原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 曠野
[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。
本篇「曠野」(「あらの」と訓じておく)は昭和一四(一九三九)年二月号『三田文學』に発表されたものである。
底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。傍点「ヽ」は太字に代えた。
一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月10日 藪野直史】]
曠野
頭の上の空は眞靑だつたが足許には霧が這ひ𢌞つてゐる。あんまり風もないのに霧は霧だけの流れに隨つてゐるらしかつた。唯彦のまはりには見渡す限り丈高い草が波打つてゐる。草には初めてみるやうな珍しい花が咲いてゐて、根元では鈴蟲が靜かに啼いてゐたが、彼の跫音が近づいても啼き歇むやうなことはなかつた。極彩色の小さな蝶が留まつてゐる枝のすぐ隣には靑い蜘蛛が糸を垂れて、透明な糸に纏る幽かな光を娯しんでゐる。
一羽の鷓鴣が唯彦の姿を珍しがつてか、暫く後から、ひよこひよこ從いて來る。唯彦はちよつと鷓鴣を手籠めにしてしまひたいやうな誘惑や、もしかするとこの鳥は死んだ妹の絹子ではあるまいかしらといふ憐愍を抱きながら振返つて後を見たいのを怺へてゐた。惜しいことに、彼の眼の前にある、とりどりの花は何といふ名稱を持つてゐるのか唯彦には解らなかつた。それなのに彼は自分の今步いてゐる場所を描寫でもするやうな心構へでゐ
た。振返ると淋しい微笑が泛んだ。[やぶちゃん注:「鷓鴣」「しやこ(しゃこ)」と読み、広義にはキジ目キジ科Phasianidae の鳥のうちでウズラ(ウズラ属ウズラ Coturnix japonica)より一回り大きく、尾が短く、茶褐色の地味な色彩をしたものの一般的な呼称である。狭義にはキジ科シャコ属Francolinusに含まれる四十一種を指すものの、このシャコ類は殆んど本邦に棲息しないから、ここはウズラの成鳥或いは大型個体を想起してよいと私は思っている。「怺へて」「こらへて」堪(こら)えて。]
急に唯彦は鷓鴣を摑へてやらうと後を振向いた。と、その時にはもう鷓鴣の姿は無かつた。唯彦は足許に落ちてゐた濡れた靑い小石にふいと視線が留まつた。それだつて鳥だよ、絹子だ、君自身だ、と譯のわからない言葉に躓かされてしまつた。唯彦は屈んでその靑い小石に指をあててみた。濡れてゐるのに生溫かつた。美しい白い縞まであつた。指でまはりの土を拂つて掌にのせると、小石は急にドド…………と濁つたオルガンのやうな音をたて始める。中學時代、彼の家にあつた、ぼろぼろのオルガンと、それを片手で彈かうとする苛々した氣分がすぐに憶ひ出された。彼は小石を思ひきり遠くへ放つた。ドド…………と小石の音は唸つて遠ざかつてゐたが、突然ガチヤンと硝子の壞れる音がした。何處にも家らしいものはないので唯彦はけげんな顏をした。それよりも長い間、ものを放つたりしたことのない自分が久し振りに右の肩の筋肉が使へた方が珍しかつた。中學の時、野球で右手を挫いて以來、右手は使へなくなつてゐた。何だか晴々した氣分と同時に、やはり自分はもう死んでゐるのだな、と今更のやうに淋しく怖かつた。誰かが向うから現れて、硝子を壞したのを叱つてくれればいいと思へる。もしかそこに美しい可憐な少女が現れて咎めて呉れるのなら猶更いい。すれば、彼はもう生前のやうにそんなことを照れくさく感じないで、素直な快活な笑顏で迎へよう。しかし、ふと彼は自分がもう卅を越してゐるのを思ふと、却つて照れてしまつた。頰もそげ、眼も窪み、四肢さへよろよろとして、まだ十七歳の夢が少し殘つてゐた。[やぶちゃん注:「すれば」はママ。無論、「そうすれば」のごく口語的な用法。「自分がもう卅を越してゐる」発表当時の原民喜も三十三歳である。但し、私は後の注で原民喜の事蹟を参考に出したりはするものの、主人公唯彦はあくまで原民喜の想像した架空の人物であり、作者の事蹟と一致するものではない。]
…………何のもの音もなく白兎がひよいと叢から現れた。眼がルビー色で、頻りに頰のあたりの鬚を細かく動かせて、彼を物色してゐるらしい姿だ。今度こそ捕へてしまへ、と唯彦は兩手を擴げて飛掛つた。兎はたんと土を蹴ると同時に叢へ消えた。
暫く呆氣にとらはれて、唯彦は兎の消えた方角を見送つた。兎の足跡は砂の上に微かな記號を綴つてゐる。彼はその記號を追つて叢の方へ分け入つてみたくなつた。思つたよりも近くに兎の穴はあつた。唯彦は微かに胸のさはめきを感じた。屈んで覗き込まうとする刹那になつて、何か冷やりとする感觸が怖くなつた。穴の上からぶら下つた破れた蜘蛛の巢が耳朶に觸れる。と、穴の奧から褐色の鎌切が飛出して、唯彦の頤を衝いた。兎の穴にしては多少變だなと思ひはじめると、暗い視野の底にたしかに玻璃のやうな空間が浮び上つて來る。愈々眼を凝して瞬くと、その小さな空間には何か焦點の呆けた物の象が蠢いてゐるのだつた。そのうちに玻璃の表に懸つてゐる白い霞の覆ひが拭はれて、鮮かに小さな空間が定著されかけたかとみると、一度ぐらりと搖れて、今度はすべての象がそれぞれの位置に置かれた。
端書ほどの大きさの廣間だが、そこに坐つてゐる人物は隨つて豆粒よりも小さかつたが、それがお寺の廣間で、唯彦の親爺や、親類が集つてゐることは直ぐにわかつた。桑田堅一も居る。彼は風邪をひいて居るのか頻りに袂から鼻紙を出して、洟をとつた。彼と唯彦が最後に逢つたのは何時のことだつたのか、はつきり憶ひ出せない、そんな風な慣れきつた間柄だつたので、桑田堅一が居ることは異樣ではなかつた。が、今、堅一の前に唯彦の親爺が近寄つて行くと、親爺は頭を疊に下げて、ちよつと空氣を掬ふやうな、ものなれたお叩儀をした。すると、堅一の頰は急に瞬間硬ばつて、それから硬直を解かうとするやうに微笑が現れた。唯彦はをかしかつた。が、何よりもいぢらしいのは、凡ての人物があんまり小さすぎる癖にそれが刻み出す動きが一つ一つ手にとる如く見えることだつた。[やぶちゃん注:「お叩儀」「おじぎ」と訓じているものと思われる。本作品群では「お叩頭」では出て来たが、これは初出の当て字。]
黑い法衣の僧が、二人、つづいて錦を纏つた僧が現れ、太鼓が打たれ始めた。太鼓の前に、七つ八つの子供が駈けつけて行つた。それは叔父の息子に違ひない。子供はしかし僧の脇に來たものの、目的を失つてまた遠くへ駈け去つた。拍子木が打たれ、御經が僧の掌に執られた。愈々、唯彦の四十九日の法會は始まるらしかつた。ところがこの端書大の一切の光景は忽ち輪郭が濁り、色彩が亂されてしまつた。唯彦は自分の眼に淚が浮んでゐるのを知つた。今迄くすくす笑ひながら眺めてゐたのに、つい、うつかり泣いて居たのだつた。唯彦は何だか忌々しく、もう向うにある世界を覗かうとは思はなかつた。勝手にするがいい、と彼は掌に一握りの砂を搔き集めて、その小さな鏡をめあてにパラパラと投げつけた。何だか井戸の底に砂を投げた音が憶ひ出される。井戸の底には妹と彼の顏が映つてゐた、砂を投げつけると、彼等は崩れた。ところが一度映つた妹の顏は、その後妹を失つてから、唯彦が絶望のはて、少し空想が高ぶると、忽ち井戸の底に自在に再生することが出來るやうだつた。
唯彦は再びもとの徑にひきかへした。霧は地面を低迷し、樹木らしいものも、山らしいものもない、ただ繚亂たる草花の原野だつた。そして、空の色は碧かつたが、ここでは時間が停止してゐるやうに日輪の運行が見出せなかつた。何時からこんな場所へ來てゐるのか、唯彦は次第に心細くなつた。まづ秩序だてて自分の足どりを憶ひ出さうとしても、すべては朧氣に色褪せてゐた。彼は頻りに糸口をつかまへようとあせり始めた。
…………桑の葉に夜の雨が降り注ぐのを聽きながら、ぼんやりしてゐたのは隨分昔のことだつた。桑の木があつたのは唯彦の家が町はづれにあつた小學生の頃だつた。それが極く最近になつてから憶ひ出され、ぼんやりして夜の雨を身近かに甦らすと、屋根も畑もびしよ濡れの闇に、突然、だだだ……と遠方の海が立上つて襲つて來る。海は陸を一舐めにして、唯彦を海底へ引摺り込んでしまふ。さう云ふ風な空想に耽り出したのは、唯彦の餘命がもう朧氣ながら凡そ計算出來たからだつた。
空想は海の底の藻屑と化した唯彦の怨靈の行方を追ふ。(そして昔、父親が屋島土産に買つて來た平家蟹の顏を思ひ出す。)海底へ塡り込んだ唯彦は魚類の游泳や藻草の搖曳に心を慰めながらも、やはり地上のことにも興味があつて、時々、覗き穴から陸の方を眺めると、そこでは何と澤山のドラマが演じられてゐることだらうか。さて愈々この地球も衰微してしまつて、もう間もなく滅亡する時期になると、海底の怨靈どもは會議を開き、どうせこんな地球なんか罌粟粒位のものなのだ、我々は始めからこんな地球なぞ選んで生れて來た譯ではなかつた、卽刻他の天體へ移住しようではないか、と云ふ怨靈や、まあ待ち給へ、どうで何處へ行つたつて滅びるものは滅びる、我々も今迄のめのめと死にながらへてはゐたが、ここで潔く、一切合切滅亡にまかせようではないか、滅びるのも亦なかなか壯嚴ではないか、と云ふ説も出る。…………この海底に關する突飛な死後の物語は、何時からともなしに唯彦の心を占めたのだが、もしかすると、最初のきつかけは三度目の喀血の時孕んだのかもしれなかつた。既に二年前の初秋の星月夜だつた。薄暗い路傍で突然くらくらと闇に突き陷されて、再び氣づいた時には彼は擔架で運ばれてゐた。すると、頭上の星空が實に美しく、彼のゐる地球は宇宙の藻屑と化してゐた。彼は水底の魚のやうにあぷあぷと眼を星空に据ゑてゐた。はるか彼方へ泳ぎ去らうとする念願が既にその頃から宿つてゐた。[やぶちゃん注:「どうで」副詞。孰れにせよ。「どうせ」の古めかしい言い方。]
そして、唯彦が今泳ぎ着いて來た地帶は、はたして他の天體なのだらうか。それにしては何處か見憶えのある風景だつた。生れた地方以外にあまり旅行もしなかつた彼だが、それでも死期が豫想され出すと、頻りに見知らぬ國の風景が慕はれ、旅への誘ひが抑へきれなくなつた。それで、よく繪葉書や寫眞を集めて、頭のなかで他國の山河を沍り步いた。自分の墓所をあれこれと選ばうとして遍歷してゐるものの姿や、さては沙羅雙樹の下の寢釋迦の像が描かれた。たとへ繪葉書にしても、地球には何といふ立派な靑山があるのだつたらう。なだらかな山脈に圍まれた小さな湖水、大海の崖に建つ白亞の燈臺、森や丘を縫つてうねうねと續く優しい徑、さうした景色はごつちやになつて唯彦の頭に絡みつき、一つの景色が他の景色を孕み、産みおとされた景色は忽ちまた夢のやうに茫漠たるものの中に吞込まれて行く。そして、漠然とした大きな世界が、そこで彼が瞑目し、さまよひ步くであらう高原が、どうかすると白晝でも描かれるのであつた。
けれども、唯彦は自ら好んで死を手繰り寄せたのではなかつた。それどころか、死ぬる際まで、生きる手段を考へては居たのだ。あの最後の日も、彼は家でラヂオを聽いてゐた。スペインの内亂のニユースが途中で搔き消されてしまふと、後は白い矢のやうなものが頻りに彼の身に降り注いだ。今度こそ駄目なのか、と彼は床に運ばれて少し樂になつた時考へた。彼は憂鬱の氷結した眼を凍と細め、今から何分間生命が保つのか、それをぢつと見守らなければならなかつた。[やぶちゃん注:「スペインの内亂」第二共和政期のスペインで勃発した軍事クーデターによるスペイン内戦は一九三六年七月に始まり、スペイン第二共和政の最後の大統領マヌエル・アサーニャ・ディアス(Manuel Azaña Díaz 一八八〇年~一九四〇年)率いる左派の人民戦線政府(共和国派)と、スペイン陸軍軍人フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde 一八九二年~一九七五年)を中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争い、反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援、欧米市民知識人らも数多く義勇軍として参戦したが、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持して直接参戦に拡大した。本作は昭和一四(一九三九)年二月であるが、その前月にはフランコはバルセロナを占領し、翌月一九三九年三月にはマドリードも陥落、三月三十一日、スペイン全土が反乱軍に制圧され、四月一日、フランコは内戦の終結と勝利を宣言している(ここはウィキの「スペイン内戦」他を参照した)。あまり知られていないと思うので言い添えておくと、原民喜は慶応義塾大学在一、二年の頃、一時、左翼運動へ関心を高め、「解放運動犠牲者救援会」(昭和三(一九二八)年四月に結成された解放運動家の救援活動を行う支援団体であったが、翌年にはコミンテルンの指導の下に設立された「国際赤色救援会(モップル)」に加盟してその日本支部となって「日本赤色救援会」に改称、数年のうちに壊滅させられた)に所属し、昭和五(一九三〇)年には広島地区救援オルグにもなっているが、組織の衰弱化と崩壊に伴って、自然に運動から離れている。それでも結婚翌年の昭和九(一九三四)年五月には『昼寝て夜起きるという奇妙な生活を続けた』(青土社全集年譜。以下、引用は同じ)結果、『特高警察の嫌疑を受け、夫婦で検挙された』りしている(但し、『一晩の拘留で帰され』ている)。本作品群「死と夢」は最古の作品が先に電子化した「行列」(昭和一一(一九三六)年九月発表)で、しかも民喜は長い時間をかけて執筆・推敲する傾向が強いから、本作は「スペインの内亂」とは、内乱の悲惨な終決ではなく、寧ろ、内乱勃発の初期(昭和一一(一九三六)年から翌年辺り)をイメージした方がよいと私は思っている。但し、無論、その頃には原民喜は既に左派運動自体とは全く縁を切っていた。しかし、彼の内実の思想傾向がどうであったかは、定かではない。というより、本作はその点に於いて、確かに彼の名実の感懐を印してはいると言えよう。]
しかし、ニュースが中途で聽けなくなるまでは、彼の現世に對する欲望は持ち續けられてゐた。世界の情勢を研究した上で、相場をして、金儲をして、その金で出版屋を始めて、それから自分も著述をする。このお伽噺に似た計企も以前は病勢を防ぐ一つの役割をして居た。相場はしかし思ふやうにならなかつた。創作も十年前には頻りに不自由な左手でペンを走らせたものだが、最近ではまるで白紙狀態だつた。
十七歳の秋、彼は教師と喧嘩をして中學を退學した。翌年、病魔は最初彼を訪れたのだが、彼の詩はたまたま中央の雜誌に掲載された。その頃から點火された文學に對する野望は、その後まるで形に現はれなかつたが、死ぬるまで、燻りながら彼を苦しめ續けて居たのだつた。彼は藥代で書籍を求めては讀み破つた。結核もしかし、二十代ではまだ若さによつて克服されて居た。何度も死に面しながらも、彼は放縱に振舞つて、病氣を虐待して居た。その間に、彼より遲れて病魔に襲はれた彼の年上の友はあつ氣なく死んでしまつた。その友が死ぬる前の年に、唯彦は相手と口論して地面に叩き伏せられたことがある。彼を叩き伏せた男の靜かな死顏も唯彦は憶えてゐる。
唯彦から若さを奪ひとり、急に魂を萎縮させたのは、その次に來る妹の死であつた。絹子は彼の唯一のよき理解者であつたのだが、結婚もしないうちに死んでしまつた。その頃、彼と彼の父は郊外の畑中の家に移つて暮してゐたが、靜かな環境と妹の死とは彼をすつかり沈滯させてしまつた。彼はもう三十を越してゐた。二十代の自棄くその元氣を顧ると、それが止むを得なかつたことにしろ、或るにがにがしい氣分にされた。外部からも自分からも欺かれてゐたのだ。彼は家の裏に花畑を作つて、草花を植ゑほじめた。はじめはやるせない氣分を紛らすための侘のすさびであつたのだが、不自由な左手で土を掘つたりする時、土から湧き出して來る土の生々しいにほひは彼に忿懣の情を呼び起すのだつた。彼はよろよろとした手つきで、そこはかとない怒りを土に振りまいた。その姿は多少凄味をさへ感じさせた。そして疲れはてて立上ると、眼は眩しい靑空に昏みさうになるのだつた。さうした過勞が祟つて、三度目の喀血となつた。それから死に到るまでにはまだ二年の歳月がある。[やぶちゃん注:「自棄くそ」「やけくそ」。「顧ると」「かへりみると」。「忿懣」「ふんまん」。憤懣。憤(いきどお)り悶(もだ)えること。腹が立って苛々(いらいら)すること。]
…………しかし、この、たどたどしい、朧な經歴も、今、唯彦のぼんやりとした囘想のうちに浮んで來たのだが、彼自身が囘想してゐるといふよりも、誰か外部の人間に依つて記述されてゐるやうな氣がした。誰が私のことを小説などにしてゐるのだ、と唯彦はふと遠方の空を眺めた。そこには眞白い星が二つ三つ微かに瞬いてゐる。
不意と森の事を憶ひ出した。さては、あの男が今私のことをごたごた書いてゐるのだな、唯彦は急にをかしくなつた。勝手にするがいい、と唯彦は胸のうちで呟いた。遲かれ速かれ君だつて死ぬるのだ。さう云つて彼はまのあたりに森の姿を尋ねるやうに立留まつた。見ると草原は依然として同じやうな眺めではあつたが、光線が大分薄暗くなつてゐて、次第に霧の冷たさが足に感じられた。そして、耳を澄ませば、さつきまで啼いてゐた蟲の聲は杜絶えてゐる。氣がつくと、丈高い草の花辨はみんなうなだれ、どの葉もどの莖も萎れかかつてゐるのだつた。
「もし、もし」
その時耳許ではつきり聲が聞えた。唯彦ははつとして底冷えのする周圍を見𢌞した。しかし、もとより誰の姿もそこにはなかつた。彼は氣にとめまいと思つて、すたすたと步き始めた。が、また妙に重苦しい氣特につき陷された。
突然、遠くの方で、ビユーと風の唸る音がした。と思ふうちに、もう叢はさわさわと戰き始めた。嵐になるらしい空は、しかし今不思議に冴えて美しかつた。眞綿のやうな薄雲が五色の虹をおびて輕く浮んでゐる。ところが、その奧の方のもつと靑いもつと深い空のところに、嚇と其赤な牡丹の花が燃え出した。あつと思ふうちに、その花は眞黑な煙を吐き出して、形骸を失つてしまつたが、煙は忽ち唯彦の頭上まで伸び、空は濠々とした黃色なガスで覆はれた。唯彦は窒息しさうになつて、眼に淚が滲んだ。氣がつくと、彼の周圍に生えてゐる草は、みんな眞白に枯れて、それは枯木のやうに思へた。が、再びそれを注意すると、枯木はみんな骸骨になつてゐた。骸骨どもは風に搖れて、カタカタと鳴つた。その時、空が一層暗くなつて、無數の鶴が飛んで行つた。鶴の羽音が去つた時、急に靜寂が立戾つたが、もうあたりは完全に闇と化してゐた。唯彦は茫然として闇の中に蹲つた。嵐は他所へ逸れてしまつたのか、今は何もののそよぎもなかつた。空を仰がうにも星らしいものの光はなく、すべてが闇と靜寂に鎖されてゐるのだつた。唯彦は今居る場所がやはり狹い暗い墓の中らしいのを感じた。今迄身は輕ろやかに自在に空の下を散策出來たと思つてゐたのに、もはや己は闇の底に幽閉されてしまつてゐるのだらうか。[やぶちゃん注:「戰く」「わななく」。ざわざわと音を立てる。]
暫くすると、闇に慣れた視力に、ふと何か仄かに白いものが蹲つてゐるのが見えて來た。唯彦はそれがすぐ近くにゐて、たしかに息をしてゐるらしいのを感じた。次第に唯彦は怕さに神經を尖らしながら、息を潛めた。しかし、相手はもうちやんと唯彦の存在を知つてゐるやうに、落着いてゐるらしかつた。一體、何者なのだらう、と唯彦は猶も緊張したまま蹲つてゐた。その時相手は今迄怺へてゐた言葉を放つ最初のきつかけを作るやうに、「ほう」と奇妙な聲を放つた。それで唯彦はまづ相手が人間であることがわかつて、ちよつと安心した。一聲洩したまま、相手はまた沈默したが、その聲の調子ではどうやら相手は年寄つた女らしかつた。何のために俺の身邊にやつて來て、言葉を掛けようともぢもぢしてゐるのか、唯彦は妙に腹立たしく感じ始めた。
「ほう、見える、よく見える」と相手はまた獨白をつづけてゐた。「私の眼は死ぬる前には、殆ど役立たなかつたのに、今はまるでよく見えるやうになつた」
それから相手はまた默つてゐたが、
「あのう、そこにおいでになるのは淸水さんではありませんか」と急に彼女は唯彦の姓を呼んだ。
「あなたは誰です」唯彦はびつくりして相手を視凝めた。何時の間にか闇はさつきより薄らいでゐて、相手の輪郭は朧氣ながらも見出すことが出來た。やはり年寄の女が一人ぼんやりと彼の方を視凝めてゐるのだつた。
「淸水さんですか。やつぱしさうですか。よく似た方だと思つてゐました。それでは何時あなたはなくなられたのですか」
「あなたは誰です」と唯彦は相手が名乘らないのでまた訊ねた。
「おや、まだ云ひませんでしたか、私は森です、森の母です。二度か三度あなたは家へおいでになつたでせう」
唯彦は彼女が怪しいものではないことを知ると微笑した。しかし、纔か生前二三度顏を遇はせただけの人に憶えられてゐることは、あんまり嬉しい氣持ではなかつた。
「あなたが去年だか、息子が家へ歸つて來た際、訪ねて下さいましたが、あの時もやはり咳などしてゐられたので、丈夫ではないらしいと後で話し合つてゐましたが、やはり駄目だつたのですか」
唯彦は返事のしやうがなかつた。「あなたも死んでらつしやるのですか」と唯彦は訊ねてみた。すると彼女は輕く頷いた。
「ええ、私などは何と云つても、もう齡が齡ですから仕方もないことですが、あなたなぞはさぞ殘念なことでせう」唯彦は返答しなかつた。
「それに私でもまだ後に殘した子供達のことを考へると矢張り後髮を牽かれる想ひです」
彼女はたしかに少し自分の言葉に興奮し始めた。「さうです、子供達は一體これから先どうなるのでせう。子供達の生きてゐる地球はほんに何だか無氣味なことだらけのやうです。何がどう云ふ風になつて行くのやら私のやうな無學者ではさつぱりわかりませんが、死際まで私は變な妖しい夢に脅かされました。一體どういふことになるのでせう、あなたのやうな若い方にはそれがよくお解りではありませんか」
唯彦は森の母がそんなことを言ひ出したので、ちよつと眼を圓くした。しかし、何と云つて答へたものか彼自身にもわからなかつた。「あなたが尋ねてゐられるのは世の中のことですか」と唯彦は訊ねた。相手は靜かに頷いた。ふと唯彦は何だか理由もなくをかしくなつて、しかもドキリと刃物をつきつけられたやうだつた。彼は笑顏を作つた。
「まあそんな心配なさらなくともいいでせう」
「さうでせうか」
唯彦は曖昧に頷いて、なはも微笑を續けてゐた。「それより僕はどうしてあなたとこんな場所で逢へたのか、その方が今心配です。僕はこれからどうなるのでせう。どこへ行つたらいいのか解つてゐるのなら教へて下さい」
すると彼女は訝しげに四邊を見𢌞した。「私もさつきまであなたとお逢ひ出來るとは思へなかつたのです。何處となしに迷ひ步いてゐるうちに色々、不思議なことがあつて、ふと眼の前が少し明るんで來たのですが、やはりここも前と同じやうな場所なのでせうか」
「おや向うにあんなものがあつたかしら」と老女は向うを指差した。見ると、淺黃色を呈してゐる空の下に乳白色の凹みがぼつと置かれてゐるのだつた。
「どうやら河らしいですね、しかし河にしては向岸がありさうなものだが」と唯彦は首を傾けた。そこまではかなり遠方のやうにも思へたが、光線の加減でさう思へるのかもしれなかつた。
「あの邊まで行つてみませんか」と彼女はさきに立つて步き出した。茫々とした草原の路は昏かつたが、その上に展がる空は今靜かに靑い光を孕んでゐた。唯彦の前に立つて步いてゐる女は、まるで向うの白い凹みに魅せられてゐるやうに、もう一言も口をきかなかつた。ふと、菊の花のにほひが漾つた。唯彦はあたりを見𢌞したが草原の闇は默々と續いてゐた。女の草履の音が侘しく鳴つた。唯彦はぼんやりと從いて步いた。
ほつと眼の前が少し明るくなつた。唯彦の前にゐる女は立留まつた。氣がつくともう目的地まで來てしまつてゐた。大きな眞白な河が音もなくすぐ前を流れてゐる。そこの岸には一般の渡舟が退屈さうに繫がれてゐる。二人はその渡舟のところまで步いて行つた。急にその時後からせかせか下駄の音が近づいて來た。見るとそれは唯彦も街でよく見かけたことのある人らしかつた。眼が片一方潰れてゐるので、その男は唯彦の印象にぼんやり殘されてゐた。その男はせかせかと老女にむかつて話しかけた。
「まあ、あんたはここへゐたのですか。わしも隨分ぐるぐる步いてゐましたよ。さうさう、この間あんたが死んだ時の葬式にはわしは頭がいたうて行きませんでした。ええ、さうかと思へばわしは洗濯をやりながら腦溢血で斃れてしまつて、あんなことにならうとは……………………」
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