原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 夏の日のちぎれ雲
夏の日のちぎれ雲
まつ靑な空に浮ぶ一片の白い雲がキラキラと雪のやうに光つてゐる、山の頂である。向ふには竹藪があつて、晴嵐がまき起つてゐる。そこに金髮の女がガーターを留めようとして脚をかがめながら笑つてゐる。イメージと實景がごつちやになつて、生活感情がもつと旅を欲してゐる。靑年は九州の山の奧へ來て、ライン河が見たいなと呟く。
人の氣もない石で圍まれた浴槽へ彼が入ると、女の裸體が一つあつた。それは大理石のやうで、靜かに溢れる靑い湯に浸されたままであつた。靜かな眞晝の光線がなみなみと降り注ぐ。にはかに、女の裸體は生きてゐて、そつと身動きした。
自動車で乘合はせた少女が鼻血を出してゐて、搖れるたびに啜り込む。その血が花瓣のやうに想へて、何時までも彼の頭にこびりつく。――昨日、宿の前の海で溺死人があつた、さつき自動車は小犬を轢き殺した。