旅信 原民喜
[やぶちゃん注:昭和一三(一九三八)年五月号『草莖』初出。
底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅱ」の「エッセイ集」に拠った。歴史的仮名遣を用いており、拗音表記もないので、彼の原稿を電子化してきた経験から、漢字を恣意的に正字化した。傍点「ヽ」は太字に代えた。
何気ない描写の視線に、詩人原民喜独特の優しい感性を見出せる佳品である。
本篇は現在、ネット上には電子化されていないものと思う。【2017年12月24日 藪野直史】]
旅信
族に出たらお便りする約束でしたが、つい疲れて怠けて居ます。八日朝京都着。その足で嵯峨の落柿舍を訪れました。嵐山は花見客で賑はつて居ましたが、落柿舍のあたりはひつそりして氣にいりました。十字路に厭離庵といふ石の道しるべが出て居て――名前に興味を感じて――訪れようとしましたが、探し方が下手なので見つかりませんでした。
翌日は伊賀上野を訪れ、芭蕉故郷塚、蓑蟲庵など見せてもらひました。公園の櫻が滿開でした。「水の恩、父母の恩、水を大切にしませう」といふ立札があつて、そんなことを憶えて居る私でした。
今日大津の濱大津の宿へ移りました。京都は見殘してしまひました。義仲寺を訪れました。塀の外に芭蕉の葉がわづかに見えて居るので、そのお寺だとわかりました。道路のすぐ側に琵琶湖があり、水上機が發著してゐるのを見物しました。
明日は石山の幻住庵を訪れるつもりで居ます。詳しくは他日隨筆かなにかに纏めたいと思ひます。
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四月十一日。朝から雨が降りしきつて居ましたが出掛けました。石山寺の對岸は柳櫻が雨に煙つて居ていゝ眺めでした。ひつそりとした畑の中の道を行き幻住庵を訪れました。唐橋を走る自動車の背に、櫻の花びらが一杯ついてゐるのがありました。