芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「二」
二
お花畑の町はさびしい町である。[やぶちゃん注:「お花畑」底本の後注に『松江城(千鳥城)西麓の内堀に沿った町の名。井川芥川を迎えるために、松江市中原町一六七の堀端の一軒屋を借りた。この借屋は、前年』、かの作家『志賀直哉が三月滞在していた家で、「濠端の住まひ」』(大正一三(一九二四)年十月執筆。大正十四年一月号『不二』初出。所持する岩波書店「志賀直哉全集」に拠る)『の舞台ともなった家である』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
くらいお濠の水を隔てゝ城山の杜(もり)と対(むか)い合っている小(ささ)やかな家のうちに僕は母や弟とこのあけ暮れをすごしている。
幼かった頃、おさない心に取ってはロマンスと一種の恐怖との宿り所であった城山は、今でもそうした感じの痕跡の或るものを心に刻みつけている。
透徹した朝の静かさの好きな僕は早くから起きて庭へ下りる。紫陽花の花がうつゝない空色の葩(はなびら)を簇(むらが)り咲いている井戸端で顔をあろうたのち庭先の石段を二つ三つ下りて蹲踞(しゃが)んだ儘じっと濠のうえを眺める。[やぶちゃん注:「簇」は底本では「竹」(かんむり)ではなく(くさかんむり)であるが、ブラウザでは表記出来ないので、一般的に知られている漢字で示した。]
鈍い緑りいろに澱んだ水の面からほの白いあさ靄が慄(ふる)えながら立ちのぼって、向いの岸のさゝ藪や水草やのかたちを曖昧にする。考えるとも無く暁け方に見た夢のなかの事件の発展をねぼけ気に頭の中に思いうかべてうっとりしている瞬間に、向いの杜の蔭深く夜を明かした鶯がはやくからすゞしい声でほゝうほけきょと啼く。[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。]
毎日聴き馴れた声だけれど朝は復(また)新たな音(ね)にきこえると云ったように樹や笹やみず艸や濠の水やが恍惚(うっとり)と聞きとれる。
石段の両側から無花果(いちぢく)の木と桑の木とが枝を交していて、毎あさ定(きま)りて蜘蛛が、そこに蹲踞む僕の頭のうえあたりに網を張っている。ほそい繊(しなや)かな糸を巧みな均整の角度に張り渡してつくった手際をほこるように、すべての糸の輳(あつま)る中心に八つの肢(あし)をそろえながら逆さにとまってそのふしぎな虫は黒に黄のだんだらの模様のある腹を杜のこずえから落ちて来る朝の光にさらしている。
頸を延ばして濠の上の方をながめると両岸の樹木の連なりが次第に狭(せば)まっている端(はて)に稲荷橋の際の松の木が見えて、その梢につゞいて白鹿(しらが)山のなかの一つの峯が鋭くとがった尖端を軟かな藍いろにうるむ暁の空に突き立てゝいる。[やぶちゃん注:「稲荷橋」ここ(グーグル・マップ・データ)の中央上部で松江城内に繋がっている橋。「白鹿(しらが)山」松江市法吉町にある標高百四十五メートルの山。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
心がしばらくの間一切の濁った内容を振り捨てゝ、生まれたまゝの明るさに透きとおる、物と心とが溶け合うと云う純一無雑のふかしぎの世界の光りがちらと現われて、じきに限り無く遠いところへ消えて行ってしまう。
石段をのぼり庭を五六歩来て板椽に立ちあがり「おいもう起きろ」と蚊帳のなかの弟を呼びにおこすと、「はあん」とねむそうな声で返事をするが、それからよっぽど経たなければ起きて来ない。
やっと起きて来たかと思うと僕が読みさしておいた新聞を腹這いに成って読みはじめる。講談の愛読者で毎朝欠かさずに眠い眼をこすりこすり読む。それと午后中学のグラウンドへ行ってベースの稽古をやる事とだけはまったく熱心なもので誰にも頼まれないでも欠かしたことはない。
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