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2017/12/27

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 閑人

 

 閑人

 

 十二月になると小さな街も活氣づいて、人の表情も忙せわしさうになつた。家にゐても、街に出ても、彼は落着かなかつたが、晝過ぎになると、やはり拾錢の珈琲代を握り締めて、ぶらりと外に出た。兄貴から讓られた古トンビと、扁平になつてしまつた下駄で、三十歳の閑人の悲しさうな表情を怺へて、のこのことアスフアルトの上を步いた。しかし、もう以前のやうな無邪氣な友達も見あたらなかつた。何處へ行つても友達はもう職に就いてゐたり。妻帶者であつた。彼を批難するやうな眼つきで、君も早く何とかするのだね、と勵ましてくれるのではあつたが、彼も今では自分の病氣や境遇を説明するのがめんどくさくなつた。どうかすると、まだ熱が出たりしたが、ほんとに自分が病氣なのかどうか、それさへわからなくなるのでもあつた。退院してからもう四年にもなるのだが、それ以來は養生らしい養生も出來ず、身體に自信が持てなかつたため、つい、うかうかと靑春を見送つてしまつたのである。さう云ふことを振返つて考へ込むと、彼は心の底から一つの細力が湧いて來て、蹣跚(よろめき)さうな身體を支へて呉れさうな氣がした。實際、此頃では一か八か生命を犧牲にして、何か商賣を始めようと考へてもゐた。叔父が古本屋の資本を貸して呉れたら、少しは愁眉が開けさうだつた。しかし返事のない叔父は當(あて)にもならなかつた。母や兄に心配ばかり懸けて來た身が呪はしく、一そのこと自殺した方が皆のためにもなりさうだつた。

 しかし彼は今も鳥屋の前に立止つて、オタケサン、オタケサンと騷ぎ𢌞る九官鳥を眺めて、單純にをかしさうに笑つてみた。鳥屋のむかひの昆布屋には荷馬車が留められてゐて、馬が退屈さうに橫目を使つてゐる。何處へ行つても見慣れた狹い街の風景で、盛り場の方では今でもチンドン屋が騷ぎ𢌞つてゐた。彼は何時もの癖でR――百貨店へ入ると、三階まで登つて、屋上で猿を眺めた。猿は絶えず枝から枝へ忙しさうに飛び𢌞つてゐる。猿でも肺病があるのかしら――と想像してみると、何だか噓のやうな氣がした。

 そのうちにいい加減草臥れたので彼は何時も行く喫茶店に入つた。するとストーブを獨占しながら新聞を讀んでゐる屈木の姿がすぐ眼についた。

「ヤア。」と屈木は敏捷さうな顏を彼の方に對けながら、飮みかけの茶碗を持ち上げた。

「忙中閑ありでね。」と屈木は得意さうに笑つて、「君は相變らずだね。いや君と逢つたのはまだ一昨日ぢやないか。」と云つた拍子に少し嗄れた咳をして心持顏を顰めた。屈木はチヨツキから懷中時計を取出すと、

「おつと、もう二時か、ぢやまた遇はう。」と急に忙しさうに立去つてしまつた。彼は屈木の姿を見送ると、何故か不思議な氣もした。あの男も以前は彼以上に病態が昂進してゐて、今にも死にさうな姿を巷に晒してゐたが、屈木は血を喀きながらも酒を飮んだり女に戲れた。そして今ではともかく新聞記者をしてゐるのであつた。氣持一つで無理に無理を支へてゐる屈木の姿が、彼に何か物凄い發奮を強ひてゐるやうであつた。

 コーヒーを飮み終ると、今度は人通りの少ない路を選んだ。恰度そこには小學校があつて、低い垣根越しに運動場が見えた。中央にオルガンが持出されて、圓陣を作つて女の生徒がダンスをしてゐる。彼は小學生の昔がこの頃頻りに懷しく、悔恨に似た氣持をそそつた。オルガンの響に遠ざかりながら、彼は何時の間にか寺の前に來てゐた。來たついでに父の墓へまゐらうと思つて、寒々とした墓地のなかに、彼はふらふらとあゆいで行つた。

 

[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪(こら)へて)。

「細力」見かけぬ熟語である。「微力」「微細な・微(かす)かな力」の意でとっておく。

「あゆいで」「步いで」であろうが、私は聴いたことがない。古語に「步(あゆ)ぶ」があるから、その訛りか。]

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