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2017/12/26

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第八章 自然淘汰(6) 六 雌雄淘汰 / 自然淘汰~了

 

     六 雌雄淘汰

 

Kujyaku

[孔雀]

[やぶちゃん注:鳥綱キジ目キジ科クジャク属 Pavo(インドクジャク Pavo cristatus 及びマクジャク Pavo muticus の二種)・コンゴクジャク属コンゴクジャク Afropavo congolensis(一属一種)の三種のみ。]

 

Huutyou

[風鳥]

[やぶちゃん注:所謂、通称、極楽鳥のこと。スズメ目スズメ亜目カラス上科フウチョウ科 Paradisaeidae に属し、現在、十五属四十一種を数える。以上の二図は講談社学術文庫版を用いた。]

 

 ダーウィンは「種の起源」を著してから十二年を過ぎて、「人類の祖先」と題する書を公にしたが、その中に雌雄淘汰といふことを詳しく論じた。動物は大抵雌雄が相合して子を生むものであるが、その際配偶者を獲るための競爭が起らざるを得ない。而して雌雄の中、雄の方は進んで求める性質、雌の方は留まつて應ずる性質のもの故、相爭ふのは通常雄で、雌はたゞ最も優つた雄に從ふだけである。若し雌が單に戰に勝つた最も強い雄に從ふものならば、淘汰の結果たゞ雄だけが代々強くなるか、或はその性質が雌にも傳はつて兩方ともに強くなるに過ぎぬが、實際動物の習性を調べて見ると、なかなか斯く定まつたものではない。特に鳥類・昆蟲類等を調べて見ると、種類によつては雌は最も美麗な雄に從ふものもあり、最も聲の好い歌の巧な雄に從ふものもあり、またその上に最も巧に踊る雄に從ふものもある。何故かやうな性質が生じたかは不明瞭であるが、事實はこの通りで、腕力競爭よりも寧ろ容貌や遊藝の競爭に勝つた雄が、最も子孫を遺す見込のあることが多い。これらに就いては從來博物學者が丁寧に觀察し記述して置いたものが澤山にあるが、讀んで見ると頗る不思議な面白いことばかりである。特に鳥類に就いてはこの種の記錄が多いが、或る鳥は産卵期に近づくと、雄が翼を擴げたり、尾を立てたりして羽毛の美なることを成るべく著しく見せて、雌の愛を求めようとする。孔雀が尾を開き、風鳥が翼を擴げるのも、この類である。上野動物園に飼養してある駝鳥の雄も、雌の前に來て脚を屈め翼を擴げ頭を後へ曲げて、實に奇妙にな姿勢をする。また或る鳥は産卵期に近づくと雄が終日鳴き歌つて、雌の愛を求める。時鳥(ほとゝぎす)の鳴くのもこの類である。また或る鳥の種類では、雌の集まつて見物して居る前で、雄は確に舞踊と名づくべき運動をするが、總べてこれらの場合には雌が選擇者であり、雄はたゞ雌に選ばれようとて爭う譯故、代々多數の雄の中から最も雌の意に適つたもののみが、生殖の見込を有し、その性質を子に傳へ、長い間には以上の點が漸々發達する理窟である。今日鳥類の雄に非常な美麗なもの、非常に聲の好きもの等のあるのは、斯く進化し來つた結果であらう。

[やぶちゃん注:「人類の祖先」これは恐らく一八七一年に刊行されたThe Descent of Man, and Selection in Relation to Sex(人間の系図、及び性による淘汰)であろう。「人類の起源」「人間の進化と性淘汰」などという邦訳題で知られる。]

 

Gengorou

[げんごらうの雄][やぶちゃん注:左の図。節足動物門昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目オサムシ亜目オサムシ上科 Caraboidea 或いはゲンゴロウ科 Dytiscidae に属するするゲンロロウ類、又は単に「ゲンゴロウ」(源五郎)と呼んだ場合は、ゲンゴロウ亜科 Cybistrini 族ゲンゴロウ属ナミゲンゴロウ Cybister japonicus を指すことも多い。ナミゲンゴロウ(並源五郎) Cybister japonicus の前脚の跗節には、この図のように、一部が扁平に拡大して下面にいくつかの吸盤を有した付属器あり、交尾に際しては、これでの背面に吸着する。また、の背面は滑らかなのに対し、の背面には細かい皺や溝があって、これについても交尾に際し、がつかまり易くするように適応した結果と考えられている(ここはウィキの「ナミゲンゴロウ」に拠った)。]

[その前足の廓大圖][やぶちゃん注:右の図。以上の図は講談社学術文庫版を用いた。]

 

 雌を奪ひ合ふために、雄が腕力的の競爭をなすことは、無論常にあることで、鳥でも獸でも蟲でも魚でも、その頃になると大概劇烈な戰爭が始まる。而して代々この戰爭に勝つたものが子を遺すから、長い間にはこの戰爭に適した性質が漸々進步する筈である。雄鷄の距(けづめ)も、その勇氣も、或は斯くして發達したものかも知れぬ。また雌を捕へた後でも之に逃げ去られては、生殖の目的を達することが出來ぬから、代々雌を放さぬやうな仕掛の最も發達したものが子を遺すので、長い間には斯かる仕掛が次第に完備するやうな場合もある。水中に住む「げんごらう」といふ甲蟲の雄の前足が吸盤の如くになつて居るのは、恐らく斯く進化し來つた結果であらう。總べて斯くの如く生物個體間には、たゞ敵より逃れるため、餌を取つて食ふための競爭の外に、雌雄生殖の目的のためにも、常に競爭を免れぬものであるが、この競爭に負けたものは、直には死なぬが、後に子を遺さぬから、たゞ勝つたものの性質のみが積み重なつて、生物各種はその方面にも進化する譯になる。敵より逃れ餌を取つて食ふことに直接に關係のない性質は、多くはこの方法で進化し來つたものであらう。自然界に於て我々が美しいと感ずる事項は、大抵この部に屬するものである。

 

Tyuubaikahuubaika

[蟲媒植物と風媒植物]

[やぶちゃん注:右上「櫻に蜂と虻」。中央「薔薇に甲蟲」。右下「躑躅に蝶」。左上「松に風媒」。左下「まつよひぐさに蛾」。この図は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、画像補正した。講談社学術文庫版にはこの挿絵はない。]

 自然界の美を賞讚する人は、先づ第一に花と鳥とを指すが、その賞する點は孰れもその生物が敵を逃れ餌を食ふために必要な部分ではない。草の根、鳥の胃・腸などは一日もなくては生きて居られぬ部であるが、之を賞めた人は昔から決して一人もない。また生殖の器官は動物・植物に取つては最も重要なものであるが、之も美しいとて賞められたことはない。花は植物の生殖器官と稱するが、その中で美しいのは周圍の花瓣ばかりで、肝心の雄蘂・雌蘂は餘り目立たぬ。然らば人の常に賞する所は何かといふに、たゞ花の色とか鳥の聲とかで、孰れも生殖の目的のために他を誘ふものに過ぎぬ。松や杉が風によつて花粉を遠く飛ばすのと違ひ、美しい色の花は皆所謂蟲媒植物で、雄蘂の中に生じた花粉を蟲が媒介して他の花の雌蘂まで運ぶものばかりであるが、この蟲と花との關係は甚だ複雜なもので、之ばかりのために大部の書物が出來て居る。澤山の花に對して澤山な蟲があること故、自然その開に多少專門が定まつて、何の花には何やうな蟲が來るか略々定まつて居るが、相手とするその蟲が來てくれなければ、花は幾ら咲いても生殖の目的を遂げずに、そのまゝ萎れてしまはなければならぬ。アイスクリームや西洋菓子に入れるヴァニラといふ香の佳いものは南アメリカに産する蘭科植物の果實であるが、オランダ人が之をジャヴァに移し植えた所、媒介をする昆蟲が居ないので、少しも果實が生ぜず、據なく黑奴を傭ひ、筆を以て花粉を花から花へ移させたら、初めて澤山に果實が出來たといふ奇談もあるが、蟲は通常色の美しい、香の佳い花を選んで飛び來るものであるから、代々斯かる花が種子を遺して、終に今日見る如き美しい花が出來たのであらう。若しさうとしたならば、梅が香も櫻の色も、たゞ生殖の目的のために蟲を呼び寄せる道具として發達し來つたものである。

[やぶちゃん注:「ヴァニラ」単子葉植物綱 キジカクシ目ラン科バニラ属バニラ Vanilla planifolia。お馴染みの香料子としてのそれは種子を種子鞘のまま、発酵・乾燥繰り返す「キュアリング」という行程を経て初めて香料となる。]

 鳥の聲もその通りで、前に述べた通り雄が雌を獲ようと競爭する結果、斯く發達したものと見える。稀には雌の方が雄を捕へるために競爭する動物もあるが、そのやうな類では、雌の方に特別な性質が發達して居る。倂し之は例外で一般からいへば、相爭ふのは雄ばかりであるから、鳥に限らず、蛙でも、蟲でも、好く歌ふのは皆雄の方である。蛙の鳴くのは雄ばかりで、しかも産卵の時期に限つて特に盛に嗚き、夏騷しく鳴く蟬も、鳴くのは雄ばかりで、雌は全く無言である。この事は極昔から人の知つて居たことで、古いギリシアの詩にも「嗚呼蟬は仕合せ者である、その妻は聲を出さぬ」といつてあるが、雄蟬の鳴いて居る處を暫時眺めて居ると、いつの間にか雌が飛んで來てその傍にとまり、尚少時の後には交尾する。かやうに丁寧に注意して見ると、花に嗚く鶯でも水に棲む蛙でも、生きとし生けるものは孰れも雌を呼ぶために叫んで居ることが解る。その他香のことを考へても、婦人の最も珍重する麝香は印度邊に産する麝香鹿といふ小な鹿の雄の交接器の末端に當る處の毛皮の中に溜つた脂で、その天然の用は交尾の時期に雌を呼び寄せ、その情を起させるためである。それ故、その時期以外には甚だしく匂ふ程には生ぜぬ。

[やぶちゃん注:「いつの間にか」は底本は「いの間にか」。脱字と断じて、特異的に訂した

『古いギリシアの詩にも「嗚呼蟬は仕合せ者である、その妻は聲を出さぬ」といつてある』複数のネット情報によれば、ギリシャの詩人のクセナルクスの言葉らしい(原典未詳)。「蟬は幸福だ、沈黙の妻を持つから」などと訳されてある。しっかりした原拠を見い出したら、追記する。

「麝香」「麝香鹿」私の生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(7) 三 色と香() 肛門腺及び蛾類性フェロモンの本文及び私の注を参照されたい。]

 凡生物には鯨の如く何百年も生きるものもあればまた蜉蝣(かげろふ)の如く、朝に生れて夕に死ぬるものもあつて、命の長い短いには各々相違があるが、壽命に限あることは孰れも同然である故、生物各種が代々生存するには生殖作用が是非必要である。餌を食つて消化する營養の働によつて個體が維持せられる通り、この作用によつて種屬が維持せられるものであるから、種屬生存の上から見れば、生殖は個體の死を償ふ働といつて宜しい。恰も營養の作用が出來なければその日限りに死に絶える如くに、生殖の作用が出來なければ、その代限りに死に絶えるから、たゞ死に絶えるのに多少の遲速があるだけで、種屬生存の上からいへば、孰れを重い、孰れを輕いと區別することは出來ぬ。それ故、現在の生物のなすことを見ると、その目的とする所は、食ふためと生殖するためとの外はない。有名なシルレルの詩にも「哲學者が何といはうとも、當分の間は餓と戀との力で浮世の狂言が行はれて行く」とあるのは、この有樣を指したのであらう。斯くの如く營養と生殖とは、生存上ともに必要である以上は、餌を取るための生存競爭の外に、子を遺すための生殖競爭も是非起る譯で、代々一定の標準で勝敗が定まれば、これ亦一種の淘汰であるから、生物進化の方向を定める一原因となるに違ひない。而して之も自然に起ること故、自然淘汰の一部であるが、ダーウィンの雌雄淘汰と名づけたものは、またその中の一部で、雌雄兩性に分かれた動物の生殖競爭から起る淘汰だけを指したものである。

[やぶちゃん注:「蜉蝣(かげろふ)の如く、朝に生れて夕に死ぬる」種によって異なるが、真正のカゲロウ(昆虫綱蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeroptera)類は、長くても一週間、短いものは事実、一日の命である。なお、「カゲロウ」と呼称する昆虫類については、私はさんざん語ってきたが、決定版は生物學講話 丘淺次郎 第十九章 個體の死(4) 三 壽 命での私の注と心得る。ご覧あれかし。

『シルレルの詩にも「哲學者が何といはうとも、當分の間は餓と戀との力で浮世の狂言が行はれて行く」とある』「シルレル」はゲーテと並ぶドイツ古典主義の名詩人ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller 一七五九年~一八〇五年)であるが、出典は私は未詳。]

 花の色、動物の彩色等の起源・發達に就いては、當時尚種々の議論のあることで、他の作用とも密接な關係のあること故、單に雌雄淘汰だけで説明の出來るものではないが、生物間に常に生殖競爭がある以上は、生物進化の上に影響を及ぼすべきは當然のことで、色や香の如き日々の生存競爭に直接の關係のない點が、如何にして發達進化したかといふ疑問の一部分は、之によつて多少了解が出來る。倂しこれらに就いては尚研究を要する點が甚だ多いやうであるから、本書に於ては單に以上だけをこゝに附記するに止める。

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