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2017/12/03

《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 註文無きに近し


[やぶちゃん注:昭和二(一九二七)年三月発行の『新潮』に「家と庭の隨筆」の大見出しの元に掲載された。平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介全作品事典」の中村良衛氏の解説によれば、これは複数作家への「家と庭の隨筆」という企画での依頼原稿で、『他に近松松江、吉田絃二郎、室生犀星、加藤武雄が執筆しているが、』他の作家たちの原稿は『平均九枚前後の分量であり、芥川のだけが極端に短い』とある。自死の凡そ五ヶ月前の発表である。

 底本とした岩波旧全集では、その大見出しが編者によって仮の副題としてダッシュで挟んで添えられているが、除去した三段落構成で各段落間に一行行空きがあるのはブラウザ上の仕儀ではなく、ママである。最後に注を附した。【2017年12月3日 藪野直史】]

 

 註文無きに近し

 

 家には格別註文もない。第一註文し始めれば際限ないことはわかつてゐる。一昨年書齋を拵へたものの、冬は寒いのにやり切れない。おまけに米材が黑み出すのにはかなさを感ずるばかりである。

 

 庭にも註文のないことは同樣である。のみならず僕は室生君のやうに心から庭を作らうと思つてゐない。──と云ふよりも作らうと思ふほど、精神的に餘裕がないのだらう。善い加減に矢竹や唐棕梠を植ゑた、田端の庭にも不滿はない。

 

 唯現在の僕に欲しい家は何よりも先に日當りの善い、暖房設備の行き屆いた、しかも家賃の安い家である。庭も多少の空地だけ欲しい。そこへ室生君とも相談の上、澤庵石に松の木でも植ゑれば、少くとも僕には不足のない庭になることと信じてゐる。

 

[やぶちゃん注:「米材」「べいざい」。アメリカ産の材木の意。大正一二(一九二三)年九月一日の関東大震災後、建材の需要が増えた結果、その不足を補うためにアメリカから輸入された復興用外材(主に杉・檜)を指す。

「室生」室生犀星には造園趣味があった。龍之介は彼から庭の蹲(つくばい:手水鉢)を貰ったりもしている。大正一三(一九二四)年一月(『サンデー毎日』)に発表された芥川龍之介の「野人生計の事」の「二 室生犀星」の後半を引く(リンク先は私の古い電子化注)。

   *

 室生はまだ陶器の外にも庭を作ることを愛してゐる。石を据ゑたり、竹を植ゑたり、叡山苔を匍はせたり、池を掘つたり、葡萄棚を掛けたり、いろいろ手を入れるのを愛してゐる。それも室生自身の家の室生自身の庭ではない。家賃を拂つてゐる借家の庭に入らざる數寄を凝らしてゐるのである。

 或夜お茶に呼ばれた僕は室生と何か話してゐた。すると暗い竹むらの蔭に絶えず水のしたたる音がする。室生の庭には池の外に流れなどは一つもある筈はない。僕は不思議に思つたから、「あの音は何だね?」と尋ねて見た。

「ああ、あれか、あれはあすこのつくばひへバケツの水をたらしてあるのだ。そら、あの竹の中へバケツを置いて、バケツの胴へ穴をあけて、その穴へ細い管をさして……」

 室生は澄まして説明した。室生の金澤へ歸る時、僕へかたみに贈つたものはかういふ因緣のあるつくばひである。

 僕は室生に別れた後、全然さういふ風流と緣のない暮しをつづけてゐる。あの庭は少しも變つてゐない。庭の隅の枇杷の木は丁度今寂しい花をつけてゐる。室生はいつ金澤からもう一度東京へ出て來るのかしら。

   *

「矢竹」単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科ヤダケ Pseudosasa japonica。和名は矢の箆(の)(竹製の幹部。矢柄(やがら)・矢軸)の主材としたことに拠る。

「唐棕梠」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属トウジュロ Trachycarpus wagnerianus。中国原産の帰化植物であるが、江戸時代の大名の庭園には既に植えられていたらしい。

田端の庭にも不滿はない」芥川龍之介は本篇発表の前年大正一五(一九二六)年(十二月二十五日に昭和に改元)末までは鵠沼に家を借りて療養(寧ろ、結果的にはある種の現実逃避、或いは、心機一転の新生活というよりも悲愴な自死模索のためとなった)していたが、鵠沼での生活はその末を以って断念した。形の上では本篇発表のこの昭和二(一九二七)年三月まで鵠沼の借家は借りていたものの、昭和二年になってからは殆んど滞在せず、同三月二十八日に退去整理のために赴き、四月二日まで滞在したのが、恐らくは最後であった。ここで芥川龍之介が敢えて「田端の庭」を挙げ、「にも」と添えたのには、過ぎ去った日の鵠沼の庭の思い出が揺曳していると言え、その、今の田端の庭に向けている龍之介の視線はまさに〈末期の眼〉としてのそれであることを看過してはならない。冒頭注で示した「芥川龍之介全作品事典」の中村氏の解説でも、この短文に『神経衰弱や精神的圧迫感をここに読みとるのはさほど困難ではない』とされ、『かつて彼の骨董趣味や詩趣を刺激したはずの田端の家に対するそっけないほどの言辞は、精神的に追いつめられた彼のありようを痛々しいまでに伝えている。庭に対して望んだ「沢庵石」と「松の木」の取り合わせに、単なる景観とは異なる暗い翳を見ることはあながち強引ではないはずである』との見解に、私は激しく共感するものである。]

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