芥川龍之介 手帳7 (10) 紫禁城(Ⅰ)
○古木寒泉圖 文衡山 山水 李世偉 山水 雛一柱(淸) 震澤烟樹 唐寅(明) 本仁殿
[やぶちゃん注:芥川龍之介は実は「北京日記抄 五 名勝」では最後に、
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紫禁城。こは夢魔のみ。夜天(やてん)よりも庬大なる夢魔のみ。
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とだけしか記していない。ある意味、意外なエンディングである。
「古木寒泉圖 文衡山」明代中期に活躍した文人画家文徴明(一四七〇年~一五五九年:詩・書・画に巧みで「三絶」と称され、取り分け、画においては呉派文人画の領袖である沈周の後を受け継ぎ、沈周・唐寅・仇英とともに「明代四大家」に数えられている。徴明は字で後に徴仲と改めている。衡山・衡山居士などと号し、「文衡山」と呼ばれることも多い)の描いた「古木寒泉圖」。中文個人ブログ「每日頭條」のこちらで圧倒的な画像(部分拡大も有り)で見られる。
「李世偉」不詳。
「雛一柱」人名(雅号)と思われるが、不詳。
「震澤烟樹 唐寅」「唐寅」(とういん 一四七〇年~一五二三年:明代に活躍した文人。書画に巧みで祝允明・文徴明・徐禎卿と並んで「呉中の四才」と呼ばれた。後年、仏教に心を寄せたことから「六如」と号した)の描いた「震澤烟樹圖」。現在、台北故宮博物館蔵。これ(中文「百度百科」の画像)。
「本仁殿」紫禁城の東南部の中央にある文華殿(明代には皇太子が暮らし、「内閣」が置かれ、清代には乾隆帝によって編纂された「四庫全書」が収められ、儒教の講義が行われた)の東側に建つ。現在は陶磁館となっている。]