原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 比喩
比喩
机を前にして二人の少年は坐つてゐた。ガラス窓の外には寒さうな山があつた。話は杜絶え勝ちだつた。時間がここでは悠久に流れてゐた。
「君は馬鹿だよ、僕は君を輕蔑してゐるのだが、ただ便宜上交際つてるのだよ。」と一人は腹の底でさう囁いたが、口に出しては云はなかつた。假りにこんなことが平氣で云へて、相手も平氣で聞き流して呉れたら、さぞ面白いだらうに、と彼は腹の底で妄想した。相手の少年は鼻で深い呼吸をしながら、何か別のことを考へてゐるらしかつた。
「僕は妙な氣がするよ、かうして君と僕と此處に坐つてゐるのと、恰度同じやうなものが、何處かこの宇宙の裏側にもう一つあるのではないかと、何時もそんな氣がするのだ。」
相手が變なことを云ひ出したので、彼の注意も改まつた。
「これは理窟でなしに、僕にたださう想へるのだよ。向ふ側に感じられる世界はガラスのやうに透明で靜かだが、やはり僕達と同じもので、僕達と一向異らないのだ。」
彼は相手の言葉がよく解らなかつたが、ただ默つて肯いた。
机、山、窓、二人の少年、それらのてんでな妄想、そしてその複寫――彼は默つて相手の顏を眺めた。
相手の少年はそれから間もなく死んだ。
さうすると、もう一方の世界はどうなるのかしら――と彼は時々冷やかに考へた。しかし、それは二重の世界を打消さうとするのでもなかつた。