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2018/01/13

原民喜「弟へ」(恣意的正字化版)

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和一九(一九四四)年二月号『三田文學』に発表されたものである。原民喜三十八歳の時の作品。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「弟」は原家七男(民喜は五男。六男六郎は四つで夭折している)の十一年下の敏であろう。

 冒頭前書で「なにしろ中學生相手の僕のことだから」と出るが、原民喜は妻貞恵が昭和一四(一九三九)年九月に発病(糖尿病と結核)しており、小説で食えないので、昭和一七(一九四二)年一月より千葉県立船橋中学校(現在の千葉県船橋市東船橋にある県立船橋高等学校)に英語教師として週三回通勤を始めていた。但し、本篇が発表された翌月には退職している(同年夏頃に朝日映画社嘱託となる。九月、貞恵、逝去)。

 「燕」の「大神宮下の驛」京成電鉄の千葉県船橋市宮本にある「大神宮下(だいじんぐうした)駅」。(グーグル・マップ・データ)。一キロメートルほど西北西に現在の千葉県立船橋高等学校がある。

 「貝殼」の「八千代橋」は大神宮下駅の東直近の海老川に架かる橋。(グーグル・マップ・データ)。

 「牛」の「宮本」は(グーグル・マップ・データ)。「怺へたまま」は「こらへたまま」。堪(こら)えたままで。

 「津田沼」の「菠蔆草」は「はうれんさう(ほうれんそう)」のこと。「生き」は名詞。生きざま。生活のさま。

【2018年1月13日 藪野直史】]

 

 

 弟へ

 

 僕は近頃「無心なるもの」と題して短文をノオトに書溜めてゐる。これは通勤の道すがら、目に觸れた微笑ましいものを、何氣なく書綴つたものにすぎないのだが、それがだんだん溜つてゆくといふことも何となく僕にはたのしいことなのだ。今日はそのうちから、三つ四つ君にお目にかけよう。なにしろ中學生相手の僕のことだから、文章も中學生じみてゐるかもしれないが、まあ笑つて讀んでくれ給へ。

 

 

  

 

 大神宮下の驛では、電車が着くホームの軒に、燕の巢がある。軒とすれすれのところに電車の屋根は停まるのに、燕はあやふく身を飜へして巢に戾る。それにしても、巢の中の仔は電車の雜音でおちおち睡れないであらう。國民學校の生徒を引率した先生が、珍しげに軒の巢を見上げてゐた。あまり天氣は良くないが、平穩な遠足の歸りなのだらう。燕は線路を飛越え、人家の陰へ消えてしまつた。

 

  貝殼

 

 八千代橋の手前の貝殼に埋れたやうな露次は、どこよりも早く夏の光線が訪れる。どの軒下も大概貝殼が積重ねてあり、それは道路の方にも溢れ、奧では盛んに貝を剝いでゐるので、刻々に殖えて行く白い殼で、やがてそこいらは埋沒してしまひさうだ。空の辨當箱を示し、貝を賣つてくれないかと男に尋ねると、あまりいい顏もせず默つて貝を剝いでくれる。それが出來る迄暫く軒下にたたずんでゐると、地面の白い光線がくらくらして、ふと側に子供が立つてゐる。よごれた繪本を展げて、眩しげにこちらを見てゐるのだが、その展げた繪本は南洋の椰子の樹の日の丸の繪で、その中から子供は拔け出して來たやうにもおもへる。

 

  

 

 暑い暑い宮本町の坂。夏の朝、牛はゆつくりゆつくり、このだらだら坂を二つ越えて行く。途中の家畜病院の空地に牛や馬が繋がれてゐるところまでやつて來ると、步いてゐた牛ほもーおと鳴く。繋がれてゐる牛の方は何とも應へない。ある日休暇の兵隊が二三人づれで、繫がれてゐる牛の側に立寄つた。そして一人がそろつと牛の耳を撫でてみた。

 坂を下つて來る牛もつらさうだ。よく見ると牛の鼻のまはりには四五匹の蠅が黑くくつついてゐる。牛はそれをじつと怺へたまま步いてゐるのだ。

 

  

 

 ある朝、坂の下の方から猫の啼聲がだんだん近づいて來た。と思ふうちに後から自轉車がやつて來た。後に函らしい風呂敷包が括り附けてあり、啼聲はその中からするのだ。ところで、自轉車に乘つてゐる人の後姿は、妙に忙しげで、どうも早く片づけてしまひたいといふ風なのだが、哀れな泣聲はなかなか歇まない。自轉車がもう遠ざかつてしまつても、まだその泣聲はまだつづいてゐる。あの坂の向ふは茫々とした畑となつてゐるのだ。

 

  津田沼

 

 上野行に乘替へるため一番線ホームに行くと、そこら一杯に葱・菠蔆草・大根の束をちらかし黑い大きな風呂敷包の山の中に坐り込んで、辨當を披いてゐるもの、襤褸ぎれを綴り合はせて足袋を拵へてゐるもの、女行商人の生きの姿はとりどりであつたが――それも今は既に見られない風景となつた。嘗て、このホームから向のホームを見てゐたら、國民服を着た靑年と若い娘が睦じげに佇んでゐた。その娘の姿は婦人雜誌などのよく出來た繪にありさうな、凛とした姿で、靑空を背景に、並んで立つてゐる男の胸のあたりをたのもしげに見上げてゐるのであつた。

 

  木の葉

 

 烈風が歇んだ野の道を、二三人の子供がパラパラと駈出して來た。背の低い羽織を裏返しに着てゐる、何か興奮してゐると思つたら眼には靑い木の葉をくり拔いて嵌めてゐるのだつた。

 

 

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