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2017/12/25

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 五月

 

 五月

 

 電車は恍惚とした五月の大氣のなかを走つた。西へ傾いた太陽の甘つたるい光は樹木や屋根の上に溢れ、時としてその光は房子の險しい額に戲れかかつた。何處の驛に着くのか何處を今過ぎてゐるのか、まるで乘客はみんな放心狀態にあるやうな、さう云つた一時(ひととき)であつた。

 ふと、房子は自分の視線がさつきまでは何かに遮られてゐたやうだが、氣がつくと眼の前に三人のマダムが坐つてゐるのだつた。三人は三人ともセルの單衣を着て上品な化粧(つくり)でその上彼女達は揃も揃つて玉のやうに可愛いい男の赤ん坊を抱いてゐるのであつた。彼女達は惠まれた自分の姿をぢつと靜かに何ものにかに委ねてゐるやうであつた。三人は今日の一日をピクニツクに出掛け、さうして歡談を盡して今歸る途中らしく思へた。マダム達は憎い程美しかつたし、赤ん坊のやうに若々しかつた。

 房子は不思議なことに嫉妬の感情を交へないでマダム達を正視することが出來た。それどころか世にはこんな珍しい存在ものがあるのか、と云つたぼんやりした感嘆が房子の空虛(うつろ)な瞳には少しづつ浮んで來た。

 だが、房子はそれを打消すやうに顏を伏せて、猫いらずを買ふことを考へた。さつき自殺を決心して家を出てからと云ふものは、どうしたものか房子は目に觸れるものがみんな活々と美しく呼吸づいてゐるやうに感じられたが、自分だけがもう半分心臟の鼓動が停まつたやうに死相を帶びて來たのではないかと思へた。とにかく房子は自分が間もなく死んで行くのだと信じた。それはもうどうにもならない決定的のことで、今ゴーと走つてゐる電車に彼女が乘つてゐるのと同じくらゐ普通のことのやうに思へた。

 しかし、房子は顏を伏せてはゐたが、眼の前にゐる三人のマダム達がやはり氣になつた。死んで行く自分の直ぐ目の前に、今、世にも幸福さうな三人のマダムが揃も揃つて腰掛けてゐるとは、何と云ふこれもあたりまへのことだらう。

 暫くすると電車はある驛に停まつた。眞中にゐたマダムが立上つたので、兩側の二人も次いで立上るのかと思へた。が、二人はぢつと身動きもしなかつた。さうして眞中のマダムが一人でさつさと降りて行つてしまつた。空いた眞中の席にはすぐに學生が割込んで來て、兩側のマダムは今は別々に隔てられてしまつた。房子は意外な感銘に打たれながら、猶も二人のマダム達に氣を惹かれてゐた。が、次の驛に來た時、二人のマダム達もまた別々に降りて行つてしまつた。

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