小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(27) 禮拜と淨めの式(Ⅴ)
今日では供物は『小山の竝んだやうに』積まれる事もなく、またそれは『山にまた海に住む一切のもの』を含みもしない、併し大袈裟な祭拜はなほ殘つて居り、儀式はいつも感銘を與へるものである。神聖な舞も亦少からず興味ある儀式の一部分である。神壇の前に置かれた食物と酒とを、神々が口にされて居る間に、乙女の巫女が、緋と白との衣をまとひ、太鼓と笛の音のつれて優雅に動く、――神の居ますまはりをまはつて、扇子を波のやうに動かし、小さい澤山の鈴の總をふり鳴らしながら動く。西洋の考からすれば、巫女のこの舞は、殆ど舞踊とは言はれないが、併し見た處では優雅なまた不思議な光景である―――何となればその一步その一姿勢は、何時の事か解らないほど古い傳統に依つて定められて居るのであるから。哀調のある音樂に就いては、西洋人の耳は、その内に何等眞の旋律らしいものを認める事は出來ないが、併し神々はその内に喜悦を見るのである。何となれば、今日なほこれは二十世紀も以前になされて居た通り、全く同じやうに行はれて居るのでも知れるからてある。
[やぶちゃん注:「二十世紀も以前に」言わずもがなであるが、「二千年もの昔に」の意。]
私は特に出雲で見た儀式に銃いて語るのである、その式は祭祀の種類如何、竝びに地方に依つて多少の相違がある。私の見た伊勢、春日、琴平その他の社に於ては、通例巫女は子供である。そしてその子供等が結婚期に達すると、その仕事をやめる。杵築の巫女は成人の婦人であつて、その職務は代々後に傳へられるのである。そして結婚後でもその職をつとめる事を許されて居る。
以前には、巫女は單なる祭典の執行者以上のものであつた。その今日なほ覺えなければならぬとされて居る歌は、もとこの巫女が花嫁として神々に捧げられたものである事を示して居る。今でも巫女の觸れたるものは神聖なるものである。その手に依りて播かれか種子は神の祝福を受けたものである。過去に於ける或る時代にあっては、巫女は神々の用をする女と考へられて居たらしい。神々の靈が巫女にのり移り、その唇を通して神が口をきいたのである。この最も古い宗教のあらゆる詩的な情緒は、この小さい巫女――亡靈の幼少なる花嫁――の翩翻として舞ふ其姿を中心として起される。その姿は實に見るべからざる神の神壇の前に於ける、驚くべき白と排の蝶のやうである。近代の萬事の變化した世にあつては、この少女も公立の學校に行かなければならないが、而もなほ日本の少女の樂しうに見える一切をそれは代表して居る。何となればその家庭に於ける修練は、少女をして尊嚴を保ち、無邪氣に、その何事を爲すにも可憐ならしめ、神々の愛するものたるの價値をもたしめるからである。
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