芥川龍之介 手帳8 (10) 《8-10》
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《8-10》
○Anarchism Ertzbach
Zenker
[やぶちゃん注:「Ertzbach」「Zenker」ドイツのアナキストの名前のようには思われるものの、ドイツ語でも英語でも検索の網に掛かってこない。識者の御教授を乞う。]
○踏繪 興善町 質屋 西奉行所(今の縣廳の所) 西村屋 享保13
[やぶちゃん注:まさに「踏繪」という題名の小説構想が芥川龍之介の中にあったことは大正六(一九一七)年十二月八日附の薄田淳介宛書簡(岩波版旧全集書簡番号三五九)ははっきりしている。但し、ここでは薄田(大阪毎日新聞学芸部長だった薄田泣菫)に、『題は「開化の殺人」としておいて下さい或は「踏繪」と云ふのになるかも知れません』という記しているから、これは一見すると、内容は同じ(現在の「開化の殺人」)だが、象徴的な題名にするという意味にも採れる(しかし、「開化の殺人」の内容が比喩的に「踏繪」で通るかというと私は甚だ疑問である)のであるが、私は寧ろ、開化物と並行して、全く別に切支丹物の、踏絵をテーマとしたものを龍之介が構想しており、構想(芥川龍之介の脳内)ではそれが並行して進められていたのではないかと考えている。この「踏繪」という題名は実はもう一回だけ、翌大正七年五月十五日附の同じ薄田宛書簡(岩波版旧全集書簡番号四一三)に出るのであるが、そこでは『「踏繪」は中々出來ません元來春の季題だから初夏になつては駄目らしい』という弱音を吐いている(「踏絵」は春の季語。信徒が多かった長崎などでは、毎年正月から三月頃までの間に、奉行所が住民全員にキリストや聖母マリアの描かれた絵を踏ませたことに由来する)。ところで、先に龍之介が併置した「開化の殺人」であるが、これは同年八月十五日に『大阪毎日新聞』ではなく、『中央公論』に発表されているからして、「開化の殺人」と「踏繪」は別個な小説であることはここに明らかなのである。芥川龍之介の「踏繪」(このメモから見ると、実際の踏絵をシチュエーションとするものと考えてよい。そしてそれは冷徹な心理分析小説「或日の大石藏之助」(大正六(一九一七)年九月『中央公論』)や棄教を扱った名品「おぎん」(大正一一(一九二二)年九月『中央公論』。或いは、成らなかった「踏繪」の一部はこの作品のおぎんの心理にある程度は反映しているものとも思われる)などとはまた違った心理劇となったに違いない)……読んでみたかったなぁ……。
「興善町」現在の出島近くの長崎県長崎市興善町。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「西奉行所(今の縣廳の所)」サイト「幕末トラベラーズ/地図と写真で見る幕末の史跡」の「長崎奉行所(西役所)跡」が写真・地図・沿革解説の三拍子が揃っていてまことに良い。
「西村屋」不詳。但し、芥川龍之介が架空のメモをするはずがないから、これは宗門改などの切支丹史料から見出した実際の屋号と考えるべきである。郷土史研究家の御教授を乞う。
「享保13」一七二八年。]