甲子夜話卷之四 21 大女の手痕
4-21 大女の手痕
文化丁卯、大女の手痕を人より示す。これ段成式、謝在杭の書にも見ゆ。一奇なり。その女、生國下總國小金村百姓新七の娘にて、品川本宿南二丁目鶴屋の内に在り。名は蔦野、年二十三、長ケ頂上迄五尺八寸五分。
■やぶちゃんの呟き
「文化丁卯」文化四年。一八〇七年。
「段成式」(八〇三年?~八六三年?)は唐の詩人で博学を以って知られた文人政治家。憲宗・穆宗期の宰相であった段文昌の子。父の功により、校書郎に任じられ、尚書郎・吉州(今の江西省吉安)刺史・太常少卿を歴任した。ここで静山が言っているのは恐らくは彼の著作中、最も知られる随筆集「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」(二十巻・続集十巻)のことであろう。私は全訳本を所持するが、類似記事を探すのが面倒なので調べていない。悪しからず。
「謝在杭」謝肇淛(しゃちょうせい 一五六七年~一六二四年)は明朝の文人政治家。在杭は字(あざな)。南京刑部主事・兵部郎中・工部屯田司員外郎を経て、広西按察使に任ぜれた。官位は広西右布政使に至った。ここで静山が言っているのは恐らくは彼の著作中、最も知られる随筆集「五雑組」(全十六巻)ではないかと思われる。
「下總國小金村」下総国葛飾郡(現在の千葉県松戸市大谷口付近)の旧小金(こがね)城のあった辺りか。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「品川本宿南二丁目」目黒川河口附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「蔦野」「つたの」であろう。
「長ケ」「たけ」。無論、背丈。
「五尺八寸五分」約一メートル七十七センチメートル。