芥川龍之介 手帳8 (26) 《8-33/8-34》~多量の抹消俳句稿の出現部
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《8-33》
○【庭】木石を庭もせに見る夜寒かな
[やぶちゃん注:「【庭】」は「庭」を最初に書いて削除(或いは「木」へ変更)をしたことを示す。全体が抹消されているため、以上のような表記を採った。以下も同じなので、この注は略す。
なお、以下の俳句群は、ご覧の通り、殆んどが抹消されている。今までの凡例を崩すのはおかしいので、抹消線を附したのであるが、五月蠅くて鑑賞出来ないと言われるのであれば、私の「やぶちゃん版芥川龍之介句集 五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」の当該部で鑑賞されたい。そこでは底本の新全集と同じく、抹消されたものを〔 〕で括るだけで抹消線を附していないし、字も大きく作ってある。なお、抹消線が引かれてあるからと言って、芥川龍之介が、その句を完全に捨て去って、公に、或いは、友人らへの書簡へ記したりは全くしなかったわけではないことに注意しなくてはならない。例えば、この「木石を庭もせに見る夜寒かな」は完全な相同句を大正一三(一九二四)年六月二十三日附小澤忠兵衛宛書簡(旧全集書簡番号一二〇五)、同六月二十六日附小穴隆一(一游亭)宛(「近頃」と前書した二句目。旧全集書簡番号一二〇六)に記しており、次の「秋風や甲羅をあます膳の蟹」、四句目の「明星のちろりに響けほととぎす」に至っては、大正一五(一九二六)年十二月に新潮社から刊行した作品集「梅・馬・鶯」の、芥川龍之介自身が自句から厳選した「發句」にさえ所収されているからである(後者は「明星の銚(ちろり)にひびけほととぎす」と表記は異なるが相同句である)。それを、いちいちの句について確認して注し、わざわざ怠け者の似非芥川龍之介研究家の資に供するつもりは、私には、毛頭、ない。私の「心朽窩旧館 心朽窩主人藪野唯至 やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」の「やぶちゃん版芥川龍之介全句集(全五巻)」で各自で確認して貰えれば、済むことだ。そこまで――馬鹿な俺でも――オメデタクはねえ――ってことサ――]
○秋風や甲羅をあます膳の蟹
○わが庭の雪をかがるや木々の枝
○明星のちろりに響けほととぎす
○入日さす豐旗雲やはととぎす
○日盛りや梢は曲る木の茂り
○乳垂るる妻となりつも草の餠
○凩や木々の根しばる岨の上
[やぶちゃん注:「岨」「そば」であるが、今私は、ここは近世以前の「そは(そわ)」で読みたいと感じている。山の崖が切り立って嶮しい箇所、絶壁の意である。]
○春雨や霜に焦げたる杉の杪
[やぶちゃん注:「杪」「うら」と読みたい。「梢(こずえ)」(「木の末」の意)と同義で木の幹や枝の先、木や枝の先端。木末(こぬれ)。芥川龍之介は名作「藪の中」の「巫女の口を借りたる死靈の物語」の中でも(リンク先は私の古い電子テクスト。因みに、私の渾身の授業案『「藪の中」殺人事件公判記録』に、この語の注がないのは、教科書や使用した授業用テキストには語注があったからである)、
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おれはやつと杉の根から、疲れ果てた體を起した。おれの前には妻が落した、小刀(さすが)が一つ光つてゐる。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺した。何か腥(なまぐさ)い塊がおれの口へこみ上げて來る。が、苦しみは少しもない。唯胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまつた。ああ、何と云ふ靜かさだらう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀りに來ない。ただ杉や竹の杪(うら)に、寂しい日影が漂つてゐる。日影が、――それも次第に薄れて來る。――もう杉や竹も見えない。おれは其處に倒れた儘、深い靜かさに包まれてゐる。
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と出る。]
○苔じめる百日紅や秋どなり
○あらはるる木々の根寒し山の隈
○日盛りや靑杉こぞる山の峽
○夕顏や淺間が嶽を棚の下
久米
三兎
○しらじらと菊をうつすや【屋根に沈みて朧月】絹帽子
底本では「久米」「三兎」の頭に編者による柱の○があるが、私の判断で除去した。「久米」は久米正雄のことであるから、その後の不詳の「三兎」とは、久米が「三汀」と号したことから、久米の別号とも考えられないことはない。すると、この前の句は芥川のものではなく、久米正雄の句である可能性が浮上してくることは既に「やぶちゃん版芥川龍之介句集 五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」で注した。二〇一〇年岩波文庫刊「芥川龍之介俳句集」では龍之介の句として採っている。しかし、後者の句は芥川龍之介の句で、先に出した作品集「梅・馬・鶯」の「發句」に、
久米三汀新婚
白じらと菊を映(うつ)すや絹帽子(きぬばうし)
として載るものである(久米正雄の結婚は大正十二(一九二三)年十一月十七日)。そう考えると、この「久米」「三兎」(後者はよく判らぬものの)は、単に、句を贈る相手として彼の名を記しただけかも知れない。一応、注記はしておく。しかし、それにしても、この削除は本当にこうなっているのであろうか? 最初に削除していることになっている「屋根に沈みて朧月」は中七と下五である。しかし、挿入位置は中七の後である。どうもおかしい気がする。これはまず、
しらじらと菊をうつすや
と詠んで気に入らず、「菊をうつすや」の中七を削除して、
しらじらと屋根に沈みて朧月
としたものの、全然お面白くなく(まっこと面白くない)、「屋根に沈みて朧月」を削除した上で、改めて「菊をうつすや」を生かして、
しらじらと菊をうつすや絹帽子
としたものが、最終削除句稿だったのではないだろうか? 大方の御叱正を俟つ。]
○熊笹にのまるる馬よ
[やぶちゃん注:この上五と中七の抹消断片は旧全集には、ない。]
○日盛や馬ものまるる笹の丈
○沼べりの木々もぞろりと霞かな
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《8-34》
○切支丹坂は急なる若葉かな
○小春日の鳥
[やぶちゃん注:この抹消断片は旧全集には、ない。]
○薄雪をうち透かしけり枳穀垣
[やぶちゃん注:「枳穀垣」「きこくがき」。強力な棘を有する枳殻(からたち:ムクロジ目ミカン科カラタチ属カラタチ
Poncirus trifoliata)で作った垣根。]
○小春日や耳木兎とまる竹の枝
○時雨るゝや峯はあけぼのの東山
○あけぼのや軒ばの山を初時雨
○からたちの打ちすかしけり春の雪
○山川の瀨はあけぼのの河鹿かな
○茅屋根に垂るる曇りや春どなり
○庭芝も茜さしたる彼岸かな
○尻立てて這うてゐるかや雉子車
[やぶちゃん注:「這う」はママ。「雉子車」(きじぐるま)は木製玩具の一種。「きじ馬」とも称する。ウィキの「雉子車」によれば、『「きじ」は「雉」と「木地」のダブルミーニングを持っていると言われる』。『九州地方独特の玩具であり、野鳥のキジを模して木材を削って造り、車輪と紐を付属させ、屋外で牽引して遊ぶ。産地は福岡県、熊本県、大分県に集中するが、佐賀県や鹿児島県でも僅かに製作される。発祥の地は阿蘇を中心とする山岳地帯とされる。東北地方を中心に見られる』「こけし」と『比較されることがあり』、「こけし」が『屋内で遊ぶ静的な玩具であるのと対照』的『に、雉子車は屋外で遊ぶ事を主眼とする動的な玩具であるという要素に、北国と南国の対比が反映されているという』とある。グーグル画像検索「雉子車」をリンクさせておく。]
○夕鳥も小春はなかぬ【あはれさよ】軒ばかな
○薄雪をうちすかしけり靑茨
○夕鳥の聲もしづまる小春かな
○からたちや雪うちすかす庭まはり
○あけぼのや鳥立ち騷ぐ【片】村時雨
○庭石に殘れる苔も小春かな
○小春日や梟とまる竹の枝
○小春日の塒とふらしむら笹
○塒とふ鳥も小春の日あしかな
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