芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「六」
六
2・Iの手紙 その一
御手紙拝見しました。
「心残りなく見物したまえ。されど見ぬ所をば残したまえ」と、うれしき御心添有りがとうございます。はからずも自分の胸と同じ響きを君から聞く事の出来たのを嬉しく存じます。十日廿日の旅にさえ、こんな心の涌(わ)くものを、この人生の旅空で未だ見ぬものゝ尽くる日があったら其はどんなに口惜しい事でしょう。すべてを極め尽した悲みはどれ程でしょう。
アストロノミイとかエントウイツケルングテオリイとか業々しくもこちたき科学とやらは幾多の夢を破りました。諸々(もろもろ)のウイツセンシヤフトは「未だ見ぬものゝ国」へ侵入してすべてを尽さんとしています。僕は彼女に深い深い恨みがあります。しかも一面に於いてその恨みにも増した大きな恩のあるのを悲しく思います。恩ある姉に冷たい恨みの刃を持して反抗せんとするのがこの上もなくつろうございます。彼女の手はメスを持つドクターの手にもたとえましょうか。メスの一閃は何等かの利益を持ち来す事でしょう。しかし其前提として是非一つの苦みを予想しなければなりません。僕はその苦みを甘んじて忍ぶ事もありました。又恢復を否定して迄も、その苦みを拒みたいと思う事もあります。
慈悲ある毒手とでも云いましょうか。その手に斃(たお)れた夢や神秘や不可思議や其らに僕は深い同情を寄せます。けれども僕は彼女が「すべてを示す」事は不可能だと信じます。
……………略……………
未だ見ぬ所を残しておく心はやがてこの或るものを慕う心でありましょう。この Das unsichtbare を思う心でしょう。
ウイツセンシヤフト、其れは右の手を引てくれます。然し左の手をとってくれるものもあるように思われます。それはたゞ思われるだけです。けれども証明の要求は野暮な事だと信じます。勿論それはもはや「神」でもありますまい、「仏」でもありますまい。と云ってベルギーの詩聖がいうミステリイだとも断じますまい。たゞ一つのDas unsichtbare としておきたく思ひます。その姿の心から消えた時、僕は ActⅤ のラストシーンに臨まなければなりません。……略……[やぶちゃん注:二つ目の「Das unsichtbare」は底本では「Das v nsichtbare」であるが、こんなドイツ語はなく、単に「u」の誤字或いは底本の誤植と断じ、特異的に訂した。]
2・Iの手紙[やぶちゃん注:三字下げはママ。]
十八日夜大阪を立ちました。嵐を分けて百五十里、もうとうに都の人となっております。
……………略……………
山のたゝずまい河のささやき、其れはやがて寮の灯をかゝげて楽しく語り合いませう。二十日後が待たれます。ただあの南の国を思わせる巡礼の歌も淋しい紀州から昔ながらの大和路はたとえしもなく嬉しい旅だった事だけをお伝えします。
……………………………
奈良に入りては胸はただ嬉しさに溢るゝのみ。高野の山や生駒山のすがた、大和川の白き河原など車窓の興も尽きざるに、法隆寺に古(いにしえ)の七堂伽藍を訪ねて金堂の壁画に天才が丹精の跡と相対しては様々なる思いにくれてそゞろに「友あらば」と思ひました。仁王門の柱に入った Dorian Order の Entasis に古代東西交通の盛を思い、夢殿に聖徳太子を偲びて郡山から草の中を奈良西郊の寺めぐりを始めました。
……………………………
奈良は野辺の名、寺の名からしてなつかしくゆかしき所。唐招提寺、西大寺、秋篠寺と順にめぐつて山陵村より法華寺に出で海龍王寺をたずねました。海龍王寺――――いかにもいゝ名だと思います。唐招提寺と海龍王寺、僕の最も気に入った二つです。生駒山の後に落つる日を送って猿沢の池畔の宿の二階に寝そべった時はもうあたりは暮れて町のともし灯がかゞやきそめる頃でした。
……………………………
[やぶちゃん注:前に注した通り、「I」は後に歴史学者・東洋学者となった石田幹之助。
「アストロノミイ」Astronomie。天文学。以下が明らかにドイツ語であるから、ここもドイツ語の綴りで示した。
「エントウイツケルングテオリイ」Entwickelungs Theorie。進化論。
「業々しく」「ぎょうぎょうしく」。大げさなさま。現行では一般に「仰々しい」と書くが、「仰仰し」(歴史的仮名遣「ぎやうぎやうし」。以下の丸括弧内も同じ)は近世以降の当て字であって、室町時代の表記から見ると「業業(げふげふ)」「凝凝(ぎようぎよう)」「希有希有(げうげう)」などから生じたものと考えられているから、この石田の用法は正しい。因みに、現在の「仰山(ぎょうさん)」の「ぎょう」も同語源とされる。
「こちたき」「言(こと)痛し」の転訛した語。ここは「大袈裟である・物々しい」の意であろう。
「ウイツセンシヤフト」Wissenschaft。元は「学問」の意であるが、ここは「科学」。
「Das unsichtbare」音写するなら「ダス・ウンズィヒトバーレ」。「Das」は定冠詞で「Das unsichtbare」は「不可知の対象・性質」であるから、前の「未だ見ぬものゝ国」と同義的か。底本の後注では『目に見えぬ世界』とある。
「僕は彼女に深い深い恨みがあります」「Wissenschaft」(科学)は女性名詞である。
「ベルギーの詩聖がいうミステリイ」不詳。何となく頭に浮かんだのは、世紀末のベルギーの詩人で小説家のジョルジュ・ローデンバック (Georges Rodenbach 一八五五年~一八九八年(フランス))だが、よく判らぬ。詩人の名と引用元を御存じの方の御教授を乞う。
「ActⅤ のラストシーン」十八世紀までの西洋の殆んどの演劇は五幕物であった。五幕に分けられた。提示部としての第一幕、対立の導入による上昇展開の第二幕、クライマックス(転換点)としての第三幕、それは下降展開・逆転する第四幕、そして大団円・破局・結末の第五幕が配される。喜劇と悲劇によって構成は対称的となるものの、ここで石田が言っているのはカタストロフとしての悲劇のそれと、私は、とる。
「Dorian Order の Entasis」ドーリア(ドリス)式のエンタシス。ドーリア式は古代ギリシャ建築の柱の様式の一つで、先細りの太い円柱と針形の簡素な柱頭を持ち、礎盤のないことなどを特徴とする。パルテノン神殿それが典型。エンタシスは円柱につけられた微妙な脹らみを持ったそれを指し、建物に視覚的な安定感を与える。ギリシャ・ローマ・ルネサンス建築の外部の柱に用いた。日本では法隆寺金堂の柱などに見られ、「胴張り」などと呼ばれる。
「唐招提寺」ここ(グーグル・マップ・データ)。私のような京都奈良不案内人の注などいるまい。以下は基本、石田の足跡をのみ、地図で辿ることとする。
「西大寺」ここ(グーグル・マップ・データ)。
「秋篠寺」ここ(グーグル・マップ・データ)。
「山陵村」「みささぎむら」と読む。明治二二(一八八九)年四月の町村制の施行により、添下郡押熊村・中山村・歌姫村・秋篠村と合併して「平城村」となった旧村名。現在の奈良市山陵附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「法華寺」ここ(グーグル・マップ・データ)。東北直近に「海龍王寺」がある。私は海龍王寺というと、後の堀辰雄の「十月」(『婦人公論』連載の「大和路・信濃路」の中の昭和一八(一九四三)年一月号初出)を思い出す。当該部は「正字正仮名版 附やぶちゃん注(Ⅱ)」で読まれたい。]
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