芥川龍之介 手帳8 (9) 《8-9》
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《8-9》
[やぶちゃん注:以下から「○6,9,4」までの条は、旧岩波版全集には載らず、新全集で初めて原資料から活字化された箇所である。最後の二つの数字列以外が総て英文であるというのは、何となく、旧全集編者のカット意志のようなものが感じられなくもない。]
○Richard I――Edward II
[やぶちゃん注:「Richard I」リチャード一世(一一五七年~一一九九年)はプランタジネット朝(Plantagenet dynasty:初期であるのでアンジュー(Angevin)朝と呼ぶのが正しい)第二代イングランド王(在位:一一八九年~一一九九年)。ウィキの「リチャード1世 (イングランド王)」によれば、初代イングランド王ヘンリー二世(Henry II 一一三三年~一一八九年)の三男であったが、父・兄弟と争い、『生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから』、「獅子心王」(Richard the Lionhear:フランス語:Cœur de Lion)と『称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが』、十『年の在位中』、『イングランドに』あったのは僅か六ヶ月だけで、『その統治期間のほとんどは』、『戦争と冒険に明け暮れた』とある。
「Edward II」エドワード二世(一二八四年~一三二七年)は、プランタジネット朝の第六代目に当るイングランド王(在位:一三〇七年~一三二七年)。イングランド王はリチャード一世から彼の弟ジョン(John 一一六七年~一二一六年)へ、その長男エドワード一世(Edward I 一二三九年~一三〇七年)から彼の四男(兄らは早世)である彼へ継がれたが、ウィキの「エドワード2世(イングランド王)」によれば、彼は『寵臣に政治を主導させ、諸侯や議会との対立を深め』、一三二六年には王妃イザベラ・オブ・フランス(Isabella of France 一二九五年頃~一三五八年:その美しさから広くヨーロッパの各宮廷で「佳人イザベラ」として知られたが、その行動からは“She-Wolf of France”(「フランスのメス・オオカミ」)という蔑称も与えられた)。エドワード二世を廃位して実子エドワード三世(即位時十五歳)の摂政として愛人とともに実権を握った)『が起こしたクーデタで幽閉の身となり、その翌年には議会から廃位されたうえ、王妃の密命で殺害され』てしまった。]
○Sherwood Nottingham ―― shire
[やぶちゃん注:現在のイングランドのノッティンガムシャー(Nottinghamshire)の州庁所在地ノッティンガムの一地区。「shire」は「州」であるが、現行の英語では正式な呼称としては「county」で、この「shire」は主にイングランドの州名の語尾として用いる。中世イングランドの伝説上の弓の名手で義賊とされるロビン・フッド(Robin Hood)が隠れ住んだ森として知られる「シャーウッドの森」(Sherwood Forest)がある(ノッティンガムの北約三十キロメートル位置にあって王室林(royal forest)・国立自然保護区(National Nature Reserve)でもある)。]
○Talisman
[やぶちゃん注:護符・お守り。或いは、不思議な力のあるものを指す語。]
○Yeoman
[やぶちゃん注:ヨーマン。自作農・小地主・昔の自由民・王家や貴族に仕えた高位の従者・事務係下士官などの意がある。]
○little John
[やぶちゃん注:ロビン・フッドの相棒の名前であろう。]
○friar Tuck
[やぶちゃん注:ロビン・フッドの仲間。「friar」(フライァー)はカトリックの托鉢修道士のことであるが、彼は「タック坊主」「タック神父」などと邦訳されているようである。]
○Maid Marian
[やぶちゃん注:ロビン・フッドの恋人。「少女/乙女マリアン」などと邦訳されている。]
○12.07
○6,9,4
[やぶちゃん注:数字列の意味、不詳。]
○南京町の入り口 山手警察の一町先 クレサント・クラブ 元フランホテル
[やぶちゃん注:「南京町」「山手」とあるから現在の横浜中華街である。「クレサント・クラブ」は「Crescent club」(三日月俱楽部)で、これはドイツ人フランツ・メッガー(Franz Metzger 一八八四年(Essen)~昭和三五(一九六〇)年(鎌倉))が大正一五(一九二六)年頃に山下町九十二番(この附近(グーグル・マップ・データ))に開いたフランス料理店の名である。「横浜開港資料館」公式サイト内のこちらによれば、フランツは志願兵としてドイツ海軍海兵隊に入隊、中国の青島(チンタオ)に配属されたが、一九一四年の第一次大戦勃発で青島に侵攻して来た日本軍の捕虜となり、広島の似島(にのしま)収容所に収容され、戦後に解放されて東京に行き、日本に残る道を選んだという(こうした選択をした仲間には洋菓子で有名な「ユーハイム」、銀座でドイツ・レストランを開いたケテル、デリカテッセン店で知られる「ローマイヤ」らがいたという)。クレッセント・クラブ(Crescent Club)はしかし、昭和四(一九二九)年の大不況下で潰れたという。本「手帳8」の記載推定時期の上限は大正一三(一九二四)年とするが、ここから、少なくとも、この部分のメモは、もう少し後(大正十四~十五年以降)に書かれたものである可能性が高いことが判ってくる。
「山手警察」現在の横浜市中区山下町二百三のここ(グーグル・マップ・データ)にある神奈川県加賀町警察署。九十二番はここからの距離としても正しい。
「フランホテル」不詳。横浜郷土史研究家の御教授を乞う。]
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