柴田宵曲 俳諧博物誌(16) 雀 一
雀
一
河童、狸といささか妖気ある世界を低徊し過ぎたから、今度は思いきり平凡な雀を取上げる。この鳥ならば現在の東京の真中にも平気で棲息する。先日も雨の降る寒い日、昭和通りの枯芝の上に何を啄むのか、雀が何羽も下りていた。「雀の聲を三年聞かざり」とかいう啄木の歌があったが、彼の歿後已に四十余年を経ているにかかわらず、雀はまだそれほど払底になっていない。
[やぶちゃん注:「雀」動物界 Animalia脊索動物門 Chordata脊椎動物亜門 Vertebrata鳥綱 Avesスズメ目 Passeriformesスズメ科 Passeridaeスズメ属 Passerスズメ Passer montanus亜種Passer
montanus saturatus。
『「雀の聲を三年間かざり」とかいう啄木の歌があった』引用は「雀の鳴くを三年聽かざり」の誤りである。よほど宵曲は記憶引用に自信のあったものか、こうした杜撰なものが多い。「とかいう」で誤魔化せるものではないと私は断ずる。これは石川啄木(明治一九(一八八六)年~明治四五(一九一二)年四月十三日)「一握の砂」(初版は明治四三(一九一〇)年東雲堂書店刊)の、「煙」の章の「二」にある、
ふと思ふ
ふるさとにゐて日每(ひごと)聽きし雀の鳴くを
三年(みとせ)聽かざり
である。
「彼の歿後已に四十余年を経ている」本書は昭和五六(一九八一)年の宵曲没後十五年も経過してからの刊行(宵曲は昭和四一(一九六六)年八月二十三日に満六十八歳で亡くなっている)、仮に没年から遡っても、五十四年前になるから、この「俳諧博物誌」自体は、昭和一八(一九四三)年よりも後、文書の端々から見るに、原稿自体の完成は戦後で、昭和二〇年代(昭和二十九年としても四十二年前)か昭和三十年代初めに出来上がったものではなかろうかと私は推測する。]
単に雀といっただけでは季にならぬが、孕雀(はらみずずめ)、雀の子、稲雀、寒雀と彼は四季の随所に顔を見せている。初鴉(はつがらす)の向うを張った初雀などというのもある。季題の多いことは一面その存在の平凡を証すると共に、人間生活と交渉の多いことをも意味する。欧陽修をして「憎蠅賦(ぞうようふ)」を草せしめたほど、人に好かれぬ蠅が、一たび俳諧の天地に足を蹈入(ふみい)れると、夏に本拠を占めていたる外、春の蠅(蠅生る)、秋の蠅、冬の蠅と各季にわたっているなども、慥に這間(しゃかん)の消息を語るものである。但(ただし)季題の雀はそれぞれ検索に苦しまぬから、ここではそれ以外のものについて、彼の小さな足跡を尋ねることにしたい。
[やぶちゃん注:「孕雀(はらみずずめ)」仲春の季語。
「雀の子」晩春の季語。
「稲雀」三秋(秋全体汎用)の季語。
「寒雀」三秋の季語。
「初鴉」「初雀」孰れも新年の季語。
「欧陽修」「憎蠅賦(ぞうようふ)」北宋政治家で詩人の歐陽脩(一〇〇七年~一〇七二年)の一〇六六年の作。但し、彼のこの賦の蠅は政治上の対抗勢力に属する者たちの比喩として用いられている。]
鳥類の平凡な一対を求めるならば、鳶鴉(えんあ)に対する燕雀は最も代表的なものであろう。しかも鳶と燕とはその昔が等しく「エン」であるという外、何の繫りも認められぬにかかわらず、鴉と雀とはしばしば随伴的な立場にあり、鴉は大黠(だいかつ)、雀は小黠と評し去った人もある。啼声(なきごえ)の上から鴉は孝、雀は忠などと意外な美名を被(かぶ)せる人もある。「鴉の啼かぬ日はあれど」という月並な台詞は、鴉の声の極めてあり触れたものである証拠で、その意味からすれば「雀の啼かぬ」といい替えても同じ事である。それが鴉の専有に帰してしまったのは、形が大きいからかどうかわからぬが、決して名誉ある資格とは思われぬ。
[やぶちゃん注:「鳶鴉(えんあ)」鳶(とび)と鴉(からす)。與謝蕪村の「鳶鴉圖(えんあず)」で知られる(リンク先はウィキの「与謝蕪村」の付属画像)。
「黠」は「黒くて堅いもの」・「賢い、聡い」・「悪賢い、ずるい」の意であるから、最後を採るべきであろう。]
元日や晴れて雀の物語り 嵐雪
元日
蓬萊(ほうらい)の晝ぞ雀の起る時 來山
大年(おほとし)も雀の遊ぶ垣ほかな 杉風
元日から大晦日にわたるということは、一年中三百六十五日の意味になる。即ち家常茶飯的存在である。この平凡な動物に対して何らかの観察を下すことは、かえって平凡を破る結果になるのかも知れない。
[やぶちゃん注:「蓬萊」関西で新年の祝儀とする飾り物の一つ。三方(さんぼう)の盤の上に白米を盛って熨斗鮑(のしあわび)・搗(か)ち栗・昆布・野老(ところ)・馬尾藻(ほんだわら)・橙・海老などを飾ったもの。江戸では「食い積み」と呼んだ。
「大年」大晦日。]
梅に鶯は久しく天下の春を領した。柿の鴉、稲田の雀も平凡な点において一歩を譲らざるを得ぬであろう。鶯がそれほど天下に遍在するわけではない。梅に配するに及んで全く平凡陳腐なる画題となりおわるのである。しかるに雀はこの鶯の領分たる梅の上にも、無遠慮に足を進めて来る。
我宿の梅に羽をこく雀かな 一笑
雀五羽鳴て夜明の梅の花 桃鄰
煤(すす)はけば梅の塵とる雀かな 陋連
梅寒し柹かたびらでなくすゞめ 汶村(ぶんそん)
梅が香に醉(ゑふ)べきほどの雀かな 知足
これらはいずれも句としてすぐれたものではないが、常套的な梅に鶯と比べれば、どこか清新な趣を具えている。『万葉集』などを見ると、鶯はもっと自由な天地に遊んでいるようだから、その後においていわゆる「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の因縁を生じたものであろう。雀の羽色を柿の帷子に見立てた句の如きも、『俳語博物誌』なるが故に特に看過しがたいのである。
梅ばかりではない。雀は鶯とも同席する。蕪村などは「鶯を雀歟(か)と見しそれも春」という錯覚を起した位であった。
うぐひすの聲に起行(おきゆく)雀かな 桃鄰
もしこれが梅の枝であったとしたら、何方が主だかわからないわけである。
その他椿(つばき)のところにも出て来る。
舊庭(ふるには)や椿にかゝる雀 土芳(とはう)
山吹の側にもいる。
やまぶきや雀すたまる土ほぜり 野坡
特に活躍するというほどでもないが、随所に春を見出しているらしい。
花に出て媼(あう)が雀や高さるき 野坡
この「花」は桜と見るべきであろう。媼の籠(かご)から放たれて、桜花爛漫の天地を逍遥する意かと思われる。
[やぶちゃん注:後の句、宵曲の解説で意味は判るが、下五が文法的に不審である。どなたか、御解説頂けるとありがたい。]
雀子に目を摺(すい)赤む櫻かな 越人
一読しただけでは直(すぐ)に意味を捕捉しにくいが、「源氏物語若紫の卷に犬公(いぶき)がはなちける雀の子の泣給ふを」という前書によって、その種は自(おのずか)ら明瞭になる。山寺の尼君の許に預けられている紫の上が、雀の子が逃げてしまったといって泣く、あどけない様子を句にしたので、折ふし山の桜は盛であるというし、「目を摺赤む」の一語も『源氏物語』の本文に「顔はいと赤くすりなしたり」とあるのを用いたのだから、越人の働きと見るべきところは殆どない。
柳に雀の配合は画題としても平凡なものであるが、俳語はそこに或(ある)動きを見出した。
とまりつゝ雀あふのく柳かな 海動
野すゞめの來てぶらさがる柳かな 水杖
靑柳に雀さへづる夕日かな 芙雀
「とまりつゝあふのく」円(まる)い頭の動きにしろ、「來てぶらさがる」やや緩慢な動きにしろ、画は捉えようとする瞬間にこれを失いやすい。夕日を浴びた青柳の明るい眺(ながめ)は画裡のものであっても、そこに一雀語を点ずることは竟(つい)に困難であろう。
春雨の日のつれづれなるままに窓外の雀に目を留めた句は、
春雨に雀かぞゆる夕部(ゆふべ)かな 如嬰
をはじめとしていくつかある。
はるさめにつはり雀や藏の軒 野坡
春雨に寄て雀の療治かな 同
春雨の先はうき世の雀かな 助然(じよねん)
はるさめのあがるや軒になく雀 羽紅
この中で「雀の療治」はいささか特殊な事柄に属する。『宇治拾遺物語』にある雀報恩譚の類でもあるまいが、何か怪我をした雀でもあって、皆がその手当をしてやる。小さな雀の療治のために、皆が寄って何かするところに、春雨徒然(つれづれ)の情景はよく現れている。但(ただし)一句の自然という点において、羽紅の「軒になく雀」を推さざるを得ぬ。
[やぶちゃん注:「『宇治拾遺物語』にある雀報恩譚」これは「宇治拾遺物語」「卷第三」に載る「雀報恩事」。原文はこちら(電子テクスト・サイト「やたがらすナビ」のデータ)、訳はこちら(個人サイト「日本古典文学摘集」内。こちらには原文もある)を参照されたい。]
春風にわらすべ盗む雀かな 爲有
かとりにて
巣のためか幣(ぬさ)くはへ行(ゆく)村雀 峽水
この二句はいずれも春の雀の巣を造る営みを描いたのである。香取神宮のある土地柄だけに、御幣の紙を雀が銜えて行くというのは、慥に特殊な事実であり、俳人の観察の凡ならざるを証するが、二度三度読返すに及んで、やはり「わらすべ盗む」の自然なるに如(し)かぬという感じがする。事実の奇は一応人を驚かし得ても、結局それだけにおわることが多いのは、前の春雨の例と同じである。
苗代の繩にとまるやむら雀 長虹
散花(ちりばな)の錢箱守る雀かな 野徑
かげろふや巢立(すだち)雀の具足羽(ぐそくばね)
車庸
いそがしや春を雀のかきばかま 正秀(まさひで)
菜畑に花見顏なる雀かな 芭蕉
うらゝかやふくら雀も窓近き 淡節
荷鞍(にぐら)ふむ春の雀や緣の先 土芳
春の雀の活動範囲はなかなか広い。「かきばかま」は前に挙げた「柹かたびら」と共に、雀の衣裳付として注意する必要がある。「ふくら雀」は其角にも「神無月ふくら雀ぞ先寒き」という句があった。後には主として文様的に意識されるようになった「ふくら雀」も、古人は生きた動物の上にこれを描いているのである。「肥え張(ふく)れたる雀の羽を延ばしたる野が、春のうららかさにも調和すれば、冬の寒さにも調和するから面白い。「荷鞍ふむ春の雀」の句は題材が変っているのみならず、真実味の上からも人に迫る力を持っている。而して前の羽紅の「はるさめ」の句も、この句も共に『猿蓑』所収のものである。こういう自然の裏に蔵された力が、元禄期の俳書中にあって『猿蓑』の異彩を放つ所以であろう。
[やぶちゃん注:「具足羽」風切り羽の畳んだ際の下方の後方に下がる部分を兜の錣(しころ)や鎧の草摺(くさずり)に擬えたものであろう。
「猿蓑」芭蕉が監修し、向井去来と野沢凡兆が編した俳諧七部集の第五集。蕉門撰句集の最高峰とされる。元禄四(一六九一)年刊。]
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