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« 老媼茶話巻之七 釜煎 | トップページ | 柴田宵曲 俳諧博物誌(26) 兎 一 (その2) / 兎 一~了 »

2017/12/12

柴田宵曲 俳諧博物誌(25) 兎  一 (その1)

 

  

 

       

 

 因幡(いなば)の兎に遡(さかのぼ)り、かちかち山の兎を引合に出し、南方熊楠翁の『十二支考』あたりを参酌したりしてかかれば、話は兎の耳の如く長くなる可能性があるわけだが、範囲を俳諧に限ったのでは大した材料はありそうもない。しかし熊や狼と違って、兎はわれわれとはかなり親しい間柄である。あるいは子供の唱歌にいわゆる「前足短く後足長く」位のところに落著くかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「南方熊楠翁の『十二支考』」「十二支考 兎に関する民俗と伝説」(大正四(一九一五)年一月発行の『太陽』初出)。「青空文庫」のこちらで読める。]

 はじめ兎の句というものを漫然と考えた時、何だか秋の句が多そうな感じがしたが、実際に当って見た結果はやはりそうであつた。兎という動物に季の約束はないにしろ、古来御馴染の月の兎という景物があり、月が秋の季に幅を利かせている以上、俳人がこれを看過するはずがないからである。実際の兎と混雑する虞があるので、先ず月宮殿裏の先生からはじめる。

 

 越後路や空にも月の白兎    伊伯

 いとはじな月の兎の下り坂   忠也

 まん丸な月はまむきの兎かな  信全

 出すは耳ひくべき月の兎かな  重和

 天筆といふもや月の兎の毛   貞德

 

 これらはいずれも貞門の句である。不思議なことにこの兎たちは、月の兎と称するだけで臼も杵も持っていない。

 

 名月や丸に兎の帆をあげる   麥阿

 三日月に火も焚かねぬ兎かな  巢兆

 三日の月兎の耳のとがりかな  塘里

 後脚のかくるゝ月の兎かな   嘯山

 初月や兎の臼の作りかけ    白柱

   香木記

 臼の香や月の兎は聞知らん   也有

 

[やぶちゃん注:二番目の巣兆の句であるが、底本では「焚(た)かねぬ」とルビがしてある。これでは音数律どころか意味も判らぬ。調べて見たところが、これは「焚(たき)かねぬ」であることが判った。「てにをは」が命の発句にあって、このミスは致命的である。底本と全く違うルビを振ることに躊躇し、ブラウザの不具合も考えて、この句はルビを排除し、ここで注した。]

 

 終の二句に至って臼が出て来る。月の中の兎が臼に搗くものは、昔は薬であったらしく、李白なども「白兎擣藥成。問言與誰餐」といっている。それが兎の餅搗(もちつき)と相場がきまったのは、そう古い事ではないという話である。唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)の「兎兎何うすつくぞ十五夜のつきしらけたる影を見よとや」という狂歌も、「つきしらけ」で米を利かせているように見える。あるいは望月という言葉の縁から、餅搗になってしまったのかも知れない。俳諧の兎は臼を持出すだけで、何を搗くともいってないが、也有の句にはかえつて古い薬の匂がする。『鶉衣(うづらごろも)』の本文に、「君みずや、久かたの月の中にも、藥を搗くときけば」云々とあるので、由って来る所は自(おのずか)ら明である。

[やぶちゃん注:「白兎擣藥成。問言與誰餐」李白の私の好きな「古朗月行(こらうげつかう)」の一節。

 

  古朗月行

小時不識月

呼作白玉盤

又疑瑤台鏡

飛在靑云端

仙人垂兩足

桂樹何團團

白兔搗藥成

問言與誰餐

蟾蜍蝕圓影

大明夜已殘

羿昔落九烏

天人淸且安

陰精此淪惑

去去不足觀

憂來其如何

淒愴摧心肝

 小時(しようじ)月を識(し)らず

 呼んで「白玉の盤」と作(な)す

 又た疑ふ 瑤臺(やうだい)の鏡

 飛んで碧雲の端(はし)に在るかと

 仙人 兩足を垂る

 桂樹 何ぞ團團たる

 白兔 藥を搗いて成る

 問ふて言ふ 誰(たれ)に與へて餐(さん)せしむるかと

 蟾蜍(せんじょ)は 圓影を蝕(しよく)し

 大明(たいめい) 夜 已に殘(か)く

 羿(げい)は昔 九烏(きうう)を落とし

 天人 淸く 且つ 安し

 陰精(いんせい) 此(ここ)に淪惑(りんわく)

 去去(きよきよ) 觀るに足らず

 憂ひ 來りて 其れ如何(いかん)

 悽愴(せいそう) 心肝を摧(くだ)く

 

当該部は一九五八年岩波書店刊の中国詩人選集8「李白 下」の武部利男氏の訳によれば、『白うさぎは仙薬をついて作りあげるが、「いったいだれに食べさすの。」などとたずねたものだ。』で注に『中国古代神話によると、月世界では白いうさぎがいつも仙薬をついている』とされたとある。全訳は漢文委員会紀頌之氏の凄絶なブログ「李白集校注」のこちらこちらを参照されたい。

「唐衣橘洲」(寛保三(一七四四)年~享和二(一八〇二)年)は田安徳川家家臣で狂歌師。本名、小島恭従。大田南畝と朱楽菅江(あけらかんこう)らとともに天明狂歌ブームを築き上げ、狂歌三大家と囃された人物の一人。

「『鶉衣(うづらごろも)』の本文に、「君みずや、久かたの月の中にも、藥を搗くときけば」云々とある」尾張藩士で俳人の横井也有(元禄一五(一七〇二)年~天明三(一七八三)年)の「鶉衣」は好私の好きな俳書であるが、正字の原文で電子化したいので、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにある明治四二(一九〇二九)年共同出版刊の画像を視認して示す。「香木記」は「かうぼくのき(こうぼくのき)」と読み、安永元(一七七二)年、也有七十一の時の作。一部に読みを歴史的仮名遣で添え、句読点も不審な箇所が多いので、オリジナルに付け替えた。一部、二〇一一年岩波文庫刊の堀切実校注「鶉衣」で補訂した箇所があるが、そこに注を附した。

   *

   香木記

むかし、龍の繪を好(す)ける人には、眞の龍、顯れて、姿見せけるとぞ。好むに信あれば物に感應ある事、なきにあらず。我(わが)府下に、花井某、深く香の道を好みて、常に樂(たのし)む事、久し。しかるに[やぶちゃん注:底本は「かるに」]、其家に古く傳(つた)へたる臼あり。いたく年經るまゝに、底なども破れにたれば、今は所せき不用の物なりとて、くだきて釜木(かまぎ)に打交(うちまぜ)けるに、ある日、いみじき妙なる香の、家にみちわたりけるを、怪(あや)しみて求(もとむ)るに、かの竃(かまど)に燒ける臼の木なりけり。心いれて見るに、實(げに)、木(き)のさまも、世の常ならず。おどろきて、香の師のがり、たづさへ行(ゆき)て、是を問ふに、うたがはず、赤栴檀(しやくせんだん)にさだまりぬ。名はそのまゝに花井臼(はなゐうす)と呼ぶとぞ。柯亭竹(かていちく)の笛、焦尾(せうび)の琴を得たるためしにもかよひ、邇日(ちかごろ)、こゝら、あつかひ草(ぐさ)にして、めで[やぶちゃん注:底本は「めて」。]羨む事にぞ有りける。されば、臼といふものは、賤(しづ)の手にならして、そのしな、下(さが)れるに似たれど、君みずや、久かたの月の中にも、藥を搗(つ)くときけば、もしや、其(その)臼も、此木の類にやあらむ。

  臼の香や月の兎はきゝ知らむ

   *

語注は附さぬ。岩波文庫でみられたい。]

 巣兆、塘里、白柱の三人はいずれも月のはじめに当って、兎の栖(すみか)の狭隘(きょうあい)なることをいい、嘯山は後(のち)の月であるために「後脚のかくるゝ」という趣向を持出した。十三夜の月は僅に満たぬ状態にあるから、兎の後脚が隠れて見えぬという。これらの句には一点の理が潜んでいる。

 下界の兎について見ても

 

   月の下に兎の畫に

 もし月をぬけた兎か笹の陰     也有

 

などは依然として月中の影が附纏(つきまと)っているし、

 

 秋の尾も兎程あり後の月      也有

   餞別

 行月をとゞめ兼(かね)たる兎かな 此竹(しちく)

 

の如き句になると、兎は何かの譬喩(ひゆ)に使われているだけで、愛すべきこの動物は句中に姿を現しておらぬ。それでは兎と月との因縁は悉く月宮殿の流を汲んでいるかというと、必ずしもそうではない。実際の兎もまた月光に照されているのである。

 

 名月や尾上(をのへ)の兎みゆるほど 千崎(せんき)

 名月や兎の籠の置處(おきどころ)  白主

 犬を鹿猫を兎やけふの月       存義(ぞんぎ)

 戰にうさぎ嬉しや月今宵       鷲長

 兎ならちと出て遊べ月の中      八町

 野兎の丸う成たり後の月       太無

 兎の子百目になりぬ後の月      大江丸

 子をつるゝ兎も後の月見かな     吟江

 

 「兎の籠の置處」の句は飼兎だから別問題であるが、他の句には兎が月に浮れるというほどではないにしても、嬉々として月夜に遊んでいるような様子が窺われる。「犬を鹿」というのは犬や猫を山野の獣に見立てたわけで、実際の兎が徘徊しているのではないけれども、作者は月夜に遊ぶ兎というものを頭に置いて、しかる後猫を名代(みょうだい)に使ったのであろう。「兎なら」という句にもその心持がある。松浦静山侯なども『甲子夜話』の中で「児謠に兎兎何視てはねる、十五夜のお月さまを觀てはねると云ふ、是兎の月を好を云ふにや」といい、野兎を沢山捕らせて寵に入れ、月下の築山に一夜置いたところ、翌朝は一疋もいなかったという経験談を記しているし、林笠翁の『寓意草』にも兎が月夜に籠を抜出して越後川の面を走り去ったという話が書いてある。「うさぎは月に向へば身の自由に成て、いかにちひさきこのめよりもいでて水の面をはしるとなん」とあるのは眉唾物であるが、少くとも古人がこういう考を持っていたことだけは注意しなければならぬ。

[やぶちゃん注:松浦静山の「甲子夜話」電子化注ていが、なかなか進まぬ。これもどこに書いてあるかが判らぬと原典が引けぬ。【2018年8月9日追記:同書巻第十六に載る「兎月夜に消する事」であることが判明した。

「寓意草」幕臣で後に浪人になって諸国を巡ったとされる岡村良通(元禄一二(一六九九)年~明和四(一七六七)年)の随筆。私は所持しないが、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認して、「上」の中に見つけた。短いので視認して電子化する。

   *

越後川のほとりにすまひける人の、兎をこに入て

かひける、秋の頃月のあかき夜のきにかけおきたれば、みなこよりぬけて、河の面をはしりさりぬ、こにひまもなし、めよりいでける、をさぎは搗きに向へば身の自由に成て、いかにちいさきこのめよりもいでて、水の面をはしるとなん、

   *]

 大江丸の句は無論飼兎で、後の月の時分にその子が百匁位に育っていたという偶然の事実に興味を持ったのであろう。この種の句は軽いところに生命がある。月との因縁もなるべく手軽に見る必要があるので、強いて結付けようとすれば、どうしても理に堕しやすい。

[やぶちゃん注:「百匁」(ひゃくもんめ)は三百七十五グラム。一般的な本邦の野うさぎであるウサギ目ウサギ科ノウサギ属ニホンノウサギ Lepus brachyurus の標準体重は一・五~から二・五グラムである。]

 

 名月やうさぎのわたる諏訪の海   蕪村

 

この句は全く理想世界のものである。「緑樹かげ沈んで魚樹にのぼるけしきあり、月海上に浮んでは兎も波を走るか」という謡曲「竹生嶋」の文句は、「綠樹影沈魚上木。淸波月落兎奔浪」という僧自休(じきゅう)の詩を用いたのであるが、蕪村は一面この趣向を籍(か)りると同時に、舞台を琵琶湖から信州の諏訪湖に移動させた。諏訪湖には狐が渡って後、はじめて氷上を渡り得るという伝説があり、談林時代の俳人も「諏訪の海や麒麟渡らん氷の樣 調幸子(ちょうこうし)」などという句を作っている。蕪村の場合は名月の湖なるが故に、兎の渡る趣向が活(い)きるのである。

[やぶちゃん注:蕪村の句は明和八(一七七一)年の句稿。

『謡曲「竹生嶋」』梗概はサイト「thecom.」のを。詞章は(PDF)がよい。当該の詞章は、地歌の、「魚 木にのぼる 景色あり 月 海上(かいしやう)に浮んでは 兎も波を走るか おもしろの島の景色や」を指す。

「綠樹影沈魚上木。淸波月落兎奔浪」ルビがあるが除去したので、ここでまず、底本に準拠して訓読しておくと、「綠樹(りよくじゆ)に影(かげ)沈(しず)んで魚(うを)木に上(のぼ)り。淸波(せいは)に月(つき)落(お)ち兎(うさぎ)波(なみ)に奔(はし)る」である。以下、伝えられる全詩をオリジナルに訓読しておく。

   *

 

 自休藏主詣竹生嶋作詩

綠樹影沈魚上木

淸波月落兎奔波

靈灯靈地無今古

不斷神風濟度舟

   自休藏主(ざうす)、竹生嶋に詣でて作る詩

  綠樹 影 沈み 魚(うを) 木に上(のぼ)る

  淸波 月 落ち 兎 浪を奔る

  靈灯靈地 今古無く

  不斷の神風(しんぷう) 舟を濟渡(さいど)す

   *

宵曲はこの漢詩が先にあったとするのであるが、しかし、近世の謡曲解釈書である犬井貞恕の「謡曲拾葉抄」によれば、自休は謡曲「竹生島」の、かの詞章に惹かれて、この詩を作ったというのが、どうも事実らしいYan 氏のブログ「古代文化研究所」の主」を参照されたいが(漢詩原文全体はこちらを参考にした)、この自休蔵主という人物は私はよ~く、知っている、のである。だって、鎌倉の建長寺の広徳庵の自休蔵主でしょ? ほれ! 江ノ島の稚児が淵若衆道心中の坊主だもの! 『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 12 兒が淵やその注をどうぞ!]

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