原民喜作品集「焰」(正規表現版) 酸漿
酸 漿
結婚式の二時間前、彼女は疊に落ちてゐた酸漿を拾つて鳴らして捨てた。
朝、夫が役所へ出て行くと、彼女はもう一度寢床に潜り込んで、晝過ぎに起きた。それから煎餅を嚙りながら新聞を讀んだ。それから夕方まで鏡臺に對つてぽかんと暮した。
夫が出張で三日も歸らないと、彼女はふらりと街へ出掛ける。夜遲くそこの窓のカーテンには男の影が大きく映つたりした。
彼女の生んだ赤ん坊が這ひ出す頃、その子は、ほほづきを拾つて食べて、呼吸がつまつて死んだ。子を失つた彼女は奇妙に若返つた。若くなるためには、人知れぬ工夫がされた。しかし何よりもいけないのは、他人が彼女の齡を註文よりも老けてみることだつた。さうした場合、彼女は癇癪が起きて、咽喉が塞がりさうになつた。
[やぶちゃん注:「酸漿」「ほおづき(ほおずき)」。ナス目ナス科ホオズキ属ホオズキ変種ホオズキ Physalis alkekengi var. franchetii の果皮。因みに、本篇内事実と直接の関係性はないが(但し、原民喜は確信犯で小道具に用いている)、当該ウィキによれば、『ナス科植物の例に漏れず、全草に微量のアルカロイドやソラニンが含まれている。特に酸漿根の部分には子宮の緊縮作用があるヒストニンが含まれており、妊娠中の女性が服用した場合、流産の恐れがある』。『平安時代より鎮静剤として利用されており、江戸時代には堕胎剤として利用されていた。現在も咳や痰、解熱、冷え性などに効果がある民間薬として、全草を干して煎じて飲む風習がある地方が存在する』とある。]

