芥川龍之介 手帳9 (2)
○後藤新平の■女 新平に金をせびり甥を洋行さす
[やぶちゃん注:「後藤新平」(安政四(一八五七)年~昭和四(一九二九)年)は政治家。帰農した伊達藩士の子で当初は医師であった。児玉源太郎のもとで台湾経営に顕著な働きを見せ、明治三九(一九〇六)年には南満州鉄道初代総裁となり、二年後には逓信大臣兼鉄道院総裁・拓殖局副総裁、大正七(一九一八)年に外務大臣などを歴任、その後、大正九年から同十二年には東京市長となり、震災直後の第二次山本内閣では、内務大臣(二度目)兼帝都復興院総裁として世界最大規模の帝都復興計画にも携わった。]
○名刺を出す 一枚では當にならんと言ふ 五枚出す
○鴿の卵を見つけ(三つ) 鷄にかへさす 卵は蛇になる
[やぶちゃん注:「鴿」「はと」。鳩に同じい。]
○分量 戀愛 離惱 新思想 殘刻な等の制限を受く
[やぶちゃん注:「殘刻」ママ。]
○おれはあいつを殺したのにあいつの事を考へると屍體の事は考へてない 生きてる姿を考へる
○信輔 雨中の漏電の如き mental flash を欲す
[やぶちゃん注:「信輔」は芥川龍之介の自伝風小説「大導寺信輔の半生――或精神的風景畫――」(大正一四(一九二五)年一月の『中央公論』に掲載)の主人公の名であるが、そこには出ない。しかし、同作は最後に芥川自身が、
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附記 この小説はもうこの三四倍續けるつもりである。今度掲げるだけに「大導寺信輔の半生」と言ふ題は相當しないのに違ひないが、他に替る題もない爲にやむを得ず用ひることにした。「大導寺信輔の半生」の第一篇と思つて頂けば幸甚である。大正十三年十二月九日、作者記。
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と記している通り、同作は未完で、これを、その後のシークエンスのメモとして書いたことは明白である。しかし、もうお分かりの通り、「雨の」中の電線から「漏電」した火花の閃光のような精神の閃(ひらめ)きを「欲す」るというメモは、反故にされることはなく、遺稿となった「或阿呆の一生」で(リンク先は私の古い電子テクスト)、
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八 火 花
彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也烈しかつた。彼は水沫(しぶき)の滿ちた中(うち)にゴム引の外套の匂を感じた。
すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を發してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雜誌へ發表する彼の原稿を隱してゐた。彼は雨の中を步きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
架空線は不相變鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄(すさ)まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。
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となって芥川龍之介の死後に閃光を放つこととなったのである。]
○There is a plan that flowers
only one in its life-time, though in 70 years ― the talipot-palm.
[やぶちゃん注:「七十年もの歳月を通して、その生涯でたった一度だけ花を咲かせるという生態を持つものがいる。それはタリポット椰子である。」。「talipot-palm」(タリポット椰子)は和名を単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科コウリバヤシ(行李葉椰子)属コウリバヤシ Corypha umbraculifera と称する(本邦には自生しない)。ウィキの「コウリバヤシ」によれば、『南インド(マラバール海岸)およびスリランカが原産で』、『東南アジアから中国南部にかけて栽培されている』。『英名からタリポットヤシとも呼ばれる』。『世界で最も大きいヤシのひとつで、直径』一・三メートル、高さ二十五メートルに達する個体もあり、最大直径五メートルにも及ぶ掌状葉と、四メートルの葉柄及び百三十枚もの葉を持つ。『また、植物の中で最大の花序』(六~八メートル程度になる)『を持ち、幹の先端で形成される分岐した茎から数百万の花で成り立つ』が、『一稔性の植物で』、樹齢三十年から八十年の間に『一度だけ花を咲かせる。単一の種を含んだ黄色から緑色の直径』三~四『センチメートル程度の果実を数千個結実し』、一『年かけて実が熟した後、枯れてしまう』とある。因みに、このコウリバヤシの葉は、『歴史的に』「貝葉」(ばいよう:椰子などの植物の葉を加工し、紙の代わりに用いた筆記媒体で、東南アジア・南アジアで多く利用された。漢名「貝多羅葉(ばいたらよう)」の略称であるが、これは古代インドに於いて植物の葉が筆記媒体として用いられていたため、サンスクリットで「木の葉」の意味を持つ「パットラ」と、その素材として主に用いられたオウギヤシ(パルミラヤシとも。ヤシ科パルミラヤシ属オウギヤシ Borassus flabellifer)の葉を指す「ターラ(多羅樹)の葉」を漢訳したものであって、貝とは関係がないので注意されたい)『を作成するために用いられ、尖筆により』、『東南アジアの様々な文化』が、この葉に『書き綴られてきた』、ともある。]