夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅷ) 昭和五(一九三〇)年五月~八月
五月六日 火曜
◇山畑の菜種の花に寄る蜂の
一つ一つに消ゆる夕ぐれ
◇愚かなる心よりけり思ふ事と
かゝわりもなく闇をみつむる
[やぶちゃん注:「一つ一つ」の後半は底本では踊り字「〱」。「かゝわり」はママ。]
五月九日 金曜
◇靑空をヂツと見つめて渡天しつゝ
線路の草に寢ころぶ男
五月十五日 木曜
◇おろかなる心なりけり春空の
花火の煙見つめて立ちしは
◇眞夏の日靑葉の蔭の憂欝を
通り過ぎてもうなだれて行く
五月十六日 金曜
◇何故にサウンドトーキーは
人間を突き刺す音だけきゝえないのか
◇ことし亦つばなの風にゆらぐ見ゆ
かの草山も老いにけらしな
[やぶちゃん注:「サウンドトーキー」sound talkie。映像と音声が同期した、今、我々が普通に見ている映画のこと。ウィキの「トーキー」によれば、『talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture を movie と呼んだのにならったもので』、『無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれた』りしたが、『音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない』。『発声映画の商業化への第』一『歩はアメリカ合衆国で』一九二〇『年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。長編映画としての世界初のトーキーは』一九二七年十月に現地で公開されたアメリカ映画「ジャズ・シンガー」』(The
Jazz Singer:アラン・クロスランド(Alan Crosland)監督ワーナー・ブラザース(Warner Bros. Entertainment, Inc.)製作・配給)『であり、ヴァイタフォン方式』(Vitaphone:ワーナー・ブラザースが開発したフィルム映像と録音された音を同期させるためのシステム。映写中に映画と同調された音声を収録した七十八回転レコードを使用し、同時再生するものだった。しかしこの当時のレコードは壊れやすかったことに加え、正確に同期を継続させることが困難であった)であったが、『その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)』(sound on film:soundtrack:映画のフィルム上に音声が収録されている。フィルムの長手方向に画像コマとは独立に設けた音声用トラックを持つ形式)『がトーキーの主流となった。翌』一九二八年に、この『サウンドトラック方式を採用したウォルト・ディズニー・プロダクション製作の』「蒸気船ウィリー」(Steamboat
Willie:The Walt Disney Productions)が公開されている。一九三〇『年代に入ると』、『トーキーは世界的に大人気となった。アメリカ合衆国ではハリウッドが映画文化と映画産業の一大中心地となることにトーキーが一役買った』。『ヨーロッパや他の地域では無声映画の芸術性がトーキーになると失われると考える映画製作者や評論家が多く、当初はかなり懐疑的だった。日本映画では』昭和六(一九三一)年公開の「マダムと女房」『(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー作品である。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかった』とある。本日記は昭和五(一九三〇)年の条。
「つばな」既注であるが、再掲する。単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ
Imperata cylindrica の初夏に出る穂のこと。細長い円柱形を成し、葉よりも高く伸び上がって、ほぼ真っ直ぐに立つ。分枝はなく、真っ白の綿毛に包まれており、よく目立つ。種子はこの綿毛に風を受けて遠くまで飛ぶ(ウィキの「チガヤ」に拠った)。個人的に私の大好きな花である。]
五月十六日 金曜
◇殺人の動機は別にありませぬ
彼女が灯を消しましたので
五月二十日 火曜
◇あの上に飛び降りたらばと思ひつゝ
四階の下の人ごみをのぞく
◇針金で次から次へ繫がれて
地平線の方へ電柱が行く
◇硝子瓶蠅を一匹封じこめて
死んだら勉強初めやうと思ふ
五月二十一日 水曜
◇何ものか飢えた心が暮れるまで
線路の草に寢ころんでゐる
[やぶちゃん注:五月九日の「靑空をヂツと見つめて渡天しつゝ/線路の草に寢ころぶ男」の改稿であろう。「渡天しつゝ」は生硬な表現である。]
五月二十七日 火曜
◇彼女には何か出來たに違ひ無い
彼女は動物を飼はなくなつた
◇壇上の彼女に狙ひをつけてみる
ポケツトの中のブローニングで
[やぶちゃん注:「ブローニング」アメリカの銃器設計家ジョン・モーゼス・ブラニング(John Moses Browning 一八五五年~一九二六年)が設計したスライド式自動式拳銃の日本での慣例通称。本日記は昭和五(一九三〇)年であるから、ベルギーの銃器メーカーであるファブリック・ナショナル社(FNハースタル(フランス語:FN Herstal):正式社名は「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール」(Fabrique Nationale d'Armes de
Guerre)で大量生産されたFN ブローニングM1900(FN Browning M1900)か(一九一一年生産終了)、その改良型のFN ブローニングM1910(FN Browning Model 1910)であろう。後者は、ウィキの「FN
ブローニングM1910」によれば、『メインとなった.32ACP弾(7.65×17mm)モデルのほかに.380ACP弾(9×17mm)モデルが存在し、前者の装弾数は』八『発(弾倉』七『発+薬室』一『発)、後者の装弾数は』同じ仕儀で七発であった。『本銃は小型軽量で携帯性に優れており、信頼性や性能も良好でかつ安価であることに加え、特徴的な美しい外観ゆえに評価が高く、世界に輸出された結果、』二十『世紀前中期を代表するベストセラー拳銃の』一『つとなり、』実に一九八三年まで七十年』あまりも生産が続けられた』とある。『日本(大日本帝国)においても、通称ブローニング拳銃として.32ACP弾モデルが多数輸入されて』おり、『民間販売のほか、主に帝国陸軍の将校・准士官の護身用拳銃として、本銃は最も人気が高かった』とある。]
五月二十八日 水曜
◇暮れて行く空をみつめて微笑しつゝ
線路の草に寢ころぶ男
◇死ね死ねと鏡に書いて拭き消して
姉の室に來てお先にといふ
[やぶちゃん注:「死ね死ね」の後半は底本では踊り字「〱」。前者は五月二十一日の改稿の再案。]
五月二十九日 木曜
◇麻雀の靑い小鳥が飛んで來て
ガチヤガチヤと啼く阿片のめざめ。(夏のあさあけ)
[やぶちゃん注:句点はママ。「ガチヤガチヤ」の後半は底本では踊り字「〱」。「(夏のあさあけ)」は末句の別案ともとれるが、それだと一種の猟奇性は失われるから、後書ととっておく。
「麻雀の靑い小鳥」索子(ソーズ)の一索(イーソー)だけに描かれた青緑色の鳥の絵(牌)のことであろう。「索子の1索に描かれている鳥の絵の由来は・・・?!」というページから引くと、元は雀だったらしい。『主流となった鳥の図柄は最初は単純に雀のデザインでした。鳥の図柄も元は銭束という事から、雀が銭籠背負った図柄も登場しました。次第に華やかにするように銭籠を松や梅などの植物で飾り立て、そして籠には銭が一杯という事を表現する為に、側に銭がバラバラとこぼれ落ちている図柄も生まれました。その姿はまるで孔雀、飾られた銭籠やこぼれ落ちる銭が孔雀の羽に見るようになりました』。『その為』、一『索は孔雀なのではないか言われるようになったのです』とある。ここはそれをメーテルリンクの「靑い鳥」に、賭け麻雀の僥倖を掛けたものであろう。ただ、私は麻雀を知らないので、よく判らぬというのが本音である。「阿片のめざめ」は徹夜麻雀のぼんやりした感覚を比喩したものか。但し、阿片チンキ(エキス)は鎮痛・咳止め・睡眠薬として戦前は医師処方で手に入った。芥川龍之介も晩年、齋藤茂吉から処方して貰って使用している。]
五月三十日 金曜
◇刑務所が空つぽになつて行くといふ
刑務所の外が刑務所なのだ。
[やぶちゃん注:句点はママ。]
五月三〇日 土曜
◇ヂレツトの古刃にバタを塗り付けて
犬に喰はせて興ずる女
◇毒藥の空の瓶中へ入れた蠅が
いつまでも死なず打ち降つてみる
[やぶちゃん注:後者の句は五月二十日の「硝子瓶蠅を一匹封じこめて/死んだら勉強初めやうと思ふ」の類型句。
「ヂレツト」アメリカの剃刀製品のブランド。アメリカの実業家で発明家の、安全剃刀を発明したキング・キャンプ・ジレット(King Camp Gillette 一八五五年~一九三二年)が一九〇一年にアメリカン・セーフティ・レザー・カンパニー(American Safety Razor Company)として創設し(翌年にジレット・セーフティ・レザー・カンパニーに改名)、一九〇三年に世界初のT字型替刃式の安全カミソリを製造販売開始、一九〇四年、「Gillette」を商標登録している(2005年以降、現在は、アメリカのオハイオ州に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル(The Procter & Gamble
Company:P&G)が販売している)。]
六月二日 月曜
◇梟の瞳のうちの金の輪よ
高利借する女の指輪よ
◇アレを見や蓬萊山で
鶴公と龜子さんが逢引してゐる
◇阿片なしに生きてゐられぬ
お藥代を惠んで下さい
六月三日 火曜
◇化けて見ろ石の地藏をステツキで
毆つたあとでフト怖くなる
◇遊びに來る村の子供をべたいと
浮かれてまはる大水車
六月十日 火曜
◇方々の森の中から何者かのぞいてゐるらし
野原をよぎる
◇惡黨になり度氣もち
眞暗な橫路次の中で小便す。
[やぶちゃん注:前者の分ち位置はママ。後者の句点はママ。]
七月三日 木曜
◇闇試合うしろに立つは強い奴
◇上つてもいゝがとチヨツと背負つゐる
◇人魂の噂が闇の路次を出る
◇山舁いてドンタクに出て博多也
[やぶちゃん注:久々の川柳。]
七月四日 金曜
◇博多からもう一人來る賑やかさ
◇叱つてゐる巡査もドンタクかと思ひ
◇靑電氣七三に來てけつまづき
◇胎兒よ胎兒よ何故躍る母親の心がわかつて恐ろしいのか
[やぶちゃん注:「靑電氣七三に來てけつまづき」は博多どんたくの夜景に、七三に髪を分けた洒落物を蹴躓かせた光景か。
「胎兒よ胎兒よ何故躍る母親の心がわかつて恐ろしいのか」既に見てきたように、夢野久作は作家デビューした大正一五(一九二六)年に、精神病者を素材とした小説「狂人の解放治療」を書き始め、これを後に「ドグラ・マグラ」と改題し、十年近くに亙って、徹底的に推敲増補を行っている。本日記は昭和五年であるが、夢野は昭和一〇(一九三五)年一月に松柏館書店より書下し作品として刊行、その翌年に死去しているが、この一首は、その「ドグラ・マグラ」の冒頭に「卷頭歌」と称して、載せられてある、
*
胎兒よ
胎兒よ
何故躍る
母親の心がわかつて
おそろしいのか
*
の初出と言ってよい。]
七月七日 月曜
◇校庭の飛越臺がお母さんの
お腹のやうで飛び越しにくい
◇美しい女を見るとふりかへる
その瞬間に殺し度くなる
◇殺す氣が無いのにどうして殺したかと
問ひつめられて答へぬ心
八月六日 水曜
◇山つゝじあかあか咲きぬうすら日に
鳥の遠音のさす丘の上
◇まんまんと汐みち足らひ鐡橋の
はるかに赤く春の陽しづむ
[やぶちゃん注:「あかあか」及び「まんまん」の後半は底本では踊り字「〱」。この二首は昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)六月二十二日の日記に載る、
山つゝじ赤々咲きぬ薄ら日に鳥の遠音のさす丘の上
まんまんと汐滿ち足らひ鐵橋のはるかに赤く春の陽しづむ
と表記上の差はあるものの、全く同じものである。]
八月七日 水曜
◇夢に見たが眞綿で首の締め初め
◇思案事忘れてヘソのゴマを掘り
◇夢を見るやうな眼つきでゴマを掘り
[やぶちゃん注:本三句はまず、「南五斗会集」(西原氏の推定では「なんごとかいしゅう」と読む)という標題で載る夢野久作の作になる川柳群の、大正一五(一九二六)年六月十四日のクレジットを持つ(〔★〕は私が附した)、
臍、夢
思案ごと忘れて臍の胡麻(ごま)を掘り〔★〕
正夢の話をきけば寢小便
夢ばかり見てゐると書く噓ばかり
夢に見たが眞綿で首のしめ初め〔★〕
夢を見るやうな目つきで臍を掘り〔★〕
夢の場面やる本人の馬鹿らしさ
の〔★〕の三句と表記違いの相同句であり、また、昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)五月十一日の日記に載る、
夢に見たが眞綿で首のしめ初め
思案ごと忘れて瞳のゴミを取り
夢を見るやうな眼つきで暗を掘り
という奇体な川柳と異様に似ている。或いは、この「瞳」や「暗」は、失礼乍ら、底本編者の「臍」の誤判読なのではあるまいか?]
八月八日 金曜
◇睾丸が咽喉まであがる大あくび
◇標本になつたが瘤の成功者
◇終電車あくびとあくび笑み
◇夢ばかり見てゐるとかく噓ばかり
[やぶちゃん注:この最初の句は、昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)六月十四日の日記に載る(順序は異なる)、
きんたまがのどまであがる大あくび
と相同で、及び、
標本になつたが瘤の名譽也
と酷似し、また、破格で読み方を迷う三句目は、同じくそこに出る、
終電車あくびとあくび二人切り
と似ている(改作しようとして「笑み」で筆を折ったものか)。そして、最後の句も、これまた、同じ年の五月十一日にある、
夢ばかり見てゐると書く噓ばかり
と、これまた、相同である。]
八月九日 土曜
◇大あくび前の美人をフト睨み
◇大あくび待合室をねめまはし
◇あくびして睨んでもまだ座つてゐ
◇湯のゆるさあくびの尻が歌になり
◇美味さうにあくびを喰つて睨みつけ
[やぶちゃん注:これらの句も、またしても昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)六月十四日の日記に載る(順序は異なる)、
大あくび待合室をねめまはし[やぶちゃん注:二句目と相同句。]
大あくび前の美人をふとにらみ[やぶちゃん注:一句目と表記違いの相同句。]
あくびして睨んでもまだ座つてゐ[やぶちゃん注:三句目と相同句。]
湯のぬるさあくびの尻が歌になり[やぶちゃん注:四句目と相同句。]
おいしさうにあくびをたべてニツコリし[やぶちゃん注:最終句と類型句。]
と相同相似の川柳である。再掲して推敲しているようにはあまり見えないことから、以上の再掲性の高い記載は、或いは、夢野久作自身が以前の日記帳を、この頃、どこかに仕舞い忘れてしまって見当たらないことから、万一のための備忘として記したものででもあったのであろうか?]
八月十一日 土曜
◇濃く薄く靑田のみどり風わたり
又わかり秋立にけり
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