原民喜作品集「焰」(正規表現版) よみがへる父
よ み が へ る 父
父の十七囘忌に歸つて、その時彼の緣談が成立したのだから、これも佛の手びきだらうと母は云ふ。その法會の時、彼は長いこと正坐してゐたため、足が棒のやうになつたが、燒香に立上つて、佛壇を見ると、何かほのぼのと暗い空氣の奧に光る、かなしく、なつかしい夢のやうなものを感じた。
彼は奈良に立寄つて、大佛を見た。その時、かたはらに妻がゐると云ふことがもう古代からのことのやうに思へた。何人かここに來て、何人か死んで行つた――そこの太い大きな柱をめぐつて、年寄の女が御詠歌をうたつてゐた。
彼の妻は父のことを聞くのを好んだ。彼はそれで以前よりか、もつと細かに父に關する記憶を掘り出すことが出來た。すると、そればかりではなかつた。あちらからも、こちらからも並木路が見えて來た。何年も憶ひ出さなかつた記憶がそこを走り𢌞つた。
[やぶちゃん注:原民喜の父信吉は陸海軍官庁用達を勤めた人物で、慶応二(一八六六)年生まれで、大正六(一九一七)年二月に胃癌のために亡くなっている。ここには「十七囘忌」とあり、信吉のそれは昭和八(一九三三)年に相当し、この年の三月に原民喜は広島県豊田郡北郷町の父の知人米穀肥料問屋永井菊松の次女貞恵と見合い結婚しているから、ここに出る内容と事実が完全に一致する。なお、私はこの中間部(第二段落)は私の偏愛する堀辰雄の「淨瑠璃寺の春」(昭和一八(一九四三)年一月から『婦人公論』に連載を始めた「大和路・信濃路」で「淨瑠璃寺」と題して同年七月号に掲載された。後に「淨瑠璃寺の春」と改題して、作品集「花あしび」(青磁社昭和二一(一九四六)年刊)に所収された。リンク先は私のブログ・ベタ・テクスト)のコーダ、『僕はそのときふいと、ひどく疲れて何もかもが妙にぼおつとしてゐる心のうちに、けふの晝つかた、淨瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあつて見てゐた自分たちの旅すがたを、何んだかそれがずつと昔の日の自分たちのことででもあるかのやうな、妙ななつかしさでもつて、鮮やかに、蘇らせ出してゐた』を私に直ちに想起させる。]

