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2018/01/01

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鸕鷀(しまつとり)〔ウ〕

 

U

しまつとり 鷧 水老鴉

鸕鷀

      【龢名之萬

       豆止利

       今俗云

       宇乃鳥】

ロウツウ

 

本綱鸕鷀處處水郷有之似而小色黑亦如鴉而長喙

微曲善沒水取魚日集洲渚夜巢林木久則糞毒多令木

枯也漁舟徃徃縻畜數十令其捕魚

肉【味】酸鹹冷微毒主治大腹鼓脹利水道凡魚骨哽者但

念鸕鷀不已卽下此乃厭伏之意耳最燒灰服之愈可

也其屎名蜀水花【宇乃久曾】

――――――――――――――――――――――

幼頭魚鮫 似鸕鷀而蛇頭長頂冬月羽毛落盡栖息溪

岸見人不能行卽沒入水

[やぶちゃん注:「」は底本では中の「力」のない字であるが、表示出来ない。「東洋文庫」訳が本字で表記しているのでそれに従った。]

 夫木白濱に墨の色なる島津鳥筆に及はゝ繪にかきてまし四條

 同 なるみかたうのすむ岩におふるめのめもかれすこそみまくほしけれ俊賴

△按龢名抄云大曰鸕日本紀私記志萬豆止里小曰鵜鶘【俗云宇】反

于本草之説而【鸕鷀小黑色鵜鶘大而灰白】有黑白大小之異蓋鸕

鷀全體黑惟頷下及翅裡脇邊有白色爾漁人令鸕鷀

捕魚魚未下咽時推鸕鷀喉則自出鸕鷀常馴知之而

不俟漁手而吐魚亦妙也好捕鮎初横咬鮎頭頻投水

豫殺之從首吞之𦐂𦐂振羽卽鮎潰於腹中惟尾不化

有出于者糞其鸕鷀使人濃州岐阜邊者至巧一擧放

十四雙餘國之漁人不相及其肉味有臭氣而不堪食

但割腹去膓切其餘用新刀則不臭【膓有臭氣使之不傳染也】

三才圖會云鸕鷀吐而生子多者生七八少者生五六

相連而出若絲緒焉本草陶陳二氏共云此鳥不卵生

口吐其雛如兎吐兒寇氏云有一大木上有三四十窠

旦夕視之既能交合又有碧色卵殻布地則吐雛之説

誤也

 

 

しまつとり 鷧〔(い)〕

      水老鴉〔(すいらうあ)〕

鸕鷀

      【龢名〔(わめい)〕、

       「之萬豆止利〔(しまつとり)〕」。

       今、俗に「宇乃鳥〔(うのとり)〕」

       と云ふ。】

ロウツウ

 

「本綱」、鸕鷀、處處の水郷に之れ有り。〔(げき)〕に似て小さく、色、黑し。亦、鴉(はしぶと)のごとくにして、喙、長く、微かに曲り、善く水に沒し、魚を取る。日は洲渚〔(すさ)〕に集まり、夜は林木に巢くふ。久しきときは、則ち、糞毒多く、木をして枯らしむなり。漁舟、徃徃〔(わうわう)〕、數十を縻(つな)ぎ畜(か)ひて、其れをして魚を捕らしむ。

肉【味。】酸鹹。冷。微毒。大腹鼓脹を治することを主〔(つかさど)〕り、水道を利す。凡そ、魚の骨、哽(のどにた)つ者は、但だ、密〔(みつ)〕に鸕鷀を念じ、已まざれば、卽ち、下る。此れ、乃〔(すなは)〕ち、厭-伏(まぢなひ)の意のみ。最も、〔その肉を〕燒灰にして之れを服さば、愈(いよい)よ、可なり。其の屎〔(くそ)〕を「蜀水花」【「宇乃久曾〔うのくそ)」〕】と名づく。

――――――――――――――――――――――

頭魚鮫〔(ようたうぎよかう)〕 鸕鷀に似て、蛇頭、長き項〔(うなづ)〕。冬の月、羽毛、落ち盡す。溪岸に栖み息(いこ)ふ。人を見て、行くこと能はず、卽ち、水に沒入す。

[やぶちゃん注:「」は底本では中の「力」のない字であるが、表示出来ない。「東洋文庫」訳が本字で表記しているのでそれに従った。また「長き項」は原文は前のように「長頂」であるが、どうも不自然で、「東洋文庫」訳でもこの字の右にママ注記を施し、訂正割注で『(項)』としているのが、確かに腑に落ちるので、ここでは特異的に「項」とした。

 「夫木」

    白濱に墨の色なる島津鳥

      筆に及ばゞ繪にかきてまし 四條

 「夫木」

    なるみがたうのすむ岩におふるめの

      めもかれずこそみまくほしけれ 俊賴

△按ずるに、「龢名抄〔(わみやうせう)〕」に云く、『大なるを「鸕〔ろし〕」と曰ひ【「日本紀」の私の記に云はく、「志萬豆止里」。】小なるを「鵜鶘〔(ていこ)〕」と曰ふ【俗に「宇」と云ふ。】』〔は〕「本草」の説に反〔(そむ)〕く。【鸕鷀は小にして黑色。鵜鶘は大にして灰白。】黑白大小の異、有り。蓋し、鸕鷀は、全體、黑く、惟だ頷〔(あご)〕の下及び翅の裡〔(うち)〕・脇の邊〔りに〕、白色、有るのみ。漁人、鸕鷀をして魚を捕らしむ。魚、未だ咽を下らざる時、鸕鷀の喉を推すときは、則ち、自〔(おのづか)〕ら出づ。鸕鷀、常に馴(な)れて之れを知りて[やぶちゃん注:この部分、返り点通りに従うと、「常に知りて之れを馴れて」となっておかしいので従わなかった。]漁〔人の〕手を俟〔(ま)〕たずして魚を吐くも亦、妙なり。好んで鮎(なまづ[やぶちゃん注:ママ。])を捕る。初め、横に鮎の頭を咬〔(か)み〕て頻りに水に投じ、豫(あらかじ)め、之れを殺し、首より之れを吞みて、「𦐂𦐂(はたはた)」と羽を振〔(ふる)〕へば、卽ち、鮎、腹中に潰〔(つぶ)〕る。惟だ、尾〔のみ〕、化せず〔して〕糞より出ずる者、有り。其れ、鸕鷀使〔(う〕つかひ)の人、濃州岐阜(ぎふ)の邊の者、至つて巧みなり。一擧に十四雙を放つ。餘國の漁人、相ひ及ばず。其の肉味、臭氣有りて食ふに堪へず。但し、腹を割〔(さ)〕き膓(わた)を去りて、其の餘を切るに、新〔しき〕刀を用ふるときは、則ち、臭からず【膓に臭氣有りて之れをして傳-染(うつ)さざらざればなり。】

「三才圖會」に云く、『鸕鷀、吐きて子を生ず。多き者、七、八を生ず。少き者、五、六を生ず。相ひ連〔なり〕て出づ。絲緒〔(しちよ)〕のごとし。』〔と〕。「本草」に陶・陳二氏、共に云く、『此の鳥、卵生せず、口より吐く。其れ、雛を兎の兒を吐くがごとし。』と。寇〔(こう)〕氏が云く、『一の大木、有り。上に三、四十の窠〔(す)〕、有り。旦夕、之れを視るに、既に能く交-合(つる)む。又、碧色の卵(たまご)有りて、殻(から)、地に布(し)く。』と云ふときは、則ち、雛を吐くの説、誤りなり。

 

[やぶちゃん注:まず、「本草綱目」のそれ、則ち、中国での鵜飼に用いるそれは、鳥綱 Avesカツオドリ目 Suliformes ウ科 Phalacrocoracidae ウ属カワウ Phalacrocorax carbo であるが、本邦の鵜飼に用いるそれは実は、ウ属ウミウ Phalacrocorax capillatus を用いている。これはウミウの方がカワウより大型であり、捕食する鮎(条鰭綱 Actinopterygiiキュウリウオ目 Osmeriformesキュウリウオ亜目 Osmeroideiキュウリウオ上科 Osmeroideaキュウリウオ科 Osmeridaeアユ亜科 Plecoglossinaeアユ属アユ Plecoglossus altivelis)も大型個体を狙うこと、中国ではウミウよりもカワウが多いことによるものである。

 

「龢名〔(わめい)〕」「龢」は「和」の正字。「龠」+音符「禾」で、「龠」は音階の調「和」すること、「禾」は実をつけた穀物の穂で、充実したさまを表わす。音楽が調和がとれ、満ち足りた様子が原義。

 「之萬豆止利〔(しまつとり)〕」「島つ鳥」。「つ」は格助詞で「所属・位置」を示し、「~の・~にある」の意。「島にすむ鳥」の意。

〔(げき)〕」は、鷺(さぎ)に似た大形の水鳥で、船首にこの水鳥を象った飾りを付けることで知られる。因みに、「鶂鶂(げいげい)」は鵞鳥(がちょう)の鳴き声を表わす。

「鴉(はしぶと)」スズメ目 Passeriformes カラス科 Corvidae カラス属ハシブトガラスCorvus macrorhynchos を指す。ここは主に体色を示すために提示したものであろう。

「沒し」潜り。

「洲渚〔(すさ)〕」渚。汀(みぎわ)。

「久しきときは」永く同一地点に巣食う時は。カワウもウミウも非常に大きなコロニー(万単位を作る(次注参照)。

「糞毒多く、木をして枯らしむなり」ウィキの「カワウ」によれば、『カワウは営巣時、生木の枝を折り取るため、コロニーでは樹木の枯死が広範囲にわたって起こることが多い。また、多量の真っ白な』糞(グアノ:guano:ケチュア語(QuechuaQuichua:かつてインカ帝国(タワンティンスーユ)を興したことで知られる民族で、ペルー・エクアドル・ボリビア・チリ・コロンビア。アルゼンチンに居住する人々の言語)の「糞」を意味する語がスペイン語経由で英語に入ったもので、狭義には珊瑚礁等に海鳥の死骸・糞・彼らの餌の魚・卵の殻などが長期間(数千年から数万年)堆積して化石化したものを指す。これはリン酸成分が濃縮したもので肥料資源として利用される)により、『コロニーや採餌場所では水質・土壌汚染、悪臭、景観の悪化など招く他、糞が植物を葉を覆って光合成を阻害し』、『植物を枯らす』とあり、ウミウの場合も真っ白になり、島嶼部を丸裸にしてしまうケースがある。

「大腹鼓脹」腹部の膨満。

「水道を利す」利尿作用がある。

「哽(のどにた)つ者は」咽喉に刺さった場合。

「密〔(みつ)〕に」一心に。

「鸕鷀を念じ、已まざれば」ウを念頭に浮かべて、不断に祈念すれば。類感呪術であるが、面白いのは「本草綱目」がこれを「厭-伏(まぢなひ)の意」味だけであって、プラグマティクには、以下の服用をすれば効果絶大である、と述べている点である。必ずしも呪術一辺倒でない点(但し、ウの肉をガシガシに焼いて炭灰にしたものという点では、未だ類感呪術ではあるが、刺さり方にもよるものの、処方としては現在でも肯定し得るものである)点には着目しておいてよかろう。

「蜀水花」川鵜の糞で、古い本草書には顔面の傷痕や斑点などを治す効果があるとされているようで、現在の漢方美容処方に使用されていることがネット情報で確認出来る。

頭魚鮫〔(ようたうぎよかう)〕」読みは推定音。種は不詳。識者の御教授を乞う。

「行くこと能はず」飛翔も出来ず、陸を歩行するのも苦手らしい。だから、水に潜るしかないというのである。これと、冬期に羽毛が総て脱落するという点が種同定のヒントにはなりそうだ。

「白濱に墨の色なる島津鳥筆に及ばゞ繪にかきてまし」整序すると、

 白濱(しらはま)に墨(すみ)の色なる島津鳥(しまつどり)筆に及ばば繪に畫きてまし

で、「夫木和歌抄」の巻二十七の雑九にある。「四條」とは「十六夜日記」の作者阿仏尼(貞応元(一二二二)年?~弘安六(一二八三)年)で、彼女の女房名である安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)をとったもの。これは「十六夜日記」に、

   *

たかしの山もこえつ。海見ゆるほどいとおもしろし。浦風あれて、松のひゞきすごく、浪いとあらし。

 

  わがためや浪もたかしの濱ならん

        袖の湊の浪はやすまで

 

いとしろき洲崎(すさき)に、くろき鳥のむれ居たるは、「う」といふとりなりけり。

 

  しら濱に墨の色なるしまつ鳥

        ふでもおよばば繪に畫きてまし

 

 濱名の橋より見わたせば、「かもめ」といふ鳥、いとおほくとびちがひて、水の底へもいる、岩のうへにも居たり。

 

  かもめ居る洲崎の岩もよそならず

        浪のかけこす袖に見なれて

   *

とで出る(前後を含めて引いた)。「たかしの山」は「高師山」で三河と遠江の間にある。

「なるみがたうのすむ岩におふるめのめもかれずこそみまくほしけれ」整序すると、

 

 鳴海潟鵜の栖む岩に生ふる藻(め)の芽も枯れずこそ見まくほしけれ

 

であろうか。「鳴海潟」は尾張国の歌枕で、潮の干満で渚の景観が大きく変化したことで知られる。同じく「夫木和歌抄」の巻二十七の雑九にある。「俊賴」は歌論書「俊頼髄脳」でしられる平安中後期の官吏で歌人の源俊頼(天喜三(一〇五五)年~大治四(一一二九)年)。堀河院歌壇の中心的存在で白河法皇の命により「金葉和歌集」を撰進した。官吏としては不遇であった。

「龢名抄〔(わみやうせう)〕」源順の「和名類聚抄」。

「鸕〔ろし〕」私の推定読み。

『「日本紀」の私の記』「日本書紀私記」(にほんしょきしき)。平安時代に行われた「日本書紀」の講書の内容を纏めた書物である。「日本紀私記」(にほんぎしき)とも称する。「日本書紀」は、平安時代には養老五(七二一)年・弘仁三(八一二)年・承和一〇(八四三)年・元慶二(八七八)年・延喜四(九〇四)年・承平六(九三六)年・康保二(九六五)年の七回の講書「日本紀講筵」が行われたとされており、本書はこれらの講書の記録である。参照したウィキの「日本書紀私記」によれば、『種々のものが作成されたと考えられているが、現存するものとしては甲乙丙丁の四種が知られている。甲乙丙本は水戸の彰考館に伝えられたもので、彰考館本と呼ばれる。また、丁本は六人部氏本と呼ばれる。このうちどの本がどの年代の講書の私記であるのかは明らかでないが、甲本は弘仁、丁本は承平の講書の私記であると考えられて』いる。鎌倉時代に成立した』「釈日本紀」にも『元慶や承平の私記が引用されており、本書は「日本書紀」を『解釈する上で重要な史料である』という。

「鵜鶘〔(ていこ)〕」私の推定読み。

「本草」「本草綱目」。

「反〔(そむ)〕く」逆である。「本草綱目」には「鸕」はないが、「鵜鶘」は独立項としてあり、そこでは「大如蒼鵞」とか、「似鶚而甚大灰色如蒼鵞」とあり、大きいことが特異的に記されているのを良安は言っているのであろう。

「妙なり」何とも言えず、興趣がある。

「鮎(なまづ[やぶちゃん注:ママ。])」中国語では「鮎」は確かにナマズ(条鰭綱 Actinopterygii新鰭亜綱 Neopterygii骨鰾上目 Ostariophysiナマズ目 Siluriformesナマズ科 Siluridaeナマズ属 Silurusナマズ Silurus asotus を指すが、何故ここで良安がわざわざ「ナマヅ」(原典はカタカナ)とルビを振ったのか、大いに不審である。鯰(なまず)の生態から言っても、鵜が鯰を鵜飼漁に於いて有意に捕食するとは思われないからである。因みに「東洋文庫」訳ではこのルビを排除している。

「𦐂𦐂(はたはた)」オノマトペイア。「𦐂」(音:ヨク・イキ)は翼の意。

「化せず〔して〕」消化しない(されない)で。

「糞より出ずる者、有り」「者」とあるから、そういう場合もある、の意であるから、尾も消化してしまうケースもあるということになる。

「鸕鷀使〔(う〕つかひ)」鵜飼。

「十四雙」一つの繩手で一対ということであろうから、二十八羽となる。

「氣」良安は多くの場面でこの字を「かざ」と訓じているが、「臭」に送り仮名「キ」は送られていないので、ここは「臭氣」で「しうき(しゅうき)」と読んでおくことにした。

「絲緒〔(しちよ)〕」長い糸にコマを結んだように、繋がっていることを言っているようである。

「陶」六朝時代の医師で科学者でもあっ弘景(四五六年~五三六年)。李時珍の「本草綱目」には彼の叙述が頻繁に引用される。

「陳」陳蔵器(六八一年?~七五七年?)は唐代の医学者で本草学者。浙江省の四明の生まれ。開元年間(七一三年~七四一年)に博物学的医書「本草拾遺」を編纂している。やはり「本草綱目」には彼の叙述が頻繁に引用されている。

「雛を兎の兒を吐くがごとし」南方熊楠の「十二支考」の「兎に関する民俗と伝説」(大正四(一九一五)年一月発行『太陽』初出)に、

   *

陳蔵器の説に「兎の尻に孔あり、子口より出づ、故に妊婦これを忌む、ただ欠唇のためにあらざるなり」。ただ尻に孔あるばかりでは珍しうないが、これは兎の肛門の辺に数穴あるを指さしたので、予の近処の兎狩専門の人に聞くと兎は子を生むとたちまち自分の腹の毛を搔きむしりそれで子を被う、と言った。牛が毛玉を吐く例などと比較して、この一事から子を吐くと言い出たのだろ。しかして、支那の妊婦は兎を食うて産む子は痔持ちになったり、毎度嘔(へど)吐(つ)いたり、また欠唇(いくち)に生まれつくと信じたのだろ。『埤雅』に咀嚼するものは九竅(きょう)にして胎生するに、独り兎は雌雄とも八竅にして吐生す、と見え、『博物志』には「兎、月を望んで孕(はら)み、口中より子を吐く。故にこれを兎(と)という、兎は吐なり」と出づ。雌雄ともに八竅とは鳥類同様生殖と排穢の両機が一穴に兼備され居るということで、兎の陰具は平生ちょっと外へ見えぬから言い出したらしい。王充の『論衡』に、兎の雌は雄の毫(け)を舐(な)めて孕むとある。『楚辞』に顧兎とあるは、注に、顧兎月の腹にあるを天下の兎が望み見て気を感じて孕む、と見ゆ。従って仲秋月の明暗を見て兎生まるる多少を知るなど説き出した。わが邦でも昔は兎を八竅と見たものか、従来兎を鳥類と見なし、獣肉を忌む神にも供え、また家内で食うも忌まず、一疋二疋と数えず一羽二羽と呼んだ由。

   *

とある(引用は一九八四年平凡社刊「南方熊楠選集1」に拠った)。

「寇〔(こう)〕氏」北宋の官吏で本草学者であった寇宗奭(こう そうせき 生没年未詳)。諸対象の薬性を研究し、処方する際には個々の薬性の特徴を理解すべきだと主張し、一一一六年に自らの観察と実験に基づいた薬学書「本草衍義」(原書名は「本草廣義」。全二十巻)を著している。

「一の大木、有り。上に三、四十の」鸕鷀の「窠〔(す)〕、有り」である。

「殻(から)、地に布(し)く」卵から孵化し、その卵の殻が多数、木の下の地面に散り、敷くようにあった。寇宗奭のフィールド・ワークの勝利である。]

 

 

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