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2017/12/27

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 父が生んだ赤ん坊

 

 父が生んだ赤ん坊

 

 廣子は父が出て行くと每日一人でアパートの六疊で暮した。お晝頃父が拵へて置いてくれた辨當を食べると、繪本などを見てゐるが、そのうちに段々淋しくなつて耳を澄ます。すると隣りの部屋には夜半(よなか)によく夢をみて怒鳴る怕い小父さんがゐるらしいのだが、ことりとも物音を立てないので何をしてゐるのか氣味が惡くなる。と、それが直ぐにむかふに通じたのか、突然隣りの小父さんはへらへらと小聲で笑ふのだ。……廣子は一そう心細くなつて、兩手で顏を掩ふと疊の上に蹲(しやが)んでしまふ。繪本で見たお化けが、その時ちらちらと目蓋の闇に現れて來るのだ。そのうちに父の靴音が廊下から段々近づいて來る。

 ――お父さん 廣子は父の姿を見ると半分泣聲で云ふ。

 ――おお、おとなしく待つてたね 父は廣子の頭を一寸撫でる。

 ――お父さん、お父さんはまだ赤ちやん生まないの?

 さう云はれて父は急に片腹を痛さうに抑へてみて、

 ――うん、もうすぐ生れさうなのだが、さうだね、この調子だと明日かね、明後日はきつと生れるよ。

 ――お父さんは私も生んだの?

 ――さうだとも、廣子ちやんを生んだ時はな、實に譯なかつたよ。ワン、ツのスリーで生れたんだよ。

 ――ぢやあなぜ今度も早く生まないの?

 ――うん、うん、生むとも、なあ、今夜かね、明日かね、とにかくお父さんが赤ちやんを生めば、お母さんだつてすぐに他所から歸つて呉れるよ、ハハハ、お母さんがゐなくて淋しいのだらう。

 廣子は頭を橫に振る。父はをかしさうに笑ひながら、

 ――おやおや、廣子ちやんはそんなにお母さんが嫌ひかい。

 ――お母さんは怕いの。

 ――ハハハ、なあに怕かないよ。 父は一寸舌を出して變な顏をする。

 

 そのうちに到頭廣子の父は赤ん坊を生んだ。他所から父母が同時に歸つて來て、赤ん坊を父が得意さうに抱へてゐたのだから、廣子は終に父がお産をするところを見損つた。母は少し靑ざめた顏だつたので歸ると直ぐに床を敷いて寢た。赤ん坊もその側に寢かされた。部屋が急に賑やかになつて、赤ん坊はよく泣いた。母は物倦さうに赤ん坊に乳を含ませながら、

 ――煩さいね。 と廣子を叱るやうな口調で赤ん坊を叱りつけた。赤ん坊は一そう泣き出した。

 ――あら、厭だわ、この兒おしつこしちやつたの。

 ――あ、さうか、失敬、失敬さあこつちへ寄越した。 と父は赤ん坊に代つて母に詑びながら、おしめを取りはづした。廣子は赤ん坊のおしつこはどんなものか、近寄つて覗き込んだ。

 ――廣子馬鹿! 何見てるのさ! 母が怒鳴りつけたので廣子は周章てて部屋の隅へ飛び退いたが、その拍子に土瓶をひつくりかへした。

 ――この馬鹿野郎! と母の視線は廣子を射屈(いすく)めた。

 ――お父さん! と廣子は悲鳴をあげる。

 ――お父さんがどうしました、さあ雜巾を持つて來てお拭き。

 ――あ、さうかい、失敬、失敬、なあにしろ、お父さんは赤ん坊を生んで目がまはる。

 父は雜巾を持つて來て疊の上を拭き出した。

 

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