芥川龍之介 手帳7 (7) 天寧寺
○天寧寺の塔 赤壁 白桶 綠瓦 十三層 燕亂飛 楡 ○後魏孝文帝建立 光林寺 隋に宏業寺 唐に天王寺 金 大萬寺 元 未兵戮 明初重修 元寧寺 後ニ天寧寺 乾隆二十年の重修 ○塔は隋文帝建立十三級 二十七丈餘 三千四百餘の鐸鈴 下は蓮華臺 佛字彫の壁 塔前廢寺 佛頭瓦をおく 大明弘治十七年(大理石の蓮臺) 天井半なし
[やぶちゃん注:「天寧寺」北京広安門外にある北魏の孝文帝の時代に建てられた寺院。元末の戦火によって塔を残して亡失した(従って「未兵戮」(「未だ兵戮(へいりく)せず」か。非道な兵火に遭わなかったという意か)というのは不審。ここだけを天寧寺塔に限った謂いと見るなら正しいが、文脈上はそうは読めない。思うにこれは岩波旧全集判読者の誤読で「元末兵戮」(に逢って焼亡)という意味ではあるまいか?)。明代に復興して天寧寺と呼ばれた。芥川龍之介は「北京日記抄 五 名勝」で、
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天寧寺。この寺の塔は隋の文帝の建立のよし。尤も今あるのは乾隆二十年の重修なり。塔は綠瓦(りよくぐわ)を疊むこと十三層、屋緣(をくえん)は白く、塔壁は赤し、――と言へば綺麗らしけれど、實は荒廢見るに堪へず。寺は既に全然滅び、只(ただ)紫燕の亂飛(らんぴ)するを見るのみ。
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と記している。隋の文帝(楊堅(五四一年~六〇四年:隋の初代皇帝(在位:五八一年から没年まで)の創建。寺自体は南北朝の北魏(三八六年~五三四年)の四七一年の創建である(当時の寺名が「光林寺」で龍之介のメモは以後の寺名の変遷を記している。但し、中文サイトを見ると「宏業寺」は「弘業寺」とある)。八角十三層で高さ五十七・八メートル(「二十七丈」は約八十一メートルで不審)、北京で現存する最も高い塔として知られる。サイト版「北京日記抄」で教え子の撮影になる同塔の威容やある種の慄然ささえ感じさせる魅力的なレリーフが見られるので是非どうぞ。
「乾隆二十年」清代。一七五五年。
「後魏孝文帝」(四六七年~四九九年)は北朝北魏の第六代皇帝(在位は四七一年から没年まで)。
「大明弘治十七年」一五〇四年。]
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