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2017/12/26

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 街の斷片

 

 街の斷片

 

 

 A

 

 相手の聲がコツクだつたので彼女は自分の聲に潤ひと彈みとを加へた。その方が料理に念を入れて來るだらうし、――マネージヤー達だつて私の聲を聽いてゐるのだから――さあ、もつとだらだら喋つてやらう。

 ――ちよつと、ポテトは狐色に燒くのよ、え、解つた? 卵は二つね、卵、あんまり焦さないでね、いいこと? モシモシ、ええ、卵よ、黃味を崩したりなんかしちや嫌よ。ちよつとそれからライスは焚きたてがある? あ、さう、今から凡そ何分ぐらゐで出來るの? あ、さう、ぢやお願ひするわ。

 口のなかに唾液が溜つたのをこくりと呑み込むと彼女は受話機を置いた。私はこんなに食べものにだつて注意してゐるし、どんなに私が熱心なダンサーかマネージヤーだつて知つてゐる――彼女は男達の注意がみんな自分に集中されてゐるものと思つて、悠々と事務室を出ると、ジヤズの洩れる階段を昇つて行つた。後から昇つて來るお客達だつて皆私のなよやかな肩の線を視てゐるのだ、私の肩には男達の燃える視線の燒け跡が、ホラ、一つ二つ三つ……數へて行くうちにそれはジヤズに紛れてしまつた。

 フライ・エツグを入れた箱を提げて、出前持の女は事務室の親爺とぱつたり出逢つた。何時もの癖で彼女はにんまり笑ひたさうにした。――何時見てもいい女だなあ、と親爺は云ふ。――ホホ、彼女は輕く笑つて階段を昇つて行く。私のお尻が大きいものだから、あの爺さんは冷かすのだらう。私のお尻ばつかし男達は氣にして視るのだもの。ホホ、彼女はもう一度哂つて階段を昇つて行く。

 

 B

 

 電車通りの果てに蜃氣樓が出來たのかと私は錯覺した。暑いから眼に幻覺が生じたのかとも思つた。久し振りに質屋の冷んやりした玄關を訪れて、着物の包みを受取つて、それが無性に重たかつたが、ついでに昔步き慣れた場所だからと思つて、ぶらぶらと札の辻の方へ近づくとこれだ。

 實際そこには一つの新しい道が開けて、高いコンクリートの橋が浮上り、橋の上の竝木が綠色に空を點綴してゐる。かう云ふものが出來たのだな、と私は今更驚きながら橋の方へ行つてみた。

 それは省線の線路の上に架けられた橋で、遙か芝浦の方へ路が通じてゐる。トラツクがそこを走る。と、兵隊が喇叭を吹きながらやつて來る。兵隊は橋を渡つて三田通りの方へ行く。來てみれば別に變つたところでもなかつた譯だ。私は汗みどろになつてゐた。

 

 C

 

 便所の敷石と柱の隙間に出來た小さな穴から、蜥蜴は每歳夏になると顏を現はす。熱い砂地を辷ひ𢌞つたり、梅の樹の枝高く登つたり、時には雀に追駈けられたりして、蜥蜴は再びその小さな穴に尻尾を引込める。彼等にとつてはあそこが長い傳統の巢である、そして田舍の街は每年變つてもまだ庭の隅々までは變らないのだ。

 ところが東京はどうであるか――と詩人は嘆かねばならぬことのやうに嘆く。昨日そこで見た女が今日は居らず、明日そこにはどんな女が入替つて來ることやら、全く到るところの女がそこではよく入れ替る。で、都會に居ると、人に對するよりも場所に對する愛着が段々強くなる。たとへば神樂坂の坂の構造が面白いとか、麻布十番街がエロチツクであるとか、蒲田驛の西口が氣に入つたとか、そして同じ地點をぐるぐる辷ひ𢌞る一匹の蜥蜴が彼のなかには存在する。

 

[やぶちゃん注:「札の辻」現在の港区三田と芝の間、山手線田町駅の西三百メートルの位置にある「札の辻」附近。(グーグル・マップ・データ)。]

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