老媼茶話巻之七 因果卽報
因果卽報
北方(きたかた)に丹六といふ者、板をせおひて七日町(なぬかまち)の材木屋江賣(うり)に行(ゆく)折(をり)、森臺(もりだい)村の西十里、柳といふ處にて、座頭壱人、ものを尋(たづぬ)る風情にて、爰(ここ)かしこ、さぐり𢌞る。
丹六、立歸(たちかへ)り、
「座頭の坊、何を尋(たづね)玉ふ。」
と云(いふ)。座頭、聞(きき)て、
「すこし落物(おとしもの)致したるが、ちいさきもの。」
といふ。
「盲人にて尋(たづね)わびたり。」
といふ。
「何をおとし玉ふ。其品をいゝ給へ。ともに尋まひらせん。」
といふ。
座頭の曰、
「年月心を盡し、朝(アシタ)夕ベ、乞食(コジキ)𢌞(まは)り、金(きん)三分、ため申(まうし)候、そのかねを落したり。此金は姉を大町に質物奉公(しちもつぼうこう)に出(いだ)し置(おき)たり、其返金の懸(かか)りにて候。たづね給はれ。」
といふ。
丹六、そこら見𢌞せば、げにも、紙につゝみ、金三分、有。
丹六、ひそかに是を隱し、
「何程(なにほど)尋ても、見へ申さぬは、落しはし玉はじ。ちいさきものなれば、袂(たもと)のあひだか、又は置所(おきどころ)わすれはし給わぬか。よくよく、帶をとき、衣裳をふるひ、心をしづめて、尋(たづね)玉へ。」
とて、丹六はわかれたり。
座頭は、終日、たづねさがせども、求得(もとめえ)ず。
血の淚を流しながら、なくなく家へ立歸りぬ。
丹六は、板も直段(ねだん)克(よく)賣(うり)、金はひろう、甚(はなはだ)悦び、七日町酒屋にて、酒をしたたかのみ醉(ゑひ)て、千鳥足にて歸りけるが、藥師河原を過(すぎ)て、殊の外、ねふく成(なり)ける間、かたはらの木陰に暫くねふりいたりけるに、烏弐疋、飛來(とびきた)り、丹六が眠れる枕元に近寄(ちかより)、弐ツの眼(まなこ)をぬひて空へ飛(とぶ)。
丹六、おどろきをき上りけるが、十方にくれて、東西を辨(わきま)へず、人のおとするかたに向ひ、大聲を上(あげ)て、
「道行(みちゆく)人、來りてわれを助ケ玉へ。酒に醉伏(ゑひふ)て眠(ねふ)る内に兩眼(りやうがん)をからすにぬかれ、十方にくれ候。」
といふて、聲を上(あげ)て、なく。
同村のもの、通り懸り、漸(やうやう)に介抱して丹六をつれ歸りぬ。
知る人、皆、いわく、
「盲人の目をぬき、金をぬすみし、因果也。」
皆々、にくみける、とかや。
[やぶちゃん注:典型的因果応報譚ではあるものの、鴉に両眼を抉られた後の丹六の描写がリアルでなく、ホラーとしては後半の減衰がひどく、失敗である。
「北方(きたかた)」現在の福島県喜多方市のこと。
「七日町(なぬかまち)」福島県会津若松市七日町。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「森臺(もりだい)村」福島県会津若松市高野町大字柳川森台。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「柳」不詳。「西十里」というのはちょっと不審な長距離である。現行では新潟県東蒲原郡阿賀町辺りか、南西の福島県大沼郡金山町まで行ってしまう。行くにも帰るにも、凡そ通るべき場所ではない。里程数か方位に誤りが疑われる。
「質物奉公(しちもつぼうこう)」小学館「日本大百科全書」より引く。『貸し金の担保に子女を差し出させて働かせる奉公契約。借銭の返済期限まで「人質」として働かせるが、その間の労働は無償で、それが利息に見合う形になる。そして期限がきても』、『借銭未済の場合は「質流れ」になって』、『まったくの「下人」身分になる。しかしその後、借銭を返済すれば』、『「請け戻し」できる約束の形が近世初期以後は通例になった。こうした質物奉公は人身の「年季売り」、つまり身代金(みのしろきん)を返済すれば』、『身柄が引き取れる「本金返し」の奉公と』、『実質的には』、『まったく変わらない。そしてこの二つの奉公形態は並行して広くみられもした。人身の永代売買は近世初頭以後』、『厳禁されたが、年季を限っての「身売り」や「質物」としての人身提供は許容されたので、こうした形が広く残り、「身売り奉公」「人質奉公」ともよばれた。やがて奉公中の労働に対価が生じて「居消質(いげししち)」の形に移行し、人質の労働で本利の返済にあてることになる。そこには、人質奉公中の給金と本金利子の総額を計算し、不足分を返済して請け戻す形と、奉公中の労働で元利金の全部を消却する形とがあって、むしろ後者の形が多くなっていく。そしてこれと給金前借方式の年季奉公とは実質上』、『大差なく、しだいに年季切りの「前借奉公」が一般化するが、なお』、『この形も「身売り奉公」「質奉公」と広くよばれていた、とある。
「其返金の懸(かか)り」その「請け戻し」のための返金に当てるもの、の意。]