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2017/12/27

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 童話

 

 童話

 

 人ががやがや家のうちに居た。そこの樣子がよくは解らなかつた。誰か死んだのではないかしらと始め思へた。生れたのだと皆が云つた。誰が生れたのか私には解らない。結局生れたのは私らしかつつた。

 生れてみると、私はものを忘れてしまつた。魚や鳥やけだものの形で闇のなかを跳ね𢌞つたり、幾世紀も波や風に曝されてゐたのは私ではなかつたのか。

 

 私は溫かい布に包まれて、蒲團の上に置かれた。それが私には珍しかつたが、同時に賴にりなかつた。氣持のいい時は何時までもさうして居たかつたが、時々耐らなく厭なことがあつた。家の天井とか、電燈とか、人間の聲が私を脅した。眼が覺めて暗闇だと、また私は死んだのかなと思つた。しかし、朝が來ると、私の周圍はもの音をたてて動くのであつた。

 私が母を覺えたのは大分後のことだつた。母を知つた瞬間は一寸不可解な氣持だつた。その顏は他人でもないし、私でもなかつた、つまり突然出現した一つの顏であつた。それから大分して後、父とか兄姉を識つた。或る朧氣な意識が段々私を安心さした。私一つがぽつんと存在するのではなく、私に似たやうなものが私の周圍にあつて動く。しかし不思議なことに彼等はそれがあたりまへのやうな顏つきである。私は時々彼等の顏が奇異に見えた。

 

 私の眼の前にある空間はもう不可避だつた。空間にはさまざまの苦痛と快樂が混つてゐるやうに思へた。あまり長い間視凝めてゐると、眼が自然に瞬(まばたき)する。すると忽ち空間が新しくなつた。が、次の瞬間にはやはりもとの空間だつた。私はもう大分長い間生きて、生活にも慣れて來たやうだつた。乳が足りて睡りが足りたので、恍惚と眼を空間に遊ばせてゐた。すると何處からか微風が走つて來て、私の頰ぺたを一寸撫でた。私は微笑した。

 

 母が私を抱いて家の外に出た。すると遽かに眼の前が明るくなつた。そこは私にとつて見馴れないものばかりだ。菜の花の上を蝶々が飛んでゐた。私の掌の指はそいつを見ながら動いた。すると蝶々は高く高く舞上つた。くらくらする眩しい梢の方で葉が搖れた。私は蝶々が木の葉になつてしまつたのかと思つて、掌を上に擧げた。が、摑めなかつた。

 

 私は池の鯉を見た。鯉は水のなかに氣持よささうに泳いでゐた。

 朝、夕、雀が譯のわからぬことを云つて啼く。私以外のものは大概ものを云ふのに、私はものが云へないからもどかしい。ものが云へないのは壁や柱だが、時計は絶えず喋つてゐる。夜なんか特にガンと大きな響がしてびつくりさす。しかしそれが鳴り止むと、今度はチツキンチツキンと忙(せは)しい音が續く。逃げろ、逃げろ、とその音は急(せ)かしてゐるやうだ。どうして逃げなきやならぬのか、何處へ逃げたらいいのかは解らないのだが、私は妙に絶望的な氣持にされる。私の氣持は熱に浮かされたやうになる。

 

 大人が私に馬の繪を見せて、頻りにその眞似をしてみせる。すると私も馬になつたやうな氣持がする。非常に速く走つたり、暴れたりすることはどんなに愉快か、私も自由に動いてみたい衝動で一杯なのだ。大人の腕によつて私の身體が樂々と持運ばれて行く時、障子や、天井や、疊は私のほとりを動く。

 障子や、天井や、疊が動かない時、その時は全體が何か一つの怪しい謎を祕めてゐるやうだ。特に夕方、電燈の點かぬ前がさうだ。現在の私は腥い塊りで、それが家のなかに置かれてゐる。家の上には暮方の空が展がつてゐる。そして、それはすべて確なことだが、確なことほど朧氣でならない。

 

 熱が出て私は寢かされてゐた。何處かでしーん、しーんと不思議な音が續いた。眼を閉ぢてゐると、見たこともない老人が現れて來て、何か難しいことを云つて私を責め出した。泣かうと思ふのに聲は出ない。はつと思ふと、私と同じやうな子供が、實に澤山の子供達が左右から走つて來ては衝突して倒れる。倒れても倒れても後から子供達は現れて來る。一頻り合戰が續いた後、一匹の馬が飛び出して來た。見れば皮を剝がれた馬で、眞赤な肉をピリピリさせてゐる。

 ふと氣が着くと、私はまだ死んではゐなかつた。母の手が私の額をぢつと抑へてゐた。私は何だか嬉しくなつて、つるりと笑つた。

 

 ひとりで私は疊の上を這ひ𢌞つてゐた。そこに轉がつてゐるのは犬の玩具だが、私はもう珍しくはなかつた。しかし、ふと犬の耳を引張つてみると、それは簡單に捩げさうになつた。私は夢中になつた。と、その時私を後から誰かが輕く抱き上げたので、犬の耳を持つた儘、私は高く擧げられた。相手は巧みに私を抱きかへて、何か云つた。見知らぬ女に抱かれたのだと氣が着いても、私は別にむつがらなかつた。女は私に頰をすり寄せた。それから私を疊へ下した。もう私は犬の耳へ氣を奪られなかつた。その女が家にゐる間、その女を私は不思議に感じた。私は作り變へられるのだらうか。

 

 或朝、家の外を樂隊が通つた。單純な、浮立つばかりのメロデイが私を誘惑した。樂隊は皆を引連れて、山を越え、谷を越え、海を渡つて、何處までも、何時までも續いて行くのだから、君にも從いて來給へと云ふ風だつた。遠ざかつて行く樂隊を見送つて、私は耳の底にふわふわと動くものを感じた。もしやもう一度、樂隊は歸つて來はすまいかと、每日每日私は待つた。

 

[やぶちゃん注:「捩げさうになつた」「もげさうになつた(もげそうになった)」(捥(も)げそうになった)と訓じておく。後年の別な小品西南北東」に同様の用法と思しいものがあるからである。

「奪られなかつた」「とられなかつた(とられなかった)」と訓じていよう。]

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