芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「九」
九
午後に成って日が西へまわると、庭に落ちている屋根の影が次第に伸びて行って濠の水のうえに落ちるように成る。
濠の向い岸には何百年のあいだ其処に立っているらしい古いふるいたぶの木や椎の木やが思う存分丈を伸ばして曲りくねった枝をさし交している。浅みどりの葉、茶がかったいろの葉、暗緑色の葉、それが円味を帯びた塊りとなって枝ごとに茂り拡っている。[やぶちゃん注:「丈を」は底本では「丈をを」となっているが、流石に衍字と見て、特異的に「を」を一字、除去した。]
日光がその上にそゝぐと濃かな樹々の緑りは一斉にかゞやいて、その儘うつくしい緑りの影を濠の水の上に落す。いくら風のおだやかな日でも昼間は水の面に皺立つ漣(さざなみ)が絶えないので、樹々の影は天鷲絨(びろうど)の模様みたように柔らかくけばだって映る。
頸のまわりだけが紅くて残りは深黒な羽に身を蔽うているかいつぶりが何時も一羽か二羽かそこいらの水の上に泛んでいる。[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。次の段落のそれも同じ。]
ながいあいだ沈黙をまもりながら水のうえにじっと浮んでいるその小さい水鳥がやがてピロ、ピロ、ピロと鈴を振るような声をふるわせて四辺(あたり)の寂莫を破るかと思うと、つと頸をすくめて頭から水の中へもぐつて行く。…………跡には水の環がそのもぐって行ったところを中心にして静かに拡がって行き、水の面(おもて)に映された樹々のみどりの影がゆらりゆらりとみだれ揺(ゆら)ぐ。
ひろがって行った水の環のつながりが向うの岸にとゞいて、更に反動をつくつて静かに寄せかえす頃には鳥は三四間はなれたあなたの水ぎわの茅(かや)の葉のあいだに浮び出て、そこでまたピロ、ピロ、ピロと清(すず)しげに啼く。
水のふちに下りて蹲踞(しゃが)んで水の中を覗くとそこにはさまざまの水棲の動物が各自思いのまゝの生活を展開している。
瓢軽(ひょうきん)な水馬(みずすまし)の群れが数知れず沢山に浮んでいてひょいひょいと跳びながら水の上をすべって行くので水の面は雨がふり注ぐ様にさゝれ立って見える。短気で楽天家のまいまいつむりがくる、くる、くると目眩(めまぐる)しく回転する。暗褐色の石の蔭に沈んでいて折々つっつと水の底をはしる沙魚(ごす)の物に怖じるような陰険そうな振舞いや、分不相応に長い手にうす汚ない藻くずのくっついたのを伸ばしながらのさばり歩く老いぼれの長手蝦の図々しさや、かあいらしい鰭を振り尾を振って浮き藻のあいだを潜(くぐ)りくゞつて泳いで行く目高の罪のない活発さや…………みんなその個性の趨(おもむ)くところに従って生活の不可思議を追い求めている。
午睡(ひるね)のゆめを貪ったのち茫然(ぼんやり)さめた頃には、日は全く西へまわり、濠の水は鏡の面の様に透徹して些かの凹凸も無く、そのうえに映る艸木(くさき)のみどりの影は珠を鏤(あつ)めて張ったように玲(ほがら)かに澄み切る。
懶(ものう)い眼をはっきり醒ます為井戸端へ顔を洗いに来ると、少しはなれた河岸に生えている櫨(はじ)の木の水にさし出た枝のうえに一羽の翡翠(かわせみ)が棲まっていて静かに水のなかを窺っている。
と、身を跳らして水のなかに潜り入り、たちまち復た魚を啣(くわ)えておどり出て、つうつうと暗きながら彼方の樹の茂みを指して翔(かけ)って行く。[やぶちゃん注:「啣(くわ)えて」の「啣」は実は底本では「喞」であるが、これは「かこつ」の意であって、「くわえる」の意はない。されば誤字と断じて、特異的に訂した。]
宝石の光りの貴とさを持っている色沢(つや)うつくしい瑠璃いろの翅(つばさ)がひらりと閃(ひらめ)かせるかと思うと早や暗い樹の蔭にその鳥のかたちは隠れてしまう。うつくしい人が懐かしい眸をちらと見せてすぐと消え失せたときのように、幻影のひかりがこゝろの中をはゞたいて通り過ぎる。
[やぶちゃん注:「まいまいつむり」「短気で楽天家」であって「くる、くる、くると目眩(めまぐる)しく回転する」という特徴から、私はこれは松江の方言であって、鞘翅(コウチュウ)目飽食(オサムシ)亜目オサムシ上科ミズスマシ科
Gyrinidae に属するミズスマシ類を指していると考える。]
« 芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「八」 | トップページ | 芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「十」 »