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2017/12/24

炬燵隨筆   原民喜

 

[やぶちゃん注:昭和一四(一九三九)年一月号『草莖』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅱ」の「エッセイ集」に拠った。歴史的仮名遣を用いており、拗音表記もないので、彼の原稿を電子化してきた経験から、漢字を恣意的に正字化した。傍点「ヽ」は太字に代えた。

 「廣島縣豐田郡本郷」妻貞恵及び原民喜の友人ともなった貞恵の実弟永井善次郎(文芸評論家佐々木基一(きいち)の本名で、民喜より九歳年下)の故郷。現在、三原市本郷。(グーグル・マップ・データ)。

 「佛通寺」三原市高坂町許山にある臨済宗佛通寺派大本山佛通寺。應永四(一三九七)年、小早川春平が愚中周及(佛徳大通禅師)を迎えて創建。(グーグル・マップ・データ)。本郷地区から直線で六・三キロメートル。

 「大變立派な川」沼田川。

 本篇は現在、ネット上には電子化されていないものと思う。【2017年12月24日 藪野直史】]

 

 

 炬燵隨筆

 

 きつね

 

 座敷に居ると、妻がやつて來て「早く行つて御覽なさい、梯子段の下のところに狐が化けてをります」と云つた。私はまだ狐が化けてゐるところを見たことがなかつたので、少し氣味が惡かつた。何でまた梯子段の下で化けたのだらうと厄介な氣持もしたが、ともかく階段の方へ步いて行つた。

 梯子段の下は、薄暗い板敷になつてゐるが、成程、たしかに薄闇の中には小さな女の兒が蹲つてゐるのだ。私は一目見て、それが狐だとわかつたが、ああして化けうせては居ても、夜露のやうなものを含んでゐて全身からほんのりと光を放つてゐるのがをかしかつた。見てゐるうちに私はいよいよをかしくなつた。私は板の間を兩足で蹈みならしながら、浮かれた調子で、ヨオヨオ! と冷やかしてやらうとしたが、どういうものか聲が咽喉へひつかかつて思ふやうに出なくなつた。私は力の限り、ヨオヨオ! と號んだ。

 すると、その聲が寢てゐる私の耳に這入つて、私は目を覺した。ものに脅えた時に發する聲のやうで、自分ながら怕かつた。それから急にをかしくなつた。どうも夢の中で狐にばかされてしまつたとは不覺千萬な話だつた。

 

 ももちどり

 

 ある年の春、私が一週間あまり滯在した廣島縣豐田郡本郷といふ町は四方が山で、山のなかにあると云つていい。煙草乾燥場の屋根の上に見えるのは城山で、南畫風の岩肌が美しい。かなり急な山らしいが、町の若衆は酒を携へて登るさうだ。女の兒ものぼる。城山の手前になだらかに續く小山には、畑や墓がある。墓の一本松の上を鳩やら鶉やら雀などがひねもす飛んでゐる景色は、まことに極樂のやうである。

 さて、そこから數里奧には、佛道寺といふ禪寺があつて、夜なんか猿が啼くさうだが、坊さん達は數里の夜道を厭はず町まで呑みに來ることもある。しかし、町のすぐ近くまで狐が出沒するので、なかなか油斷はならない。ここでは狐を獲る人はない。狐にばかされたり、狐憑になる人はゐる。私が氏神さんの山へ登つた時も、一人の若い女がしよんぼりとシヨールなどして佇んでゐた。

 ここの町の自慢の一つは、上り急行と下り急行列車が、町の手前ですれちがふことである。川のことを云ふのを忘れたが、大變立派な川だつてあるし、隨分大きな長い橋が歪んだ儘かかつてゐる。その橋の欄干を倒立したまま渡つて行くことの出來る人もゐるといふ話である。


 

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