武具。独鈷杵(とっこしょ)。
「花皿(はなざら)」「花籠・華筥」と書いて「けこ」とも呼ぶ。法事の際に散華(さんげ:仏を供養するために周囲に花を蒔き散らすこと。現行では蓮の花弁に象った紙を用いる)に用いる花を入れる仏具。元は竹籠であったが、後には金属で皿形に作り、下に飾り紐や房を垂らし、装飾性が高くなった。
「れい」「鈴」。独鈷等と同じ法具の一つである五鈷鈴(ごこれい)であろう。独鈷の仲間で両端が五つに分かれているものを五鈷(杵)と呼ぶ(以下、私の目の前にずっと昔、タイで買ったそれが置いてある)が、その一方が鈴になっているもの。
「しやくじやう」「錫杖」。
「柳津(やないづ)」現在の福島県河沼郡柳津町(やないづまち)。ここ(グーグル・マップ・データ)。「參り」とあるのは、同地区にある霊岩山円蔵寺であろう(縁起などによれば、大同二(八〇七)年に空海作とされる虚空蔵菩薩像を安置するために徳一なる人物が虚空蔵堂を建立したのを始めとする)ここの只見川畔にある臨済宗(現在)の霊岩山円蔵寺(本尊は釈迦如来)の虚空蔵堂は「柳津の虚空蔵さま」として親しまれ、その本堂の前は舞台になっていることは既に注した。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「岩坂」柳津町柳津岩坂町甲があり、ここはまさに円蔵寺の北直近である。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「ふるきゆかた」「古き浴衣」。
「三ツ蔦(つた)の紋」これ(グーグル・画像検索「三ツ蔦」)。
「とものふ」「伴ふ」。
「宿」自宅。
「坂下(ばんげ)」現在の福島県河沼郡会津坂下町(ばんげまち)。ここ(グーグル・マップ・データ)以上の三つの地名から、冒頭、「奧州にて、何方(いづかた)といふ處は知らず、甚六といふ百姓有り」と始めているものの、甚六の居所は現在の会津若松市内或いは猪苗代周辺と推理してよいと思われる。
「そそふ」「麁相・粗相」。
「中(ちゆう)」「宙」。
「おさゑん」「押さへん」。
「甚六夫婦ふしける寢屋江鍋・かま・藥鑵(ヤクハン)の樣なるものを、つぶてに打入(うちいれ)」「是は」「と、驚起(おどろきおき)さわぐに、何も、なし」「天狗の石礫」というよりも、これは最早、「ふじ」という未成年の少女(ここでは亡くなっているけれども)が関係するというあたりも、典型的なポルターガイスト(ドイツ語:Poltergeist)現象で、実に興味深い。]