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2018/01/18

芥川龍之介 手帳8 (15) 《8-16/8-17》

 

《8-16》

男西洋人の少女に「Xmas の夜 stove より baby 來る」とは噓なりと云ふ 十年後男女より手紙を貰ふ I have loved you but I couldn’t say to you, because I heard from you that baby stove カラ生マレヌetc. I ハアナタノ手巾ニ initials ヲ縫ツタ but 君ハ知ラナカツタ 南洋へユク

[やぶちゃん注:何か面白いストーリーらしいが、該当作は、ない。]

 

《8-17》

○淸正と家康(佐渡守) pp154=家康と直弼

[やぶちゃん注:「淸正」加藤清正(永禄五(一五六二)年~慶長一六(一六一一)年)。

「家康(佐渡守)」家康が佐渡守であったことはない。彼は三河守である。家康の重臣本多正信(天文七(一五三八)年~元和二(一六一六)年)なら佐渡守である。以下の私の注に示す通り、原典が判明、そこでやはり第二代将軍秀忠の側近であった本多正信のことと判った。しかし「淸正」と家康の関係性はよく判らぬ。思うに、次注のリンク先を見ると、前の部分に「黑田長政」(ながまさ)のことが書かれており、芥川龍之介はそれを「きよまさ」と勘違いしてメモした可能性があるかも知れぬ

「家康と直弼」これは『女性改造』の大正一三(一九二四)年五月号に「上」を、同誌の翌六月号に前号掲載のものを改稿して後半を加筆した「僻見」(同誌で三月から連載したシリーズ。先行するのが「廣告」「齋藤茂吉」重太郎」(リンク先は私の注釈附電子テクスト。正字正仮名)、続くものが八・九月号の「木村巽斎」。これら「大久保湖州」を除いた「僻見」は「青空文庫」ので読める。但し、新字正仮名)の「三 大久保湖州」として掲載した作品のためのメモ。現行では「大久保湖州」は長いこともあって、近年の全集等では「僻見」とは独立した作品として扱われることが多く、独立したものが、やはり「青空文庫」のこちらで読める(但し、やはり新字正仮名)。則ちこれは、大久保湖州(元治二・慶応元(一八六五)年~明治三三(一九〇〇)年:滋賀出身で東京専門学校卒。国木田独歩の友人で在野の歴史研究家)が明三四(一九〇一)年に春陽堂から出版した『德川家康と井伊直弼とに關する史論を集めた』(芥川龍之介「大久保湖州」)「家康と直弼」である。幸い、国立国会図書館デジタルコレクションの画像視認出来で、当該ページリンクてお。]

 

○淀殿の天下取りの爲の祈禱 pp156=同上

[やぶちゃん注:前の家康と直弼国立国会図書館デジタルコレクションの画像当該リンクてお。則ち、そこを読むと、淀君による、大奥が徳川家と離反するように呪詛した祈禱、ということらしい。芥川龍之介「大久保湖州」にはこの話は出て来ない。]

 

○且元と佐渡守 New桐一葉

[やぶちゃん注:「且元」片桐且元(弘治二(一五五六)年~元和元(一六一五)年)は豊臣家の直参家臣で「賤ヶ岳七本槍」の一人。豊臣姓を許された人物で、「関ヶ原の戦い」以降も豊臣秀頼に仕えていたが、徳川家康に協力的な立場に転じ、方広寺鐘銘事件で大坂城を退出して徳川方に転じた。大和国竜田藩初代藩主。「家康と直弼」の後者リンク部の附近にも登場している。

「桐一葉」(きりひとは)は坪内逍遙作の歌舞伎の六幕十六場から成る演目。明治二七(一八九四)年十一月から翌年九月にかけて『早稲田文学』に連載(この時は七段十五場から成る読本(よみほん)体)、明治三七(一九〇四)年三月に東京座で初演された。「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、決定稿の実演用台本は 大正六(一九一七)年六月に刊行されている。内容は「関ヶ原の戦い」の後、徳川家からの難題を切抜けようと苦慮する片桐且元と、猜疑心が強くヒステリー性の淀君を中心に、崩壊していく豊臣家の運命を描いた悲劇で、歌舞伎とシェークスピア劇の融合を試みた野心作であり、個性的な人間を描き出したことで、のちの「新歌舞伎」に道を開いた、とある。内容の展開はウィキの「桐一葉が詳しい。シナリオ好きの芥川龍之介は、或いは、逍遙のそれとは別の展開を持った、脚本(恐らくは映画)としての構想があったか?]

 

○家康女を利用するに妙を得たり

○竹流刑?

[やぶちゃん注:「竹」徳川家康の側室なら「お竹の方」(?~寛永一四(一六三七)年:法号は良雲院。甲斐武田氏の家臣市川昌永の娘と伝えられるが、出自には異説が多い。天正(一五七三年~一五九二年)の頃、家康の側室となり、天正八(一五八〇)年に浜松城で振姫(法号は正清院(しょうせいいん))を生んでいる。後、家康に従い、駿府城・江戸城に移った)が入るが、「流刑」とは無縁。不審。これも「家康と直弼」に載ってるんだろうけど、探すの、面倒くさい。悪しからず。少なくとも芥川龍之介の「大久保湖州」に「竹」という人物は出て来ない。]

○かみゆひ 女の子に枕をはづすなといふ その後その女の子を藝者にやる

○相愛するものが一しよにゐる爲に苦しむ話 mother and son

Artist, superb art を見 art ノ及ビ難キヲ知リ non artist トナル

[やぶちゃん注:「superb」他を圧倒するほどに素晴らしい。]

 

○馬の足 羊喬

[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年一~二月の『新潮』に発表した「馬の脚(あし)」がある。

「羊喬」不詳。少なくとも、「馬の脚」にはこんな人物は登場しない。或いは、「「馬の脚」には全く異なる構想があったものか?]

 

○祇王 祇女

[やぶちゃん注:言わずと知れた、「平家物語」に登場する白拍子の姉妹。姉の祇王が平清盛の寵愛を受け、母娘三人ともに裕福に暮らしたが、仏御前に寵を奪われて、母娘で出家して嵯峨の奥に隠棲した。やがて、仏御前も世の無常を知って尼となって庵を訪ね、ともに念仏往生を遂げたとされる(講談社の「日本人名大辞典」に拠った)。この物語は確かに、芥川龍之介が狙いそうな素材ではあるが、作品は、ない。]

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