愛について 原民喜
[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年七月号『三田文学』初出。
底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅱ」の「エッセイ集」に拠った。歴史的仮名遣を用いており、拗音表記もないので、彼の原稿を電子化してきた経験から、漢字を恣意的に正字化した。
第一文の「吩つかつた」は「いいつかつた」(いいつかった)と読む。
本篇は現在、ネット上には電子化されていないものと思う。【2017年12月22日 藪野直史】]
愛について
むかし西洋のある畫家が王様から天使の繪を描くことを吩つかつた。公園をあちこちさまよひ步いてゐるうち、ふと一人の可憐な子供の姿が眼にとまつたので、早速それをモデルにして描いた。その純粋な美しさは忽ち人々の称讚するところとなつた。繪は長らく宮殿に保存された。年久しくして、その畫家は王樣から惡魔の繪を描けと吩つかつた。牢獄を巡り步いて、兇惡の相を求め漸くそのモデルになるものを把んだ。こんどの繪は天使の繪にも增して眞に迫り、彼は再び絶讚された。モデルにいくぶんの謝意を表するつもりで、その囚人をともなひ宮殿の畫廊へつれて行つた。
「君のお蔭で惡魔の繪も成功した。見てくれ給へ、これは僕が昔描いた天使の繪なのだが」
畫家の指さす方向にその囚人が眼を凝らすと、その肩が大きく波打ち、やがて顏はうなだれて兩手で掩はれてしまつた。
「これは、この繪は私なのだ」
囚人は鳴咽の底からかう呟いた。
これは私が少年の日に死んで行つた姉からきかされた話であつた。何氣なく語る姉の言葉がふしぎない感動となつて少年の胸にのこつたのは、死んでゆく人の言葉であつたためであらうか。私には姉がその弟の全生涯にまで影響するやうな微妙な魂の瞬間を把へたことがおそろしくてならない。おそろしいのはあの頃のことが今でも初初しく立返つて来ることだ。私も顔を掩つて、「この繪は私なのだ」と泣きたくなることがある。するとあの話をきいた時の病室の姉の姿がすつきりと見えてくる。美しい姉は私に泣けと云つてゐるのではない。いつもその顏は私を泣くところから起ちあがらせるしなやかな力なのである。