原民喜作品集「焰」(正規表現版) 緣起に就いて
緣起に就いて
就職のことがほぼ決定してその日の午後二時にもう一度面會に行けばいいと云ふ時、恰度午後一時半、彼は電車通りで下駄の鼻緖を切つた。で、すぐ何處かで紐を貰へばまだ間にあつたのに、圓タクを呼んでその儘彼は自宅へ歸つてしまつた。
親爺は息子がこんな理由で歸つて來たのを知ると、「フン。」と云つたきり賛成も批難もしなかつたが、腹の底では、「こいつ俺のやり方を眞似てあてこすつてるな。」とでも考へざるを得なかつた。それほどこの息子は緣起などと云ふことにこれまで無頓着な人間であつた。
このことを聞いて喜んだのは、むしろ彼の友達であつた。彼はその友達が人間の自由意志を强調して因果律を無視しようとするのに、これまで反對して來た。ところがその友達は彼のことを今度のことから、實に舊式な迷信的な宿命論者だと云つて嗤ふのであつた。嗤はれる彼の側から云ふと、――ものは外形のみでは判斷出來ないと云ひたかつた。
彼はこの不景氣にも珍しく、いろんな情實關係から就職口の三つや四つは大學卒業前から話があつた。だから何も急いでその一つにねばりつく必要はないと云ふ心の餘裕があつたことが一つ。それから、あの時氣分が勝れてなかつたし、あの會社に就職することにあまり氣乘りがしなかつたことが一つ。この二つが大切な原因で、下駄の鼻緖はむしろ親爺に對する方便であつたのだ。
詳しくみると、親父はよく都合の惡いときにばかり緣起を擔ぐのであつた。成程、緣起と云ふものを始めて考へ出した人間は、それをただ單純に嗤ふ人間よりか馬鹿だとは云ひ難い――と彼はつくづく考へた。

