ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版)「あとがき」~自筆原稿完全復元完遂!
あとがき
[やぶちゃん注:原民喜は「あとがき」も疎かにしていない。非常な推敲痕が残っている。本文同様、なるべく原稿を再現想起出来るように今までと異なり、本文注にも注を挟んだ。なお、青土社全集では、これは本文(第「Ⅱ」巻)とは別に、第三巻の「拾遺集」パートに掲載されている。]
ガリバー
ガリヴアは十六年と七ケ月ものの間、〔世界のあちこちを→珍しい〔不思議な〕國國を〕旅行して來ました。私たちも彼のあとについて、
最初は〔もう一度〔、〕その〕珍しい國〔國〕をまはつてみませう。
[やぶちゃん注:原稿のママ。推理するに、「旅行して來ました。」で一度、改行して、次の段落を書きかけたものの、不足を感じ、「旅行して來ました。」の後の余ったマス全部を使って「私たちも彼のあとについて、」(最後の読点が最終二十マス目)を書き添え、改行した「最初は」を抹消して、追加分をその下に加えたものと思われる。]
最まづ一番はじめに〔、〕リリバツト[やぶちゃん注:「バ」はママ。]の國へ行來〔てみ〕ると、どうでせう。〔、〕小人のうつかり步けば〔、〕〔足の下に〕踏みつぶしてしまひさうな小人が〔、〕うじようじよしてゐるではありませんか。小人なんか何でもないとガリヴア
あな〔侮〕どると大間違ひです。ガリヴアはあべこべに小人の王樣の家來にされてしまひます。それから、ハンカチの上で役人の 軍騎兵を走らせたり、ガリヴアの〔兩〕股の下を■[やぶちゃん注:(へん)は「方」である。]脚の下を
■〔玩具のやうな〕軍隊が〔に→を〕〔股の下→股の下に〕に行進し〔させ〕たりします。〔奇〕[やぶちゃん注:上の抹消部に頭にそのように(「奇」)見える字が斜めに書かれてあるように見える。抹消もされていない。]こんな話なら〔、〕〔もう〕誰でも一度は絵本で見たり、人から聞かされて知つてゐるはずです。私も子供のときリリパツトの國の話をきいて、緣側で蟻ありの行列を眺めてゐたら、自分がガリヴアになつたやうな氣がしたものです。しかし、小人の國にも戰爭があつたり、〔政〕爭がつて〔あつたりして〕、ガリヴアはとうとう〔とうとう〕〔そこ〔この囗〕を〕逃げ出してしまひます。
[やぶちゃん注:冒頭の「最」の抹消はママであるが、現行版では冒頭に『最初は』が復活している。]
それから、その次にブロブデインナグ國へ來てみると、ガリヴアは〔まづ〕膽をつぶします。今度はガリヴアの方が小人になつてゐるのです。だいくら〔、〕ガリヴアが勇まし〔強〕さうな振りをしても、自分の國の自慢をしてみても、この大人たこの國の人から見れば〔まるで〕蟲けらのやうなものです。〔だから〕ガリヴアは箱に入れられて、可愛がられてゐます。〔。〕すると、その箱を鷲がつかんで海へ持つて行きます。〔、→ます。〕ブロブデイング國
この話は終わります。 ガリヴアはまた■[やぶちゃん注:これは「囗」(國)かも知れない。]〔そして→かうしてガリバーは、大人國ともお別れになります。
[やぶちゃん注:「可愛がられてゐます。」は、現行版では『カナリヤのように可愛がられています。』となっている。最後の「ガリバー」はママ。]
今度はガリヴアは飛島へやつて來ます。どうも〔そこには〕奇妙な人間がばかり棲んでゐるので、ガリヴアは厭になあつ
厭になつ〔あきあきし〕てしまひます。それから、バルニヴービ國では〔の〕學士院を見物したり、幽靈の國へ行つたり、死なない人間をと會つてみたりします。それからガリヴアは〔はるばる〕日本へまで立寄〔やつて〕ります。江東京はまだ江戸といはれ〔てゐ〕た頃のことで、長崎では踏絵があつたりします。
最後にガリヴアは馬の國へやつて來ます。そこには人間そつくりのヤーフといふ厭らしい家畜がゐます。〔るので、〕〔まづ〕ガリヴアはそれを見てぞつとします。それからフウイヌムたちにあひ、■そこの言葉を覺え、そこの國に慣れてくるにしたがつて、馬の
平和と秩序と理性のこの穩やかな理性の國がすつかり好きになつ〔気に入つ〕てしまひます。そして人間よりも馬の方がずつと立派だと信じるやう〔思ふやう〕になります。だからこの國をでる彼が追放された時の嘆きは〔それは〕大変なものです。〔した。→す。それから→それから〕自分の國にかへつても、人間がヤーフ
彼は人間が嫌で嫌でたまらなくなてゐます。〔久振りで人間と出あふと、〔ガリヴアは■■〔びつくりして〕〔たまらなくなつて→やりきれなくなつて〕逃げだしてしまふ〔さうとします。〕〔しかし〕人間より、馬の方が立派だなど、■〔何と→少し〕情ない話ではありませんか。〔はありませんか。〕〔これは〕〔ほんとに、これは〕情ない奇妙な話にちがひありません。けれども、この話は奇妙でありながら、何か〔ま〕人の心に殘るものがあります。讀んだら忘れられない話のやう〔のやう〕です。
[やぶちゃん注:以下、一行空けの指示。現行版も行空けがなされてある。しかし、以上の原稿と現行版とを比べて見た時、我々はあることに気づく。以下に現行版を示す。
*
最後にガリバーは馬の国へやって来ます。そこには人間そっくりのヤーフといういやらしい家畜がいるので、まずガリバーはそれを見てぞっとします。それからフウイヌムたちに会い、そこの言葉をおぼえ、そこの国に馴れてくるにしたがって、ガリバーはこの穏やかな理性の国がすっかり気に入ってしまいます。そして人間より馬の方がずっと立派だと思うようになります。だから、この国を彼が追放されたときの嘆きは大へんなものです。それから久し振りで人間と出会うと、ガリバーはたまらなくなって逃げ出そうとします。しかし、人間より馬の方が立派だなど、少し情ない話ではありませんか。ほんとにこれは情ない、奇妙な話にちがいありません。けれども、この話は奇妙でありながら、何か人の心に残るものがあります。読んだら忘れられない話のようです。
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訳本文の末尾もそうであったように、以上の通り、痛烈な文明批判としての、ガリヴァーの強烈な厭人変容が、極度に薄められてしまっているのである。
私は、本原稿を電子化している最中、原稿の罫外余白に何度も原民喜自身が何かの計算をしている不思議な数字列を何度も見てきた。そして、第三部の馬の国「フウイヌム」では、苦心して訳した箇所を、抹消線や巨大な「×」や斜線で多量に削除する彼を、そうせざるを得なかった彼を、遂には現行の余白に『どうでもいい』と出版社の編者に投げつけるような指示をする彼を、見てきた。そうして、ここでの抹消箇所をそれらに照らし合わせた時、見えてくることは、
★原民喜は出版社である「主婦の友社」の編集担当者から執筆の最中に何度も総原稿字数の制限を告げられていたに違いないこと。
★恐らくは第二部の「飛島」辺りで、残りの許容字数が極端に少なくなったに違いないこと。
★そのために、民喜は最後の「フウイヌム」では、自身の意志に反して、多量の省略と削除を余儀なくされ、人類に対して嫌気がさしたガリヴァーの如く、出版社に厭気のさした彼は、半ば「勝手にしろ!」と吐き捨てるように、「どうでもいい」! と原稿に向かって叫んだのではなかったか?
ということ、いや、推定される厳しい真相、と私は感ずるのである。
忘れてはいけない。本電子化の冒頭注で述べた通り、この時、この原稿を書いている最中、彼は既にして自死を決していたのだ! 孤独な最期の時間にあった彼にとって、これが如何に痛い鞭であったかを考えてみるがよい! 「最後が原作と違う」などと軽々に批判すヤーフどもは、永遠にここを立ち去るがよい!!!]
では、こんな不思議な話を書ゐた人は、〔一たい〕どんな人なのでせうか。
今からおよそ二百年ばかり前、ヂヨナサン・ウィフトといふ人がこれを書いたのです。彼は一六六七年、アイルランドのダブリンに生れました。頭の鋭い、野望家でした。はじめは、〔ロンドンに出て〕しきりに政治問題に筆を向けてゐました。〔、〕政党にも加はつてゐました。生れつき諷刺の〔彼は若い頃から〕才能に惠まれてゐたので、當時の■
「桶物語」とか「書物の戰爭」とか「桶物語」とかいふ本を書いて、當時の社會を皮肉つてゐますが、〔した。〕「ガリヴア旅行記」は彼が五十九の年に〔アイルランドで〕書き上げ〔られ〕たものです。しかし、後にはアイルランドに引つ込んで、そこで、教會の副監督をしながら、暮してゐたのです。〔ました。→たのです。〕 そこで
[やぶちゃん注:「ヂヨナサン」の「ヨ」には有意な○が記されてある。或いはこれは拗音化してくれという意味なのかも知れない。
「政党にも加はつて」ウィキの「ジョナサン・スウィフト」等によれば、彼はホイッグ党(Whig Party:イギリスの旧政党。後の「自由党」及び「自由民主党」の前身)政権下、『野党のトーリー党』(Tory Party:イギリスの旧政党。現在の「保守党」の前身)『の指導力が』、『より彼の主張に共鳴することに気付き』、一七一〇年に総合雑誌『エグザミナー』(Examiner:「審査官」の意)の『編集者として彼らの主張を支えるために採用された』(同誌で彼は半年間、論説を担当している)。一七一一『年、スウィフトは政治パンフレット「同盟国の行為」を発行し、フランスとの長引くスペイン継承戦争を終わらせることのできないホイッグ政権を攻撃し』ている。その後、『スウィフトはトーリー党の取り巻きの』一『人となり、しばしば外務大臣』『のヘンリー・シンジョン(ボリングブルック子爵)と大蔵卿で首相』『のロバート・ハーレー(オックスフォード=モーティマー伯)との間で調停者としての役割を演じた』とある。
「書物の戰爭」“The Battle of the Books”。一六九七年に書かれたが、刊行は一七〇四年。近代と古代の学問の愚劣な優劣論争を痛烈に暴露したもので、これは親交のあった彼の後援者でもあったウィリアム・テンプル卿(スウィフトは晩年の彼の面倒を見ており、実はスウィフトはテンプルの私生児だったという説もある)の著作への批判に応えた諷刺小説。ウィキの「ジョナサン・スウィフト」も参照されたい。以下の「桶物語」も参照。
「桶物語」“A Tale of a Tub”(一六九四年から一六九七年の間に執筆され、一七〇四年に「書物の戦争」とともにカップリングされて刊行)はパロディ小説。ウィキの「桶物語」によれば、『幾重にも付された序文や相次ぐ脱線(主となる挿話と挿話の間に脱線のための章が別途置かれる)など、特異な作品構造を持つ。パロディの手法が用いられている』。『作品の内容および構成からも関係が深く、両者は合わせて一つの作品として読まれるべきであると考えられる』。『題名は、ホッブズの『リヴァイアサン』にある、鯨をよけるための水夫の慣習についての挿話から取られている。その内容は新旧論争での古代派と近代派の対立、および宗教改革期以来のカトリックとプロテスタントの対立を風刺するが、この物語は単線的に進むわけではなく、絶えず脱線によって中断される』とある。]
「ガリヴア旅行記」は一七二六年に書き上げられました。■彼アイルランドに引退してから十四年目ので、スウィフトが五十九の年でした。彼は
一七二六年、
その頃、彼は、 ■ 世
さて、この「ガリヴア旅行記」は一七二六年に書げ上げられました。〔それは〕〔丁度〕彼が五十九の年で、アイルランドに引退してから 十四年目のことでした。そして、〔痛ましいことに〕彼は■その後、次第に氣が狂つて行きました。一七四五年、七十七才で、死にました。この世を去りました。
そこには人間そつくりの
厭らしい ヤーフといふ厭らしい家畜が 馬に■[やぶちゃん注:(へん)は「亻」であるから、「似」「使」などが考えられる。]ゐます。ガリヴアも〔は〕ヤーフの一種だらうと馬たちにおもはれます。つ
馬 たち の國には戰爭もなく
[やぶちゃん注:これは「あとがき」の原稿「2」(左上の番号は順列がよく判らないが「49」)の後に続くものとして書いた原稿の反古をこの「あとがき」現行の五枚目に用いたものと思われる。原稿「2」は最終行が「最後にガリバーは馬の国へやって来ます。」でぴったり終わっていることからも間違いない。
「次第に氣が狂つて行きました」最愛の女性や良き協力者であった友人らが亡くなる中、スウィフトに最初に病気の徴候が顕れたのは一七三八年であった。一七四二年になると発作が起こるようになり、会話能力を失うとともに精神障害が発現、一七四五年十月十九日、満七十七歳で亡くなった。なお、実は彼の罹患していた疾患は実は梅毒性の神経障害であった。その罹患はダブリン大学トリニティ・カレッジ(Trinity College, University of
Dublin)在学時代に買った売春婦からうつされたものであったが、スゥイフトは自分が梅毒に罹患していることを知っており、それが進行して発狂するのではないかということを非常に恐れていたことは事実であった。芥川龍之介は「侏儒の言葉」の「人間らしさ」で次のように述べている。
*
「人間らしさ」
わたしは不幸にも「人間らしさ」に禮拜する勇氣は持つてゐない。いや、屢「人間らしさ」に輕蔑を感ずることは事實である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事實である。愛を?――或は愛よりも憐憫かも知れない。が、兎に角「人間らしさ」にも動かされぬやうになつたとすれば、人生は到底住するに堪へない精神病院に變りさうである。Swift の畢に發狂したのも當然の結果と云ふ外はない。
スウイフトは發狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に參るのだ」と呟いたことがあるさうである。この逸話は思ひ出す度にいつも戰慄を傳へずには置かない。わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる。
*
私の『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)』も参照されたい。]
しかし、この「ガリヴア」旅行記」は〔が→は〕、ひろく〔これまで〕ひろく世の中に〔界中の人に〔大人に大人にもよろこんで〕讀まれてゐる〔きた〕本は〔珍しいやうです〕数へる程です。〔の一つです。〕これからもまだ多くの〔人〕人に讀まれて行く〔こと〕でせう。もともと、これは
小 子供より〔も〕大人にも、〔むしろ〕大人が讀んで喜ぶ本のやうです。
[やぶちゃん注:最後の箇所は子供向けの「あとがき」としてはカットするのは腑に落ちる。推敲が錯雑しているが、これは下書きで、後に整序したものが載る。]
私は この 原文 頁 みなさんも
私はこのある部分多少省略
■この書物〔譯〕では、かなり省略した部分もありますが、みなさんも大人になつたら、もう一度、
全譯を讀んで 一度は全譯を讀んでみて下さい。 全譯を讀まれることをおすすめして■
全譯を讀
この「ガリヴア旅行記」は〔これほど〕ひろく世界中の人人に讀まれて來た本です。大人にも、子供にもこれくらゐ よく讀まれた〔知られて〕てゐ〔き〕た本は稀です。これからもまだ多くの人人に讀まれて行くことでせう。
[やぶちゃん注:現行版は、
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この『ガリバー旅行記』は、これまで広く世界中の人々に親しまれてきた本です。大人にも、子供にも、これくらい、よく読まれてきた本は稀です。これからもまだ多くの人々に読まれてゆくことでしよう。
*
である。「しよう」はママ。
以上を以って、去年2016年5月10日に開始した、ブログ・カテゴリ「原民喜」内の本『ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版)』の総てを完遂した。]