小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(28) 禮拜と淨めの式(Ⅵ)
他の國に於ける祖先崇拜の高級な諸〻の形式の歷史は、吾々をして、神道祭祀の公の儀式の内には、淨めの式が多少必らず入つて居るに相違ないと想像させる。事實神道の儀式の内の最も重要なるものは淨めの式である。この淨めの式を稱して御祓ひといふが、その意は惡を投げ出し、若しくは逐ひ拂ふ事である……。古代のアゼンスに於ては、これと同じ式が每年行はれた。ロオマでは四年每に行はれた。御祓ひは每年二回――舊曆の六月と十二月とに行はれた。それはロオマの淨めの式と同樣義務的のものであり、其義務の背後にあつてその基礎となつて居た思想は、この事に關してのロオマ方を動かしたその思想と同樣なものであつた……。則ち生者の安寧が死者の意志に依ると、人々が信じて居た限り――世界に起る一切の事は、善惡各種の性質ある靈に依つて定められ――惡事は一々目に見えざる破壞の力に、更に別の權力を加へ與へるものであり、從つて公共の繁榮を危くするものである事を人々が信じて居た限り、公の淨めの必要は、世間共通の信仰箇條として行はれるのてある。只だ一人たりとも、或る社會に於て神々の意に悖つた人があれば、それが意識してであると、意ならずした事てあるとを問はず、それは公共の不幸、公共の危險となる。併しすべての人々が、或は思想に依り、或は言葉に依り、或は行爲に依つて、決して神々の心を煩はした事はなかつたといふほど立派に日を送つて居るといふ事は不可能な事である――或は激越した感情に依り、或は無智に依り、或は不注意に依り、さういふ事が起る。平田は言つて居る『各人は如何に深く注意して居ても、必らず偶然知らずしてする罪を犯すものである………惡行惡言には二種ある、意識してするのと、意識せずしてするのとの二種が……。吾々には恁ういふ意識して居ないで犯した罪があると假定して置く方が却つて良いと思ふ』と。さて舊日本の人に取つて――古のギリシヤ、ロオマの市民に取つてと同樣に――宗教なるものは、主として無數の慣習を正確に守るといふにあり、またそれ故に幾種かの祭祀の務を爲す間に、人は思ひがけなくも、目に見えざる神の意に逆らふ事を果たしてしなかつたか、それを知る事は甚だ雖しいといふ事を、吾々は記憶して置かなくてはならない。從つて人々の宗教上の純潔を保持し且つそれを確實にする方法として、時を期しての淨めの式は、必要缺くべからざる事と考へられて居たのである。
[やぶちゃん注:「アゼンズ」Athens。アテネ。この英語はフランス語「Athènes」が由来らしい。
恒文社版の平井呈一氏の訳では、ここに平田篤胤の引用元の「玉襷」の「六之卷」の原文が示されてある(平井氏のよる中略有り)。以下に恣意的に漢字を正字化して示す(仮名遣いはママ)。
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然(サ)るは何(イカ)に其行(オコナ)ひを慎(ツツシ)む人なりとも。自(ミヅ)から知て犯(オカ)す事こそ無(ナカ)るめれ。心に得知(エシ)らで過犯す事は。必ズ有りとは心得べし。(中略)善(ヨカ)らぬ事と知つゝ行ふを惡といひ。知らずして善らぬ事あるを過(アヤマチ)と云ふ。然れば惡と云までの事はなくとも。誰(タレ)しの人も。過なしとは云がたし。(中略)其は己レも隨分に過犯し無らむと力めて。木にも草にも心おけども。心ならずも知りて犯す罪さへ有れば。況(マシ)て得知らぬ過犯しの罪は多からむと。常に安からず思う事にしあればなり。心あらむ人よく思うべし。
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極古い時代から神道は嚴密に淸潔といふ事を要望した――實に、身體の不潔を以て道德上の不潔と同じ名のとなし、神々に對して許すべからざるものと考へて居たと云つて差支ない位であつた。神道は常に洗淨の宗教であつたし、今日でも同樣である。日本人の淸潔を愛することは――日々に入浴すること、家庭の點のうち處のない狀態等に依つても解るのであるが――その宗教に依つて維持され、恐らくそれから教へられたものであらう。一點の汚れもとどめない淸潔といふ事が、祖先崇拜の祭典に求められて居て、――神社に於ても、祭司の一身に於ても、また家庭に於ても――純潔に關するこの規定は、自然だんだんと生存のあらゆる狀態に押し擴められて行つた。そして一定の時期に於ける淨めの式の外に、幾多の不淨拂ひの式が祭祀に要求された。記憶すべき事には、斯ういふ事が、古いギリシヤ、ロオマの文明の内にもあつて、その市民はその生活の殆どあらゆる重大な時期には、淨めの式に從はせられたのてある。則ち誕生、結婚、死亡等に際しては、淨めが必要缺くべからざるものとされて居た。戰爭に出る前にも同樣てあつた。一定の時を期して住居、土地、地方、その都會の淨めもあつた。そして日本に於けると同樣、豫め手を洗はずして宮に近づく事は決して許されなかつた。併し昔の神道はギリシヤ、ロオマの祭祀以上にそれを要望した、神道は則ち誕生のために特別な家――分娩の家、結婚完了(床入)のための特別な家――婚儀の家、竝びに死者のための特別な家――喪屋等の建立を要求した。以前婦人はその月經期問、竝びに産褥期間、別居する事を求められて居たのである。この種の古い嚴しい慣習は、一二の遠隔の地に於けると、神官の家族に於けるとの場合以外、今は殆どなくなつてしまつた、併し淨めの式竝びに聖處に近づくのを禁ずる時日及び事情等に關しては、今日なほ到る所でそれが守られて居る。身體上の純潔は、心の純潔と等しく強要され、每六箇月目に行はれる淨めの大きな式は、勿論道德上の淨めとなるのである。それはただに大きな神社に於て、竝びに氏神に於て行はれるのみならず、またすベての家庭註に於ても行はれるのてある。
[やぶちゃん注:以下、原註は底本では四字下げポイント落ちである。]
註 神棚には大抵長方形の紙の箱が置かれてあるが、その内には國の大祓の式の時、伊勢の神官が用ひた棒り斷片が入つて居る。この箱は通例式の名則ち御祓といふ名を以て呼ばれて居り、伊勢の大神宮の名が記されてある。この品のあるといふ事は、家を保護するのだと考へられて居る、併しそれは六箇月の盡きた際には、新しい御祓に代へられる、何となればその祓の力は兩度の淨めの式の間だけつゞいて居るものと考へられて居るからである。伊勢の淨めの式の際に『惡魔を佛ふ』ために用ひられた幾本かの棒の斷片を、幾千といふ家庭に分配する事は、勿論高い神官の保護を、次の御祓の時までそれ等の諸家庭に擴めるといふ意味である。
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