原民喜作品集「焰」(正規表現版) 玩具
玩 具
終にあたりは冴えてしまつた。今、二〇ワットの電燈の下に兩方の壁が聳え立ち、窓は鎖され、扉には鍵がかけてある。さうすると、彼を圍繞する四疊半の鬼氣が、彼を憫笑してくれるのであつた。
彼は今日街に出て一人の婦人と戀の散步をした。彼はぜんまい仕掛けの紳士よろしく、巧みなゼスチュアと頭に殘らないやうな會話とで、愉しい時間を持つことが出來た。婦人はゴム人形のやうに潑剌と無色透明な心臟を有(も)つて彼と並んで舖道を行つた。戀の季節を修飾する早春の枯木や、アドバルーンや、轢死人が彼等の周圍にあつて移動した。高い建築物の日蔭を泳ぎ𢌞る群衆の一滴で彼はあつた。
そして今、彼はその一滴が遠くに在つて凝結し出すのを覺える。彼は己が永遠に舖道に釘づけになつた時の姿を想つて慄然とする。それは何と憐れな玩具の一つに類したことか。
高い窓から自分の散步してゐる姿を見てゐた自分自身があつたのに氣づく。そこで彼は今もあの婦人の手を執りながら高い窓の方を見上げて、大丈夫だよと云つてみる。しかし、さう云ひながら自分は下らない玩具になりさがりたがつてゐるのを、深夜に於いては否定出來なかつた。
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