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2017/12/23

女性と手紙   原民喜

 

[やぶちゃん注:初出未詳。芳賀書店版全集第二巻(昭和四〇(一九六五)年八月刊)に初めて収録された。内容と底本(後述)での配置から、戦後のものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅱ」の「エッセイ集」に拠った。現代仮名遣(但し、拗音表記がないので、歴史的仮名遣を無理に変えた可能性が否定は出来ない)であるから、漢字の正字化は行わず、そのままに電子化した。

 原民喜の母ムメは昭和一一(一九三六)年九月、尿毒症のため亡くなっている。

 本篇は現在、ネット上には電子化されていないものと思う。【2017年12月23日 藪野直史】]

 

 女性と手紙

 

 女が鏡にむかつて、さまざまの表情をつくつてみて、その上で表情の型を決めるのと同じように、作家は何か空漠としたものにむかつて、自分の文章のスタイルを工夫しているようだ。だが、一般に普通の女性は文章のスタイルなどあまり凝らないのだろう。

 女性にとつて手紙は一人の相手に与えるのだから、衣裳や化粧ほど流行のスタイルを追わないのかもしれない。若い女の手紙の文章に硬い字句や古風な表現があつてそれが却つて魅力になつていたりするのも、読む相手の汲みとり方によるのだろう。読む人によつては、その女性の声や表情や身振りや更らにもつと曖昧で微妙なものまでも、その文章と文字の間からほのぼのと浮上つてくるのを懐しむであろう。

 私は未知の一女性から六、七通の手紙もらつたことがある。地方に住んでいる奥さんで、たまたま私の書いたものが目にふれ、そのため私に手紙を書きたくなつたのだと云つてあつた。

『繁雑な毎日の生活を凝視しながら、その見たまま感じたままを一つの対象にむかつて、いつわりなく打明け、うったえることが出来たら、どんな嬉しいかと思います。それで心の重荷がいくらかでも軽減されるならば、私としては、それが今後の生活の上に大きなうるおいとなることと信じております。』

 こういう手紙に対して、私は簡単な礼状を出し、今後返事は差上げませんが、あなたの生活上の御感想なら喜んで読ませて頂きましよう、と云つておいた。それから月に一回位ずつ、その夫人からは手紙が来た。その手紙はいずれも淡々とした身辺雑記風のものであつた。

 私にとつて、いつまでも忘れられぬ手紙はやほり母親の手紙である。学生のころ毎月一回、郷里から私の下宿へ送つてくる送金の手紙は、ありあわせの粗末な紙に無造作に鉛筆で書いてあつた。そして『身体を大切にしなさい』といつもきまり文句で結んであつた。どうかすると私は碌に読みもしないで、そのまま机の引出に放り込んでおくのだつた。それでも、毎月受けとるこの手紙が、どうかして代筆だつたりすると、少し物足りない気がしたものだ。

 私が母親の手紙をしみじみ読み返すようになつたのは、それから数年して母と死別れてからのことだつた。無造作に書かれている字や文はちよつと幼稚なようで、よく見れば、なかなかしつかりしたところがあつた。それに歳月を経て古びた紙には不思議な懐しさがこもつていた。私はそれを大切に保存しておくつもりだつたが、その手紙も戦災で焼かれてしまつた。

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