譚海 卷之二 牛をつかふ飼付等の事
牛をつかふ飼付等の事
○牛をつかふに左へやらんとする時は、チヤイと云ふ、右へやらんとすれば、ヒヤウセと云(いひ)、止(とめ)んとおもふ時はヲウと云(いふ)。牛は夏の間はあそばせておく也。秋に入(いる)月のころはじめて遣ふに、はじめは手にのらず、それを手に入(いる)るには、棒を以て牛のひたひを兩人してをさへてなつくる也。その時やゝもすれば、人をはね返す、はなはだ力有(あり)、剛力(がうりき)のものならではあやうし、又あるゝ牛は角(つの)をきる也。めうしは角斷(たち)易(やす)し、刀にて角を切るは内は空濶にしてやすくきらるゝ也。とれたる跡はわづかに一寸程心(しん)有(あり)、それがかたまる間は綿にて包みおく也。又のびる事なし。雄牛は角斷がたし、骨よりつゞき生じてあれば也。をうしのあるゝものはせんかたなし。牛は角をもつてあたひを定む、角の前へ生(おひ)たるは最上也、價(あたひ)も貴(たふ)とし、左右へ生たるは其(その)次(つぎ)也、うしろへ生たるは藪くゞりとて下品也、其外さまざまある角も皆下品也。
[やぶちゃん注:標題の「牛をつかふ飼付」は「牛をつかふ」法及び「飼付(かひつけ)」法(「等の事」)で後者は「飼い馴らす方法」の謂いであろう。
「遣ふに」調教に入るが。
「はじめは手にのらず、それを手に入(いる)るには」最初は容易に言うことを聴かず、(てこずる。)それを言うことを聴くようにさせるには。
「ひたひ」「額」。
「兩人してをさへてなつくる也」左右からその棒で押さえてなつかせる、言うことをきくようにさせるのである。恐らくはその状態で先に出た「チヤイ」「ヒヤウセ」「ヲウ」の動作を強制調教するのであろう。
「やゝもすれば、人をはね返す、はなはだ力有(あり)、剛力のものならではあやうし」以下、文脈が標題同様に洗練されておらず、ジョイントも悪い。「ややもすれば、人を跳ね返す」ような、「甚だ力」の「有」(ある)、「剛力の者」でないと制御出来ず、非常に危険な牛がいる場合があり、「又」そのように荒れる「牛は」止むを得ず「角(つの)を」截(き)らねばならない場合も出てくる、とったニュアンスであろう。「止むを得ず」と私が入れたのは以下の通り、角が品評のポイントだからである。但し、除角(じょかく)しないと、複数飼っている場合には他の牛に危害が及び、飼っている人間にとっても危険で、現代の牧畜業では除角は当然のこととして大抵の品種で行われている。但し、闘牛用や黒毛和牛の場合はしない。後者は「繋ぎ飼い」ではなく、ある程度の面積の牧場で「放し飼い」されるケースが多く、その場合、角があった方が捕まえ易いという理由が一つあるらしい(最後の部分はQ&Aサイトの回答を参考にした)。
「めうしは角斷(たち)易(やす)し」「雄牛は角斷がたし、骨よりつゞき生じてあれば也」不審。私の知る限りでは、♂♀でこのような区別はないはずである(但し、♂♀の性質上の違いはあろう)。除角は激しく吹き飛び出すほどの出血を伴い、牛自体も激しい痛みが感じる。現代でも、予後が悪いと、牛自体の寿命を縮めるほどリスクの高い仕儀である。
「内は空濶にして」牛の角は洞角(どうかく:horn:ホーン)と称し、前頭骨の角突起(骨で出来た芯)と角鞘(蛋白質の一種であるケラチン(Keratin)とでできた鞘)から成っており、中にはスポンジ状の骨があって、その内部には血管が多く通っている。一番外側の部分は皮膚が硬くなったもので、人間の爪と同じである。因みに牛の角は前頭骨の側面から生える。「空濶」は有意な空洞になっているということであるが、これは正しい。牛の角は生すぐに成長し始め、六ヶ月齢以降は前頭洞が発生し、角内部が空洞化(角突起の含気骨化)を始めるとされている。最後の部分は森田茂・高階明日華・干場信司三氏の論文「子牛の成長に伴う角形状の変化」(PDFでダウン・ロード可能)に拠った)。
「又のびる事なし」牛の角は生涯、伸び続けるが、除角すると、後から再生することはない。
「をうしのあるゝものはせんかたなし」「雄牛の荒るるものは詮方なし」。
「あたひ」「價」。
「角の前へ生(おひ)たるは最上也、價も貴(たふ)とし、左右へ生たるは其(その)次(つぎ)也、うしろへ生たるは藪くゞりとて下品也、其外さまざまある角も皆下品也」やはり先に参考にしたQ&Aサイトの回答に、角の形や大きさが肉質を反映しているという迷信がつい最近まで信じられていたこと、今もまだ信じている人が多いかも知れない、ともあった。ただ、角の形は遺伝的な要素が大きいから、特徴的な角を見ただけで○○系統の牛だと判るともあった。]
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